ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

最近の会話から・・・

 

 

先日、家人との会話。

国というカテゴリーができたのは、ある意味で

近代になってからだ、ということを話していた。

以前にも家人がそんなふうな話をしていたのだが、確かに。

 

私たちが日常で国家というものを普遍的な枠だと思っているそれは、

中世以降、欧州の植民地化奴隷支配が徐々に激化して、

近代に至る時期に、欧州主導(欧州貴族・国際金融家)のもと、

極東(主に支那)植民地化争奪の戦争とマスコミ勃興も相まって、

国際機関や国際条約という欧州勢のご都合であくまでも利己的合理性で、

地球社会整備が為された、と思う。

 

それ以前の古い時代について、残っている文献や遺跡など

学問として歴史学で国としてある程度、解釈・定義はできるものの、

地理的、技術的なことを思えば、

はっきりとした国境を作る訳にはいかない時代である。

 

 

自然環境の中で、生活に適した場所に人々は自ずと集まり、

遺伝子に即した生活集落の集合体が、

自然環境から受けた精神活動で信仰も発生しての、

代々暮らしてきた状態。それが民族だろう。

時に、土地、水、人間、動物、食糧、物資などの争奪があっての、

境界線であったと思う。

生活圏、なわばりを守ることが前提としての強者が

次第に、有力者・賢者となり、首長としての立場が発生する。

いわば動物的な行動が民族の元と言ってもいいだろう。

 

だが、世界で最も争いの絶えなかった歴史を持つ欧州勢。

地勢として荒涼で、古代ユダヤの特殊な宗教観(*1)から一神教を背景とした地域は、

古くから国境というものが重要であったであろうことを

世界史でも教わることである。

(本ユダと交配した親戚縁者の意地の張り合い文化の

 成れの果て文明と比喩したい。) ー△ー;

 

現代の国家というものが、近代の欧州勢の政略によるもの、という視点で、

まずは地球のあらゆる国々、地域の利害を想像する必要があるのだろう。

 

なぜ、こんな大それた話を持ち出したかというと。

日本は今、とても危機的な状態であると何となく思うからだ。

ごくふつうの大衆のワタシがこんなことを書いたところで、

意味がないかもしれない。が、ネット上で散見する日々のトピックを

見る度に、ある種のシナリオを想像し考え込んでしまうからだ。

 

今回のウィルス騒動も当方なりの分析では、存在しないと

記している。911と同様の茶番であろう、と。

 

このウィルス騒動で何か変わったか、と言えば

一般的には生活様式だとか、仕事環境だとか、色々あろう。

が、もっと大きく変わり始めているのは、都市に暮らす人が

地方へ移住する人が311の時よりも、もっと増えている事ではないだろうか。

かつ、政府も移住の補助金に踏み切った。

地方への移住は人間にとって生物として悪くないことだけれども(*2)・・・。

 

そして、ムーnショット計画は、一体誰のためなのか。

今、東京の高層高級マンションが売れている、不動産価格が上がっていると。

 

誰が買うのか?

 

中国人富裕層__"経由"の、

欧州、USAの資本家中心の富裕層・貴族層であろうか、と。

ロボット化を駆使して、選民都市にしたいのではなかろうか。

 

日本を東西分断し、微かに残る民族集合性を完全破壊し、

外国人資本家や貴族らが支配せんとする

在日による現況の傀儡国家どころか、21世紀型植民地支配(*2)

日本大衆による経済活動(短絡労働と白痴生活)の機能のみを吸い上げる

資本家&欧州貴族の私物国家の設計が、

実現し始めている、と考えてしまう。

(日本は60Hzと50Hzの電力に分かれている。

それは明治にドイツ製とUSA製の発電機が発端という。

こんなことを記すとバカにされると思うが、ワタシは明治からすでに偽ユダらは

分断を予定、誓約の想定図(予告図)にしていたと考えている。)

なぜちがう周波数ができてしまったの?|教えて!かんでん|関西電力

(関電もなぞの発信記事である。大株主が欧州系ではない、ということかも。)

