先日、地下鉄に乗って家路に向かうとき。
チョイとした小さなことだけれど。
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横すわり座席7人掛けの
椅子に6人が座り私は真ん中近くに。
中央が空いていた。
いくつかの駅を過ぎ、乗り換え駅だった。
位置を確保すべく真ん中にドスンと座す人。
ちょっと横柄な印象だったから、
思わず、横目で見てしまった。
そうかァァ鳴呼。
「白人さんのビジネスマンさん」
で、あった。
これダもんナ、と。
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そう、こんな感じで_ _;
長年、数百年。
(宗教・教育・印刷画像映像の、白人さん由来の宗教科学政治教育医療__
全メディアの刷り込み)
その経緯。
??????
こうしたことをぼんやりとだが、
幼い頃から度々疑問に持ち生きて来た当方は、
ザックリだが
白人さんたちへ憧憬を持つ現代日本人には
疑問だらけでして。
西洋礼賛〝族〟。アイディンティティ喪失の思考回路。
その白ちゃん御仁らのやり方ですっかり洗脳されて来た
〝有色人種劣等感〟ゆえの行動、
民族や八百万神、アミニズム崩壊へ導かんとする
一神教の異常さ違和感、ありませんか???と。
白人さんたちの文明へ疑問と憂いが、
尽きることは、ない訳で。
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白人さんたちの先祖へ思いを馳せると。
教科書的刷り込みもあろう、
中世~~~~(キリスト教覇権への猛威)時代(もしくは、2000年前)からの、
上から目線で生きて来た人たちなんだなぁ、と。
(めんどくさい人たち__スナワチ欧州貴族国際金融勢の台頭が・・・。)
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漠然とだが
長らく歴史教育へ疑問が尽きなかった当方は、
疑問と違和感、相まって、
心の中で呆れながら、
〝差別社会、その意識を最大限に作り旨みを吸い続け上げて来た、
白人さん層中心の国際化・大合唱の
近代現代は異常だろう、と。
誰のためのコクサイ?国際?w
イジメが常態化したコクサイ社会。
区別差別カテゴライズの、
概念の、先入観の、記号化の
コクサイ社会(何が国際なのか???)への
疑問は、小さな日常に・・・アルアル。
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(地政・地勢・治世を駆使しながら
知性偏向の欧州国際金融勢の偽文化文明)
白人さんたちは一旦信用を作り、実は欺き独占略奪のために
武力破壊強姦民族排他などなどなど
完全強奪を目的に
独裁支配を金融システムで構築して来たと。
19〜21世紀の間で基盤
方策は成功したようで。
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思えば、植民地支配を謳歌した欧州貴族国際金融勢の子孫
その傘下に在る白人さんたちは経済や社会信用を掌握した
社会システムの中で世界中へ行動範囲を繰り広げ
冒険を
探検を
調査を
その見聞録を
書籍を筆頭に、メディア発信をしている。
なんとも。
白人さんたちのフィールドは
7:3?
8:2?
9:1?
メディアや歴史やらを鵜呑みにしていた若い頃は
白人さんたちの探究心や冒険心をすごいと思っていた。
狩猟民族の性質だと思っていたが。
それは勘違いだった。
白人さんたちの行動をより自由に自分勝手にできる
地球社会のルールを作り上げて来たこと、それが故に
白人さんたちの
行動の自由があったのか、と。
そんな解釈を数年前からするようになった。
バカンスを憧れる日本人のおめでたき思考。
パスポートの基準も欧州貴族国際金融勢の息の
かかった彼らに有益な白人さんたちを重視した自由性を確保。
世界中を「〝御〟自由にお旅」し続け。
白人さんたちは世界中を我がモノとして
ご自由に
ビジネスやエンターティナー、建物を始め
ありとあらゆる生活様式、宿泊スタイルを白人さん仕様に。
白人さんたちは科学・芸術・宗教の・・・
基準を「国際」の連呼、時々、白人さんたちの
被害者的立場や救済によって英雄・武勇の話題をマスゴミが喧伝したり。
偉人伝、武勇伝を書籍化しベストセラーに仕立てたり。
ご立派な人がユダさんたち(アシュケ)になるのは
マーケティング戦略があるからだ。権威となる学問のフィールドの
掟を掌握しているから。
白人さんたち御用達の偏向ルールに乗っ取られている社会にうんざり。
逆差別をチェックする当方として、
これ以上愚痴は書きたくない。
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白人さんたちが皆、悪者ではない。
人間性・人格のことではなく。
他、書きたいが省略。
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が、しかし過去を思うとやっぱり先祖の不徳の累積に
そろそろ、なにか変化が起きる時期ではないか、と
感じている次第。
逆差別という奇妙さをも超えていかなくてはならない
文明ワールドはややこしい時代、ってなことを思う。
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ご自由を謳歌してこられた、、、
人種差別をして来た、、、
御仁たちが優位に立っての上から目線の倫理観が
混乱し始めていること感じないだろうか。
いつになったら、有色人種ワレワレは分析するのだろう。
気付き始めている人も増えつつあるだろうか。
自己愛へ向かう、見てくれ、見せ方、見られるための、
加工ビジアルだけ、
印刷・画像・映像の情報『量』だけで、
判断することの
浅薄さをいつになったら気づくのか。
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今日も漠然とした愚痴を書きたくなった。