自給自足に近い江戸期までの農村社会に、明治維新以降、
貨幣経済が押し寄せた。
戦争経済に突き進む19世紀末からの社会下では、
税金徴収となり若い男女の賃金労働、女工・人夫・徴兵制へ。
郵便や鉄道、水道、電灯、・・・。小銭が必須のインフラが、
毛細血管のような役割を担い、大きな経済を動かすべく
偽ユダ自作自演巨大戦争に加担する基盤を整えられていった。
寺子屋を廃し学校教育が強制。大衆文化活動の「講」も壊された。
武士たちは仕事を失い、商業、事業など転職となった。
競争や差別のない穏やかな江戸時代とはうってかわって、
帝国主義の恐怖を明治〜昭和初期の人たちは露骨に味わった。
現代はマスコミやネットメディア、多国籍無国籍企業の所有者・資本家の
君臨に気付けない_______世界中、ステルス帝国主義か。
当然ながら江戸幕府財政財務の引き継ぎはなかった新政府。
長州藩中心の下層武士らのクーデターの如く発祥した明治政府には
財力がなかった。故の、幕末から彼らにエージェントは、接近し、
新政府を操るべく国際金融家・欧州貴族勢からの巨額の資金提供、
技術指導、公共整備事業、学校制度を使ったキリスト教啓蒙などが、
矢継ぎ早に行われた。
それらが現代日本社会の閉塞感、呪縛、
汚染脳の元凶とワタシは解釈している。
(16世紀以降。信長・特に秀吉思想の大衆にとっての茶への想い(ゆとり・豊かさ)ではなく、
“先祖(535年〜)渡来家系選民集団権力者らの密会密談_耶蘇会のための
茶湯、茶道に変質”したことも知る必要があろうか。
幕末政変の裏側の主要人物とキリスト教、欧州貴族勢、偽ユダの
利己利権支配が日本裏社会に、 今も尚、甚大な影響があることを推測する。)
第二次世界大戦も同様にシナリオ有りきと読み解ける。
映画ドラマ小説での明治の肯定感や教科書にある文明開化。
(大東亜)タイヘイヨウ戦争責任ドキュメンタリーや欧州USA学者や
日本(在日系)工作員御用学者らの日本を分析した、事実史実から
目を逸らすための偽書群。ベストセラーという文言の宣伝=喧伝。
「偽」ユダ勢の凄まじい選民意識が恐怖心の写鏡となり、
それは脅威として日本人の中でも特に自然種倭人系は
根絶しの標的となっているこの国。
日本の裏側に、535年以降に蠢いた勢力の加担も‥。それはともかく。
(欧州のための)国際社会の自作自演の裏舞台など露程も思わせることなく。
まだマスコミにウブな世界中の大衆は、巨大戦争は国家間の利害戦争であった、と
信じ込んだ。戦後日本大衆には、帝国制軍事国家の断罪の象徴として
A級戦犯と銘打った政府首脳陣を吊し上げ、東京裁判というショウウィンドウにて、
G H Q配下マスコミ、売国奴らが演出をした。
数千年前から日本というこの地に住まう祖先から続く今の私たち。
民族性、風土、伝統、言論、信心…生活習慣、当たり前にそれを尊ぶ心が、
全て戦争戦意の元であるかのように。
戦前マスコミ・天皇制強化・好戦的帝国政治(偽ユダ資金で樹立の国家)と、
戦後マスコミや行政、日教組などで敗戦の責任・反省として、
偽ユダ・欧州勢を礼賛させるための偽平和の啓蒙がある。
権威・ピラミッド型価値。国際支援、国境なき何とか、
献血・ワクチン、何とか賞、何とか財団、何とか認定__が、
本質の平和から遠ざかるよう組織・偽ユダへ富が還流するシステムを作り続ける。
戦前も戦後も、大衆の自己欺瞞・偽善を奨励する偽教育が続いている。
欧州貴族と宗教、国際金融家らの長期超大罪には
一切触れさせることなく。
疑問を抱かせることなく。
如何にも、その戦前戦後の流れ、計画的汚染脳その偽情報量の膨大さは、
偽ユダ主導のG H Q~C|A指図のプロパガンダに他ならない。
家畜としての消費者。奴隷としての労働者。
生贄としての奉仕者。実験台としてのモルモット。
そうした構図で、USA他、世界中にばら撒かれる、
日本の国益、人力、知力、あらゆるものを国際社会でロンダリングし、
国際金融家欧州貴族勢が吸い上げている。
西洋礼賛を信じて止まない国民になったお陰で。
