ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

今夜の打ち上げ花火で思ったこと。

今日の夜、7時半頃から8時頃にかけて、
近くの緑地公園で花火が上がった。

音がド〜ンド〜ンと鳴っているのに、台所で気付いた。

数週間前の回覧板で、
サブライズ花火を打ち上げます、という住居地区の広報誌記事を覚えていたから、
今日がその日かと、思わずすぐ近くにある歩道橋へ向かった。
幸い、何とかうちの近くの歩道橋からは、ビルやマンションの高さを凌ぎ、
鑑賞させてもらえる状況であった。

夏の花火には、たくさんの思い出がある。
また、花火というものを色々考えさせられることもある。

(火薬という資材が戦争に使われた時代から、
市井の饗宴へと移り変わった、中世戦国時代から江戸社会の政治施策は、
非常に大切な政治力とワタシは思う。
法的措置ではない鎖国だが、情勢に合わせ国防政策を采配した当時の政治力の智慧深さを思う___)

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今般のコロナ禍で、公的なイベントがことごとく中止されている中で、
歩道橋から鑑賞した今日の打ち上げ花火の光景は、心にひとしお響いた。

様々に、思いを重ねながら短い時、その打ち上げ花火の饗宴を
哀しさや味わいを込め観覧させてもらった。


その後である。
毎年、うちの近くの電線に物凄い数の椋鳥が今年は、1匹も来ていない事に気付く。

何という鈍さであろうか。
鳥は花火の音でおののいて、逃げてしまうことを家人と話していた矢先であった。

もう、今の住まいになって11年が経過する。
毎年、椋鳥は6月から10月ごろまで、電線でたむろして、
朝夕の大集会が馴染みであったのに。
今年、2Km程離れた花火を見た後で気付いた。

自然の生物の行動、いつもの鳥が、虫がいるかいないか、
小さな植物が生えているか否か。
繊細な自然の変化は、刻々と異常性を増して来ている。

朝夕に駅前の電線でたむろしていた椋鳥は、
ぎりぎりの自然現象であったのだ。
それが、今年から一気に居なくなったことは、
とてつもなく異常な現象と感じた。

そう言えば・・・日中も、椋鳥をまったく見ないのである。
更に、カラスも減っていることを感じる。



物凄い勢いで、人間以外の生物の生存環境が壊されているのを感じる。


電磁波であろう、とワタシは断定したくなった。


みなさまが一気にスマホを解約すれば、
コロナ騒動さえも、奴らがてんてこまいになることをワタシは想像するのだ。
S N Sで、あらゆる問題を投稿する便利さよりも、
S N Sで、あらゆる利益を生むための活動をするよりも、

人として生きていく場を自身が責任を持って生み出せる世界は
ふつうの行動で作れると思うのだ。
今までの世界はそれで循環していたのであるから。

特別な便利さが、人間をこの世界を生物の生態を
破壊し続けているのではないのか。



文明の利器を
捨てる覚悟・決意も、
時に、人間に必要な気がする。

長い歴史の中で、こんなに簡単に捨てることができる、
文明の利器は、稀少である、と思う。(w)

所詮、そんな進言は無理だろうが、百害あって一利なしという道具に
しがみつく、執着心という内省が、
今、世界中の人間に必要ではないのか?????


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