ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

男女のことで。(11年前に書いた文・・;)

男は女にもてたくて
女は女に勝ちたい。

ちょっとキザな言葉を最近、思いついてしまった。
人間の業を考える時、
心の奥底に自分でも制御できないような感情がある。

愛とか慈悲という美しい心に触れ元気になることもあれば、
憎んだり妬んだり侮蔑する自分、あるいは他人の中に
見い出したときの幻滅。(つまりは自分の中を見るのだが)
誰もが悲喜交々である。

男性が、女性にもてたいという感情は、 私にはあまり分からないので、
横において置こう。

では、女が女に勝ちたいという感情は何?
女が男にもてたいのは、やはり
女に勝ちたいから。
おそらくは、種の保存に関係する本能だろう。
子供のいない主婦になったお陰で改めて思う。

女性が集まると嫌でも、それを感じてしまう場面に遭遇しないだろうか。
例えば、料理自慢の女性が数人集まったら
人を褒めつつも、自分の方が腕は上、と内心思っているのは
ありがちなことである。
または、服やバック、車に住居という単なる物でも、
女性の中で経済的に優位さを感じる人は周りから
羨望を受け、その対象の女性は優越感という一瞬の快感を享受する。
あるいは自分より女性として低いと見下している女性が、男性からもてる
状況を目にすると、途端に妬みを怒りにすり替え、その女性の
あら捜しを始める女性もいる。

マスコミが一時騒いだ「品格」などという
言葉に振り回されるのは
そんな勝ちたい女性の心理には、最高のえさである。

女性同士での自身が上か下かの品定めの感情は
年齢など関係なく、どうしようもないほど、
競いたがるのである。
親子姉妹でさえも。いや、むしろ愛情のベールで
分かりにくいからこそ潜在化しやすい。

この人間の競争意識を増幅させ、非常に巧みに操っていると
思えるのは、女性向け雑誌や日中のテレビ情報番組だろう。
昨今はインターネットのお陰で、かなり情報が放散していると思えるが、
やはりダイエットやグルメ、タレントやセレブ、旅行、ファッションや化粧、
夫の会社に子供の学歴などのキーワードによって群れる
女性心理が刺激され、経済操作や活性化のため
競争意識を煽り立てている。
その動向は、実は社会へ大きな影響力を持っている。
うわずみ情報を本気にして自分や他人の格付けをして
感情振り子現象に陥っている女性が、何と多いことか。

露骨に、女性の強さ勝気さを書くと嫌われるだろう。
傍観しその場をやり過ごすことで、回避することは多いが、
自分にも心当たりのある感情だ。

マスコミ情報に無縁な人でもやはり
嫁姑の関係性の難しさを思うと、本質的には
昔から女の業は変わりない。
強い男と弱い女を見たことがないと
よく美輪明広さんが言っているのは
そんな面を言い当てているだろう。

女性の業を乗り越えるのは「負ける」、負け上手になること。
頭で判っていても、なかなかできないが。

こじつけで考えたことは…。現代について残念だが、
不妊症が増えていること。離婚や未婚の増加など。
これらは闇の勢力(社会、金融のシステム支配階級)の
人口削減の思惑が着々と遂行されている結果だと思うのだ。
(マスコミの操作、食品の操作、医療の操作、教育の操作…。)

で、唐突にだが精神論から考えると…、
自身で女性の業を見据えて、負けた女の覚悟とでも言ったらよいか。

子供を育てる時の偏愛や利己的感情、本能を体験しない、
産めないからこそ、人間の切なさや
存在への憂いの中で謙虚さが育つかもしれない。
よその子供の幸せも祈りたくなる。
母としての強さが身に付かないことがむしろ必要なのだ。
開き直りや捨て身が、そのまま社会への貢献になるかも。

それが人類の意識覚醒につながるのだ!と
種を残せないだろう私は力んで考えるのである。
負けを認めることが自分育て。

加えて、煩悩を煩悩として解釈できる客観性があるか。
煩悩とは気が付かず、延々と焦燥と欲望のハザマで揺れるオメデタイ人間か。
自分の思考構造を知ることだろう。それを知るために、まずは群れない。

ん十年前の歌、加山雄三の「海その愛よ」の歌詞の中に
「男の虚しさ」というフレーズが私の励みなのである、苦笑。

虚しさを知った優しさパワーこそが社会の元気を作り、
闇の勢力に退散してもらう方法か?!