そして、省力化・無抵抗が可能な制御自在の
ロボット化か。
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近代から現代社会の社会環境や農家の人たちの心情の変化は
どんなものであったのか。
農村ほど極端ではないにしても、明治大正昭和初期、
都市部もまた大混乱の時代であったことは想像に難くない。
今も尚、偽の光が、現代日本社会に暗い影を落とし続けている。
ほとんどの現代日本人は明るく良い社会になったと信じている。
否、信じたい。
その実態が、偽物の光であることに気付くのが恐ろしいから。
偽の思考回路〜精神構造、表層の潜在意識、集団無意識が
形成されてしまったから。
感動というものにも、偽物があることに気付く必要性を思う。
作られた感動が、偽の光を求めてしまうものである。
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夜の満天に輝く星々が見えなくなったこの時代。
真っ暗な夜、静けさを体験すれば、きっと都会の夜の光や騒音が
異常なことであると気付くだろう。
が、生物としての命、深淵なる意識の世界、
その基本を忘れさせるような
現代社会環境ではないのだろうか。
省エネといいながら、原子力のオンオフ不可能な発電のために
電気を馬鹿みたいに使わせる道具の数々、公共施設には呆れる。
集合住宅の防犯と称する通路用の電気も相当に、
夜空の美しさを感じるのをかき消すのに日本全土に悪影響を及ぼしている。
まだ、私の幼少の頃は、夜12時頃にはだいたいテレビ局も放送を終了していた。
今のような高層集合住宅はなかった。
電力が、火力か水力だった時代である。
24時間営業コンビニはなかった。多くの人たちは午前1時はもう夢の中。
深夜の静けさはまだ残っていた。
暴走族という警察さえワザと取り締まらないような、
悪質で裏事情のある輩はいなかった。
パトカー、救急車、消防車も、今ほど、サイレンは大きくなかったように思う。
無駄に大き過ぎるサイレンにも疑問である。
原発電力消費のための、国家権力誇示誇張のため、
街灯の多さ、メディアの多様さ、ニュースや新聞は恐怖心、危機感を煽り、
悪人廃人、無法者。捏造、冤罪も込みで
事件・事故・災害を意図的に増やしているようで。
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夜景の綺麗さに感動する現代人。マヒというか鈍感になったというか。
偽の感性を象徴しているかのようである。
鈍感さをもたらしたものは、マスコミと教育、既得権益者のための政治行政、諸々。
そして多国無国籍大企業製の物質物理への依存(肉体劣化)と
言っていいのではないか。
事実、体験では無く、仮想体験となる、
映像・印刷物の画像や文字・記号で、
ワレワレの脳は、すっかり汚されてしまった、と。
バーチャルや睡眠不足が、思考の怠慢、身体の怠惰をいっそう加速させる。
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江戸期までの庶民の日本人は、丈夫で健脚。
朗らかで、ひょうきんでもあり、人が良く、自由さがあり、遊び好きで、
他人にも他生物にも優しく親切で。
美意識を持ち、慎み深く、健気で、人懐っこかった。
個性的で、前向きで明るかった。先祖を敬い子孫を慈しむ。情愛は深く・・・。
身体を十分に使う暮らしの時代の方が、
人間の精神状態は、まともだったことの証明ではないか。
昔の日本人像が「逝きし世の面影」(渡辺京二氏著)や、
故杉浦日向子氏の著書に記されている。
母や祖母からの当方の話だが、明治半ば生まれの祖々父母たちの人柄は、
それらの著書に書かれてある日本人像と重なるから、
本当の事が記されていると思うのである。
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(11/17・18 修正・加筆)