ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

地球に恩返しという感覚

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社会的に立派な立場の無い者が
タイトル大仰で、言えることはささやかで。
…いつものことだが。(苦笑)

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もし、この地球で全人類が
「地球に恩返しをしよう、したい」思いが、
ひとりひとり皆が自ずと「自発的・自主的」に湧いてきて
日々を暮らせば、あっという間に、
地球は素晴らしい自然循環を
生み出してくださるであろう、無償さ・・・を想像する。

無私の自由自在・・・の境地。

大衆が数千年の支配層ありきで飼い慣らされるそれが当然で、
特に中世西洋思想から近代現代の「人間中心・物礼賛社会」では、
そうした発想とは縁遠くなるだろうか。

人間中心ではなく。
私たちが生きる人間の社会を
形作るそれは、この地球世界のごく一部であると。

命はあらゆる生物に宿っていることを思えば・・・。

あらゆる命のお陰様で、
生かされている場を
意識の基本に据えた時。
自然という事実を
人間が率直に受け入れる意識が整った時。
〜グルん〜という反転が起きる。
そんなふうに思う。

人間中心という意識は、
〝己の思い〟の主役の自己愛世界。
虚の世界、欲の世界。


縁の下の力持ち、助力する人間の意識からの、
対象あっての己という自覚によって
意識の位置が変化する。
集合意識の状態が逆転すると。
そんな可能性を想う。
貨幣社会維持のための、集金宗教やら税制国家。
国家宗教の組織教育、国際金融家配下のマスコミ汚染脳社会は、
そのグルんとしていく可能性の反転現象を
無理やりに押し留め続けるための、
現金星元地球人が支配し易い偽血統種の司令ありきの独裁戦略?!とも。

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天変地異で
逆境と捉えてしまうその価値観が刷込み、それも汚染脳でもあろうか。

「雨降って地固まる」ことを気付かされるのも
人類にとって必然であろうか。

臨死体験した人が死ぬことを恐れなくなるという心境と
それは近似しているようで。

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私たちは肉体を持ってナンボの生活、人生。
肉体をはじめ、あらゆる物質を拝借しながら生きている。
感謝は恩返しの準備段階という気もする。


当たり前ではない当たり前さ。
日々の暮らしの中に、肉体ある自身の中に、
日常現象に、
無限の気付きは潜んでいるようで・・・。