ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

「文明」について思うこと ____3  (加筆予定の続き1)

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「文明」について思うこと_3の続きで。

この記事で記したのは、国際的、世界的、ユニバース_全世界、と
マスコミで有名性が造られ語られ伝えるものすべては、
欧州先生のお眼鏡に適う事、ひざまづくようにして迎合していくのが
前提だ、という話を書いた。

(正確には判りようがない未だ現代の一般大衆には不透明なことであるが、
非常に重要なことであろう。
 現在のマスメディアの仕組み・関係性は、18世紀から19世紀にかけての
通信会社の勃興、その利権、影響が今も続いている根幹組織。
それは現在に於いても尚変わらず、マスコミは欧州貴族国際金融勢の
配下であることを大衆私たちは、再認識する必要性を思う。)


*インボウロンという言葉を波及させている組織が、インボーを実行しているわけで。w

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マスメディアを通じ「(ゴイム仕様)西洋文明」の掌で転がされているのが、
国際・全世界・ユニバーサル・グローバルという定義の実態。
言葉・言語・映像・画像のまやかし。
その掌で有色人種ワレワレが踊らされ転がされて、
混乱していることに気が付かず、
大衆日本の私たちも、有名だ成功だ富豪だのの、
目指せブランドごっこ!の選民の志向に興じている。
客観視すれば、西洋文明基準、西洋貴族社会偏重、
それの模擬的模倣(ゴイム仕様)の基準下の競争社会でしかない。

有色人種という言葉は、使いたくない。が、
白というイメージもどこからそれを上位に据える観念ができたのだか?
様々な民族、多様な皮膚の色の生物そして人間が、
存在するこの地球世界で、自然循環を鑑みれば皮膚の色の優劣など、
全く関係性がないことを
深い観察・未知の研究・世界観を想像すれば、気付けるだろうに、と。
マスメディアの繰り広げるイメージに、ただひきずられ、
ヒエラルキーありきの〝偽〟美的感覚を大衆が
マスコミに誘導されている側面は、あまりにも大きく、罪深い。
画像映像言論のマス化が可能になり、それはたった数十年の間である。
その不気味さ恐ろしさをもっと冷静に客観的に観察するのが賢明であろう。

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欧州貴族よろしく、日本人、有色人種大衆が選民意識を持ちたがり
選民意識を目指し持つ大衆同士が争う現代社会。
(平等感を持っているつもりが、
実は差別的な意識を持っている己に気付くことが、私はあるので。。。
心の闇の部分をここにしたためているノダが。)

権力・権威・財力の競争、学歴や知識、技術や芸術や文化の競争、
・・・などなど
西洋文明に、如何に寄り添うか準じるか媚びるか。
それを約200年繰り返している。

それは肉体を使わないが故の、お暇な頭脳を駆使し、優位性を保つため、
肉体を使う人の真の力・誠意を抑えこむのに、それは見栄え・虚栄が必要で。
その帰結である貴族的な傲慢さ。
それは他者の労力を使役し借り酷使して、
暴力行為を続け優位性を保ってきた。

それが、伝統貴族や超富豪と言われる階層の極限の利己思想だ。
(選民という思想がそれを是としたが、
その根拠が捏造を繰り返している偽の地球史)

まあ、誰しも優越感にひたれる世界を我がものにしたら、
その世界・組織・関係は
手放せないのが、人間の性だろうかなぁ。。。

お釈迦様はそれを断捨離したが故の、本質・摂理への覚醒となり、
人間社会の普遍的な偉人となった稀有な人、と思う。
断捨離という言葉が一般化したが、
世俗意識の断捨離が最も難易度が高いのだろう。

仏教の本質はわからないが、断捨離という言葉が、現代のマスゴミ情報で
かなり歪曲しているように思う。
馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。ホントTV雑誌の大衆イメージ操作は不気味だ。

消費社会の更なるお客さんではないか。w
環境破壊・ゴミ処理問題を増幅するのじゃないかぃ??

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この世界のが基本。貴族的な基準。
見えること、あるいは物質や情報的に測り、
優位性を作る保つことが目的の社会。

それはヒエラルキーを自然と発生させるようだ。
貴族思想の悪徳な流儀というか。

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 昭和40年代に生まれた私は、近代から現代について、
「西洋・金銭・物質」・・「見えること」「基準化されていること」への
崇拝・礼賛という風潮がいっそう増していくことへ、
疑問や違和感が尽きないのであった。

士農工商は明治政府の教育方針で波及させた用語であり、
競争や芸術という言葉も明治政府の造語である。
故に、私の尽きない疑問や違和感は、不自然な感覚ではなかった、
とそれを知って確信に近いものがある。

現代日本人が当たり前に使っている熟語の多くは、
欧州圏の属国・欧州貴族国際金融家勢の日本支配独裁収奪のために、
造語されたもの、と捉えることも
できるかもしれない、とまで思ってしまう。
西周・ニシアマネが指揮した明治造語)

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祖父母から聞いていた昔の話、祖々父母のこと。
明治中期頃から昭和初期頃までの日本人の人柄や心のありよう、
所作、しぐさ、暮らし方。
また大 東 亜(戦後に太平洋戦争とGHQによりマスコミや教育現場で
変換させられた用語)戦争を
幼少の頃に経験し、戦後に思春期であった父母の価値観、考え方。

先祖を意識する生活感の流れの中に日本らしさを感じ育ったが、
徐々に日本らしさが、歪に変化し続けている何かを
常に感じてきた。それは自身の感じ方考え方生活感の変化からも。

そして人生の五十年間で現代日本の中に、その日本らしさが
風前の灯であろうことを実感し、耐えがたい哀しみを憶えている。
もう、その状況に諦めなければならないと思いつつも。
伝えたくなる思いが込み上げてくる。



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【12/19 一部 加筆・修正】