ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

人間関係について__(5)感想1

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繰り返すが、人間関係の正解や解決策など当方には判るはずもなく。
人間の関係が生活文化によって異なることを
この書籍を通じ備忘録として記したかった。


物質や貨幣を軸としたワレワレの社会。
・組織的教育、宗教巨大団体、人工的な巨大国家、マスコミ情報システム、
 多国無国籍巨悪企業。
大衆の気付かないところで、黒幕の巨大組織が工作員、カネ、
情報操作、法整備をし、
形成してきたものが軸となってしまった昨今の社会。
(特に約20年前、内閣府設置で
ブラックボックス化。それに蔓延るエージェント支配の
ほぼ傀儡日本政府と明治以降のマスコミ)

あらゆる思考が刷り込まれた。
明治以降、戦後以降、そして21世紀の昨今。

貨幣、賃金労働、TV、スマホ、家電や自動車、集合住宅や石油製戸建住宅、
多国無国籍企業利益の消費、会社・大企業、学校、日々の食、
白人文化礼賛のショボぃ借物文化・・・。

ワレワレ日本人大衆の観念、常識と思っている価値観、行動。



それとは全く違う、自然の中で派生し生き抜いてきた、
いち民族の人間同士の関わり方は興味深く、
「子どもの文化人類学」原ひろ子著から数頁を転載してみた。


インボー論者なので、最も訴えたいのは、数百年、延いては
千年単位にわたるユダキリ(キリ スト)教布教の言説によって、
自然と共存・調和していた多様な人間の生活文化、生き方。
白人種社会から主に有色と蔑称される人類の、物質や言葉では表せない
精神文明を破壊されてきたこと。今尚、続いていることを遺憾に思うことが、
この抜粋記事を書きたかった真の動機だけれども。
(無論、現代日本も含む。欧州偽ユダ勢の日本破壊という
昨今の危機感からである。)

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この書は、子どもを中心に民族性を考察した内容だ。
「子育てがあそび」の枠となるヘアー・インディアン社会。
その中で築かれる人間同士の関係は、真の豊かさを
当たり前に体現していたのではないか、という崇高な何かを
漠然とだが、感じ入るものだった。
そして20世紀半ばまでは、地球各々の社会のひとつに、
存続していた事実を見逃してはならないだろう、と。

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狩猟採集社会のキャンプという移動生活の中で、人間同士が関わる要は、
生き抜くため、食糧を得るための協力関係だ。


食の確保という生物としての目的が中心にあるから、
人間同士の関わり、精神活動が、現代物質貨幣文明に生きる私たちには、
希薄にも感じる側面があるかもしれない。

農耕か狩猟採集かという食の起源の話は横に置き、
それはともかく、農「業」、工「業」という
人工的な生産活動を糧としている現代の物質貨幣社会。

貨幣を中心とした便利さや損得を追求し、経済競争の所産を
進歩発展と定義し、国家規範がそれをまとめ上げ、
まずは税金徴収し運営・管理・保障__監視する、
現代の定住型社会。

大雑把に言えばその枠内で、人間関係を継続的に円滑にするかは、
滞りなく暮らし生きる条件として
最重要項になっている、と言えるだろう。

また、人との関わりが多様な人ほど社会的に重宝がられたりする。
地位名誉収入の高低や増減と密接なものとも言える。
人間関係良好で、運という不確かな何かのお陰で人生を切り拓く人もいれば、
そうでない人の方が多いのも、この世の常。
運が良い人物を手本に、そうでない人が、例えば修行であり、
開運や今時の引寄せ、宗教的なこと、見えない法則を探し求め彷徨う。
物質文明の中のワレワレ。


本能的な恐怖心とされる老病貧死。そうした負の条件から回避すべく、
自己保身。できる限りの安心安全安定。
それを担保するのは、まずはカネ。得をする、立場の維持改善、好運。
そのためには、虚勢虚栄や偽善・・・自己欺瞞も、
人生航路を見通し良くするのに欠かせないか!?

