すでにほとんどの人が肩身離さず愛用している
スマホ。
2005年頃だったか、ミツバチ激減(失踪)と電磁波の問題が騒がれ出した。
結果的にネオコロチノイドという農薬がミツバチを激減させたという
暫定的?!結論になったのを覚えている人もいるだろうか。
多くの人はそれ以上、ミツバチが減ってしまったことと電磁波を結びつける
話はしなくなった。多分農薬のせい、と。
そうかもしれない。
が、しかし今でも私はミツバチに限らず、全ての
生物にとって、人工的な電磁波は決して良くないだろうと思うのである。
携帯電話を普及させんとしてきたマーケティングに大きな疑問がある。
植物動物、生物全体への悪影響と共に、
大衆への独裁支配が潜んでいる、更には個々人の世界へ
サイレントインベージョン(静かなる侵略)を感じているならば、
便利というだけで、のうのうと使うことは、
どこか罪な気がして、
どうしてもスマホを肯定できないのだ。
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未だガラケーの私は部外者のような視線で
日本の世相の変化、それを嬉々として扱う皆様の心理変化を感じ観察したりする。
キャッチコピーに、
〝気持ちはわかります〟と、老夫婦が悩んでいる背景写真。
気持ちがわかるならスマホゴリ押しマーケティングを止めろ!と。
DMをすぐさまゴミ箱へ放り込んだ。w
が、できたらケータイそのものがいらない、
そこらじゅうにある携帯電波塔も撤去して欲しい。
同調圧力糞食らえだ。
様々な観察も兼ねて、
電磁波が自然界の生物、無論人体にも人間心理、社会にも
悪影響を与えているだろうことを観察しつつ、変人が
その視点を伝えてもいいのではないか?と。
ちょっと気障だけドw・・・そこを自負している(笑)
使っていないから便利さが分からないこともあるが、
スマホが普及し尽くして大衆心理の変化で
先日、気付いたことを後で少し書き留めておきたい。
その前に冒頭と同じく苦言になるが
スティーブ・ジョブスは自分の子供に
i-phoneを使わせなかったという話を聞いたことがある。
また、ちょっとしたことだが、ガラケーのオセロで私は
何度も勝つことがあった。あまり実物ボードゲームのオセロで
勝てたことがないのに画面が小さいと、視野の違いで
勝てることがあるのか、と感じたことも、
スマホへの危機感を抱いたきっかけになった。
(勝ち負けの問題ではない。何故、簡単に勝てるのか、と。
視野の違いが、私にとって重大に感じた次第。
報酬の虜になる思考回路という意味で。)
(かつ人体をわずかしか使わない状態は
脳と肉体のバランスが崩れる、と感じたのだ。__12/2追記)
加えて、書籍で
「スマホ脳」アンデシュ・ハンセン著(2020初版)
「スマホを捨てたい子どもたち」山極寿一著(2020初版)
を購入し少しだけ読んで積読状態であるが、
まだ2020年には警鐘を鳴らす本があった。が、しかし・・・。
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時、すでに遅し。電子マネーに紐付いている今。
命の次くらいに大切な物になること前提での、
何十年もかけて構築されてきたであろうハード、JAVAソフト開発や
社会分析や脳工学の挙句の果ての〝情報&電話の通信システム〟
欧州貴族国際金融勢のマスコミをフル活用した支配下となった
近代社会から現代社会まで。
マイクロチップに行き着くまでの前哨戦が
ケータイからのスマホと思っていたが、
スマホ利権(あらゆる技術製造販売システム)も、
今や相当に君臨しているだろうから、
案外とマイクロチップの話題は静かになっているのか。。。
はたまた、
物理的なことで超過密情報を極小チップに落とし込むための
電子回路マイクロ化の極限では、技術はまだ届かないのか。
量子コンピュータのことで動画から
鉱物原子の限界に至り模索中と専門的なことを聞き齧り、
素人の私でもマイクロチップの限界が何となくだが想像できる。
個人の膨大な情報とインターネット全体情報をやり取りできる
通信チップの破片を人体に埋め込むには技術の壁があるのか。
マイクロチップでは対応できない膨大な情報や電磁波の技術は、
補完的にスマホが担うのは長期戦になろうか、と。
大衆マイクロチップ埋設という奴らの夢は、人類が
激減した後の・・・ロボ化の・・・と、
あってはならない怖い未来図が頭をかすめる。
国際金融資本欧州貴族らの
真の目的に、技術というか物質の限界に迫っての
電磁波強化(4G-5G-6G)であったり、量子コンピュータの活用と。
ぼんやり考えながら、私はケータイが嫌いなので、
住宅電話をいつまでも使いたい。w
実物、実体、実感があって納得しながら暮らしたいから。
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立派な先生たちのように論じることはできないが、
世相が様変わりしたことを感じている人も多少はいると思う。
