たぶん30年くらい前からと思うが、日本で
講演会という活動が盛んになった気がする。
それ以前にも、そうした活動はあったと思うが
閉鎖的だったか、と。
その時期から始まったであろう大衆動向。
数千円のお金を払い、2〜3時間くらい、
数十人から数千人が動員される会場で
マスコミとは関係のない活動、思想をもった人物が登壇し
演説を聴くという動向。
私もメンターと思える人物の講演会を幾度も参加した。
が、今やYouTubeやニコ動などで講演会を視聴する事が
簡易にできる時代になった。
総じて思うのは、同じ事を繰り返し伝える人、一貫性ある
人は本物。
飽きるくらい同じ事を言う言論講演者は本物。
多数の人は、また同じことを言っている、と感じ
飽きてしまうのが世の常。が、しかし骨子があればこそ
同じことを言わざるを得ないのではないか、と。
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私なりに伝えたいことは、言論も役割分担があって、
例えるなら数珠のようなもので、真実の珠を
一人一粒、覚醒者が伝える。それが繋がっていく。
本質、真実を繋げていく。普遍に気付くのを促す、
同じ事を繰り返し伝えるお役。
人間一人一人のお役目があるからこその現象かな、と。
真理を真実を全てを伝えられる完全なる教祖などいない。
つまり救世主はいない。完全無欠の存在はいない訳で。
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真実・真理っぽいこと、
あれを言い、これも言い・・・。
でもしばらくすると逆のことを言う。
偽物。まさにマスコミ的性質そのもの。
そうしたマスコミに類似する言論者は
言論者ではなくペテン。
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愚直に、、同じことを聴衆が
飽きるほど伝えんとする姿勢は
数珠の一つの玉のお役を担っている人物と私は思う。