文章を書くとかえって、大切なこと、本質がこぼれ落ちてしまうから、
あまり書きたくない事もある。
母が亡くなり10年近くになり、心のざわめきが静まってきたと
感じるので、残したい記憶を少し記す。
********
第三波がやってくる、と恐怖心を煽る報道があるそうで。
マスコミにできるだけ接触しないワタシの耳にも届く。
今回のウィルス騒動をワタシは斜めの角度から見ているから、
役に立つ内容ではないと思う。が、以前から感じていたことを
次回に備忘録として書きたい。
********
13年前、母がガンであることが判った。ワタシの人生で最大の
ショックと言っても過言では無かった。家族で衝撃を受けた。
母方はガン家系ではないと聞いていたから、余計に信じ難かった。
宣告後、早急に弟と一緒に治療について、本屋さんやネットで様々に調べた。
検査後ステージ3 A-IIと判明し、一刻も早く手術をと医師から告げられた。
だが、ガンが自然治癒する話も聞いたことがあったから、
医師の勧める“胃を全体に更に胆のう切除”の選択をいきなり決断ができなかった。
猶予を医師に願い、2ヶ月間。
毎日ネットを駆使し、本屋にも行き情報を
集めながら、母の養生を検討しあれこれ試した。
が、その甲斐もなく、診察時に、
胃がんは以前より「ガンの相、顔が悪くなっている」と
レントゲンやCT画像を観察する医師に言われ、指示に従い手術に踏み切った。
2ヶ月という期間、素人判断の試行錯誤が、母に申し訳なかった。
手術後、体力が激減してしまった母の姿を思い出すと堪らなく、
今も心の痛みは消えない。
が、その後の五年間の養生の生活で
学んだことは、ワタシにとって余りある大きな学びを与えてくれたと思う。
母が亡くなるに至る五年間の経緯は___。
手術の後、3ヶ月毎の検診を受ける。2回目の検診・半年後、
再発及びリンパ節転移を言い渡された。
その日、ワタシは病院を出て歩きながら、号泣したことを覚えている。
母に心配、迷惑を掛けてきたワタシの生き方、人生の後悔と反省。
そして母の苦労の多い人生に子供として身を引き裂かれるような想い、回想。
あれこれ今も、やり場のない苦しみとして残っている。
母の人柄、忍耐力、その偉大さにワタシは今尚、ただただ平伏の思いだ。
抗癌剤を術後拒否して来たが、
半年検診でいよいよ投与しなくてはならない段階に。
それをも検討させてくれと医師に伝えた。
様々な経緯があり、
現代医療への疑念疑問から、更に情報を集めることにした。
食養生やお手当の具体的な注意点を書籍にて知り、びわ葉の自然療法を始めた。
食養生セミナーにも参加して学び、玄米菜食の重要性を知り実践。
安保福田免疫療法をし、歩くことの大切さを知り実践し、笑いヨガもした。
人参ジュースも良かったと思う(人参、レモン、リンゴ=圧搾ジューサーにて)。
無宗教ではあるが、精神・身体へ感謝の祈りは偉大であることも………。
もちろん、食養生に入る時には、
冷蔵庫のあらゆる化学添加物食品を一気に廃棄した。
その時、父母は少々戸惑っていたが、
ワタシにとってはリアルな危険と感じたのである。
情報を集める中で本当に恐ろしい食べ物について知ってしまったから。
そして半年検診の約2ヶ月後、自然治癒に至った。思ったより早く功を奏した。
それには心当たりもあった。検診の少し前に母は高熱で四日間ほど
寝込んでいたのである。
手術後、8ヶ月に当たる予約診療の日。寸前の診察室の待合所で、
医師とたまたま対面した時に、「○○さんの勝ちです。」と。
一言だけ医師が発した瞬間が
今でも脳裏に浮かぶ。
その診察で退縮していることを医師が確認し、また次回の検診予約を終え、
母とワタシは心の底から喜んだ。
そして、3年間。
母は以前の健康に近い状態を維持しながら、
新たな人生を生きるべく様々に養生を実践した。
しかしだが、ガンを克服することよりも目に見える大きな課題が、
哀しいかな実家事情に山積しており、
バブル崩壊の痛手も引きずっていた。
小規模事業経営者である父の重荷は、母にとっても大き過ぎた。
その後の顛末も、未だにワタシの心を重たくする。
が、ともかく、ガンの自然治癒の
ノウハウ、心構えのようなものは、少々、知ることができたかもしれない。
本人の意志だけで実践するのは難しい。
母のことを思えばこそ、家族が力を合わせ一緒に実践ができたのだと思う。
前置きが長くなった。次回に大した内容ではないかもしれないが、
そうした母の自然治癒を体験したワタシが、実践しようと
思いつつも、しなかったけれども重要だと思う一冊の本について。。。
新型コロナウィルス騒動とリンクしているような内容がある。
それについて、備忘録として記そうと思っている。
*****
(11/20・ 11/22 修正・加筆)