ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

徒然(1)___自己愛について

 

 

歳のせいだろう。

説教がましいことをつい書きたくなってしまう。

機嫌を損ねる内容であれば、スルーくださいマセ。

 

 

自己愛という言葉にワタシは良い印象がない。

英語で言えば、ナルシスト、ナルシズム。

ナルキッソス - Wikipedia

 

 

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現代日本人が「自分を大切にする」という意味を

マスコミ(19世紀後半〜21世紀現在において)影響下によって、

偽ユダ汚染脳にどっぷりはまり、「己」の解釈をはき違え、

“自己愛”へと邁進しているように思えてならない。

ギリシャ神話での寓話が訓戒にも感じる。

が、そこにも想像力が及ばないほど、

ヒドイ汚染脳社会のニッポンではないのか?

 

 

直近で言えば。

“自分へのご褒美”というバカバカしい

企業マーケティングキャッチコピーは、

偽ユダ汚染脳による自己愛が強くなるほどに、反応する文言だろうか。

 

己を尊ぶという感覚は、

自身が体験した出来事によって反応した感情を

良きにつけ悪しきにつけ受け入れて噛み締めて。

これまさに人生の味と。

 

陰陽の感情もすべては「いまここ」に存在することとして、

物理次元の複雑に抽象的に解釈され続ける世界に、

己の芯を見出す作業を提示されている訳で。

 

 

宇宙の采配にひれ伏すような、

諦観を通過しての、人生の新たな一歩を体験しての魂。

 

そんな繰り返しが「人生」ではないのか。

 

 

 

(こんなこと書きたくもない)

 言葉では安易に伝えられるべくもなく。

 

高遠な時間世界に空間に

おそらくはすべての人が意識の顕れを

生きている気がする。

 

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自分が様々に努力し頑張っていることは良しとして。

他者も同様であることを想像する了見が、薄くなっているのでは、と。

 

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他とワタシは限りなく繋がっている、という至極あたりまえの感覚を

失っての数千年。それがインチキ宗教の起こりでもあろう。

 

自分を大切にするというのは…。

世界を見つめ学び、自身を知り

自身が体験の渦中で気付き

より深く広く視点を育て、自然界、宇宙摂理へ

お役に立つことで、喜びになるよう、

生物としてそう「設計されている」ような気がする。

 

(はたしてワタシはその域に達していない

まぁこれが年寄りの戯言。悪しからず。ww)

 

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企業サイドのマーケティングや、

集金目的で甘い文言・思想を振りまく集団、団体に

すべからく疑問が湧く。

 

 

偉そうな言葉を当方、羅列するクセに。

卑近な例えかもしれないが、

グリコの“おまけが目的”でキャラメルを買う。

ビックリマンチョコのチョコレートを

捨てて、シールを集める幼児から青年ら。

 

戦後日本、

日本高度経済成長、

バブル前後崩壊日本、

バブル崩壊後のグローバルを

マスゴミ連呼の経済西洋盲信汚染脳日本。

令和でもさらにマスゴミを盲信し、

自滅の道を無意識に進まんとする、

ゴイム脳に成り下がったこの地の人々。

 

 

 

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グルメ、旅行、ブランド用品、高級外車、高級住宅やら高級マンション。

頑張ったワタシへのご褒美は、ビックリマンチョコのシールを

かき集める幼児と思考回路が、何ら変わらないように思う。

 

慎みや思いやり、他と共存する中での苦労と歓喜

そこで培われる想像力。 

        

 

(みなさま農へ!!と。

 自然と関わる中での気づきが真実への突破口)

 

 

 

時に我慢も必要で、時に涙を流した方が、

人生として味のある生き様になるのではないか。

 

悪魔崇拝の権力者は、味がわからなくなる衆生の生産が目的。

つまりゴイム・ブタもどき(豚・家畜の意)の

増産に余念がない。(生物人類の人工化)

 

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初老のワタシは、

現代の汚染脳に踊らされていると感じる、

若い世代に思うのは、

多量の、映像画像文字、電子媒体・紙媒体・映画やドラマで

刷り込まれた、

“むかしの人々の苦労”、刷り込まれた“イメージ”を避けるために、

イイトコ取りに執着するが故の、新たな苦悩、歪んだ苦労に

直面している

 

気がする。

 

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体当たりという言葉が、ワタシは案外好きだ。

 

体を使い、心・感情は負にも醜にも揺さぶられ、

それでも、気合いを入れて、決意・覚悟。

 

それはこの世に生まれてくる寸前の、

初心・無垢のたましいの、心境にも似ていて。

 

 

それはやがて、悲喜交交の世界と対面し、

汗をかき、恥をかき、べそをかき。

変化の妙を体験す。

 

 

無難にすべて避けるようにして逃げるようにして

つつがなく、死に向わんとする姿勢は魂として背徳的か。

 

パッケージ化された“幸福”という甘い蜜に執着する心境は、

かなりまずいのじゃないか、と。

 

執着の__

執の文字が、幸と丸であるのも、偶然ではなかろうと。

 

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大地に根を張る精神を育てていく「根気」「根性」は、

やっぱり大切だな、と思う。

なぜなら。

 

 

両親の背中が育ててくれた

「良心」が育つ原点だ、と思うから。

真実への気付き、虚構への対峙。

良心というセンサーが、この世界を動かすのかな、と。

 

 

 

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偽の価値観をばら撒いてきた

マスコミ終焉の時代を思う。