また、長生きが尊ばれるのは幸運、それは見えない何かから
肯定「された」ことを意味するとして、一般の価値観はそれを肯定する。

利己的な遺伝子というタイトルの本があった。
利己は、遺伝子のせいだとすれば、物質貨幣社会の
ワレワレは納得できるかもしれない。

競争を前提とした物質貨幣社会での大衆の様々な、
うごめきがヒエラルキーの上下を極端にさせる。
人間関係の良し悪しが最重要というのも、
まるで準備されたような価値基準ではなかろうか、と。

(孤独を如何に回避するか?というのが、
 現代物質貨幣社会に生きる人間にとって難問で、
 ヘアーの人たちは、それと向き合い
 解を得る生き様であることをこの書からうかがえる。)

教育やマスコミで喧伝される公平性とか平等社会という
漠然と繰り返されるお題目が、幻想であることを知るのは、
多くの人が人生の悲哀に気付いてから。

全然この世は平等ではない、という悲哀を知る前に、
西洋的な成功論や英雄感(例えばディズニーの幼児洗脳)
非体験のもとでの文字や映像という情報(間接情報)は、
感動や感情という刺激にそった記憶の中で
災いし(幼児の脳においては仮想と現実の混乱)、
夢や希望、理想と、自分の人生での努力や我慢を重ねても、
その現実の落差に、欺瞞、逃避、無関心を派生させ、大衆ワレワレは
いっそう心の闇は深いものに、複雑怪奇なものにしていくだろうか。

(成功者著名人の多くは偽ユダ関連の利得になる人物しか
出世できない暗黙の縮図・了解があるようだ。
〝主にユダ、キリスト教者やその他関連の宗教団体系〟
偽ユダが独裁支配するマスコミの情報社会という裏事情を
ワレワレ大衆は明治以降、全然気付いていない。
最近はネットの影響で多少薄らいでいるかもしれないが。
明治時代の著名人がほぼ、かの宗教者というのは明らかに意図的だろう。

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思い浮かぶのは「一年生になったらトモダチ100人できるかな?』なんていう
修学を喜ぶ歌詞もある。
現代物質貨幣社会での人間関係を良好に保つ努力は、
宗教や道徳的な教条でもある。
この書から知る20世紀半ば迄のヘアーの人々からすれば、
理解できない価値観かもしれない。

現代物質貨幣社会では、より多くの信頼できる知人、
生涯の親友、親しい友人のあるなしは、
人間の信用度にも関わっているだろうか。また、
精神的衛生を保つのにも大いに役立つと考えられている。
それこそが、幸福感の原点とさえ言われてもいる。


人間関係の質の良し悪しは、それなりに、他人から見ての
成功者、立派な人間に成長する条件だとも思いつつも・・・。
その基準が、生きるための最重要項とは限らないことを、
ヘアー文化の子育てや人間同士の関わり方が
示唆しているのではないだろうか。

現代社会で成功者の信用や忍耐を維持するのに、
思いがけず、自然破壊・社会破壊・人間破壊に
つながっている人脈も多々・・・あるのではないか。


飛躍するが、
存在しえない理想、幻想に向う価値基準に、幸福感を
求め過ぎていやしないのか?と。

(〝キリスト教的思想からの愛という観念〟を当方は否定している。
 それは、存在し得ない机上の理想を求め続けさせる。
 地球・自然界を多様な人間社会をキリスト教的愛こそが、
 破壊に導いているのでは?という問いだ。
 難民問題はその典型のひとつ。
すべての大陸を強奪強姦破壊した末の、本来の民族生活を完全破壊した、
その末の永久問題。


〜長年に亘る欧州貴族偽ユダ勢が全大陸の独裁支配が、発端の自作自演。
 更に世界中からカネをかき集めるためのフェイクニュース
 偽ユダ偽善の慈善団体CMアピール。~呆~


 単に言えばキリスト教的な愛という言葉は、上から目線で与える、
 他者を変える、私物化という感覚が、含有されているのではないか、と。
 
 更に言えば、愛の名のもと信者の善行(与えさせる)となるべく、
 宗教者以外の人間の善意善行(与えなくてはならない)という
 見えないまともなエネルギーを無尽蔵に掻き集め溜める〝呪詛〟を
 内包しているのが、ユダキリ教という装置である、と。
 
 誰にも理解されない仮説をワタシは考える。w

(加えて幸福不幸については、実のところ現代人の
 幸福感・不幸感は躁鬱状態ではないのか。
 中毒症状による幸不幸の一過的な反応を求めているのではないか、と。
 例えばネット・マスコミ、企業や教育組織で、
 あらゆる数字結果やブランド視点の評価で過剰反応するのは、
 躁鬱の典型ではないのか?
 対象・他者の反応で一喜一憂。
 物質貨幣社会に生きる人間はほぼ何かしらの中毒だ。
スマホ、TVなどのマスコミ情報中毒、ゲーム〜
 ___自然界を遮断すればするほど、脳に刺激が
 欲しくなる病理であろうか。)

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