批判の声が挙がっていたか。
インフルエンサーというネット上の流行人物が軸となって
マイナーな価値観がSNSで拡散され価値観の意外な変革もあったり。
50代半ばの私には耳慣れないネット用語や言い回しが巷では
普通に使われ、日本語スラング化に拍車を掛けてもいる。
スマホの良さを少しだけ挙げるなら、
マスコミ毎度お馴染みクライシスアクターを使っての茶番ニュース映像や、
加工処理をしてまでの捏造ニュース映像を暴くのに
マスコミ映像との落差を
一役買っていることもあるけれど。
今や、AIによって映像・動画・画像はいくらでも加工できるから、
TV新聞雑誌SNS広告のみならず個人の動画・画像さえも、
あらゆる映像・動画・画像を根拠に
信用できる、事実を語ってくれる時代は終わりつつある。
(外的世界の偽情報は、個人の内的な欺瞞の写鏡かw)
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話は逸れるが、スマホ普及で歩行中の注意力が希薄になっている。
公共の場での周囲への気遣いの感性、気配を感じて身をこなす感覚が
鈍くなり失われつつある気もしている。
それもスマホにワタクシが慣れ親しめば、
違和感を感じなくなるのだろうか?(苦笑)
鳴呼、ニホンジン・・・。涙
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すぐ検索して知りたいことが分かるようになった、が
故の多くの人が醸す万能感に私は何となく違和感を覚える。
あの小さな画面であらゆる情報を知ったつもり、
分かったつもりになることに危機感を感じる。
名もなき人が一生懸命考え、作り上げ
良心的に伝えたことをまるで俺様がやった成果のように
伝える輩の話には傲慢さを感じ閉口することもある。
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SNSの利用はPCやガラケーの時代より、簡便に発信できるから
利用者も激増しただろう。
ところで、SNSというものの奴らの狙いは、人間全体の思考回路に
コマーシャルリズムを植え付けることに
一役買っているなぁ、と先日、腑に落ちたのである。
お気付きの人もおられるだろうか。
TVのコマーシャルや新聞雑誌の広告を本気で信じる人は少ない。
企業が消費者へ向けての〝買え買え〟攻撃には、なぜだか、
防衛本能とも言うべき、少なからず不信感が湧いてくるものではないか。
ステルス広告という方法をとって購買欲を作るマーケティングは有名だ。
企業〝買え買え〟攻撃に対し消費者の不信感という壁を乗り越えるための
姑息な広告である。
企業〝買え買え〟攻撃で消費者との軋轢が顕著なのは
保険や証券、自動車など企業セールスマンが苦慮するのは周知のこと。
消費者になるであろう対象者にお金があるなしに関わらず、
買わせるという行為に
コマーシャル的な空気が漂うと無意識に抵抗したくなる
消費者側の心理は
どうにもこうにも普遍的なものがある。
広告というものが「押し付けられるもの」としての違和感。
更には、相手の「良心の欠如」「他者の損得勘定」「利己主義」を感じての
抵抗であり、本質を言えば、お金というものの性質に由来しているだろう。
元来、人間の良心を、延いてはこの地球で生物として生きる摂理と矛盾した
仮想のもの、それがお金というものだからではないのだろうか。
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さて、SNSという道具は、
全ての人間が、数字、数量を重視する風潮を作り出す、ように
奴らによって設計されたと言ってよさそうだ。
憩う場と競う場が背中合わせ。
あらゆる自己顕示欲が触発され、
個人が企業のような利益主義となり、
〝買え買え〟攻撃の張本人にならんとする道具と化している。
自己顕示欲からの損得勘定の人間が全てとなった時、
人間社会に、良心が消え・人情の味は解らず・情緒は悪意に弄ばれる・・・。
精神を病む人の方が現代社会では、
良心や情緒がまともかもしれない。
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自己存在不安が元となる、
自己顕示欲からの虚栄心からの、
お金や権力権威を無意識に求めてしまう思考回路に陥ってしまう
脆弱な家族関係、人間関係、不安定な社会。
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やはり、自然界から学ぶ。
自然界の一部に戻る。
それは人類の究極の命題ではないのだろうか。
他者に見られてどう思われるかという想像力はどこにもないであろう、
人間以外の生物に学びたいもの。
マネー、地位名誉、権力権威を目指す者手に入れた者が、
外面は立派に綺麗にお洒落に見せることはできても、
内面、心の中に損得勘定、利己が渦巻く意識があれば、
美しいと感じないのは、当たり前で、自然なこと。