 

*****************

 

ウィルス騒動を言い訳に、日銀にジャブジャブ~円~を流させて。

昨日の東証のシステム不具合も、日本の中堅大企業に打撃を与え、

更に安く買いたたく算段が秘密裏にあるのではないか。

 

5Gの市場を中国ファーウェイから奪うのにも、一旦人体に

危険なことを誇張し、

(電磁波は確かに、危険だが恐怖を煽る分析・出所が

不明なネット情報の増加と減少が、策略を物語っている。)

 

欧州やUSA(GAFA)に都合の良いシステムに変更し、

ケイタイ市場も完全支配下に置きたい戦略があっての、ネット上での

情報の拡散と収束ではないのか。

珍しくマスコミで取り上げていたドコモ騒動も、欧州勢に支配権を

移していく前哨戦では、とも思う。

 

 

ワクチンを世界中に売りさばこうとしているのは、欧州勢の製薬会社陣営。

 

加計学園問題も、日本政府のワクチン開発を抑え込むためと

以前から考えていたが、勘違いか?

ともかく、日本獣医師会も"剣蛇ロゴ"ですから。w

ワクチンは動物実験が核と思いますから。。。

(マスコミが裏金の問題で騒ぐのは、

 その奥に偽ユダ意図、それに反した時の見せしめが隠れている)

 

 

 

池袋や新宿東は再開発予定のところに、

騒動発生のコロナウィルス"ネタ"が、

マスコミ行政によってバラ撒かれているようでw。

茶番の極み。

 

ただし、ワタシは今回のウィルス騒動で、今までの乱痴気騒ぎの

経済活動が、社会主義的な要素を奴らが意図的に仕込んできたと思うのは、

嫌じゃないのだが・・・。

(それさえも、江戸社会を参考にしたであろう共産主義社会主義実験の

 米ソ冷戦時代があっての21世紀設計な訳で。支配地位を死守する茶番は果てしない。)

 

有色人種人口削減計画の糞目標もさることながら、

架空経済と実体経済の整合性を取るため、

偽ユダ勢が1ドル1ポンド1元たりとも、

損しないために行われているウィルス騒動とも言えるのではないか。

(円ダケハダダモレ??笑)

(超国家レベルでは欧州貴族勢の主導でUSA欧州中国は同じ穴の貉のようで)

 

 

そして、欧州貴族勢は地球環境を何とか維持しなくてはならない任務があろうか、と

推測している。元ユダ(*1)のために。

 

結局、この地(日本列島=地球の特異な地勢)を収奪したくて仕方がない、

宇宙人を装った元ユダ(一部の強肩な集団)のご所望

地球全体の災いを増やしている気がしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

老いについて 2

 

 

歳のせいだナ?!

度々過去の話でスンマセン--;

 

***********

 


もう約二十数年も前のこと。

福島県出身の友人が、確か江戸時代中期頃から峠茶屋として

続くお店のお蕎麦が美味しいからと、

彼女の実家へ訪れた際、連れて行ってくれた。

特にお勧めの鰊蕎麦を食べたのだが、

その味に感動したことは言うまでもない。


雰囲気も手伝ってのものだったかもしれない。が、

それまで経験したことがなかった

異次元の味であったことは確かだった、と思う。


はっきりとまではいかないが、今もその味の記憶が残っている。

言い古されたキャッチコピーのようにしか表せないが、

料理も年輪を重ねることでしか培われない

唯一無二の深い味わいへ。日々の丹精、真心が、

受け継がれ、研ぎ澄まされていくものなのだ、と。

 


思えばその感動は、現代日本人の生き方として、

もはや失われてしまったか。

「滋味深さ」「味わい」しみじみとした

何かをワタシにも伝えてくれたのだろうか。

そのお店が現在も続いているかは定かでないのだが___。

 

「滋味深さ」というものは、日々を重ね、

時代を経ることで育まれ、言葉ではない何かが次世代へ繋がっていく。

軽薄な現代人のワタシが語っても伝えられるものではない。


長い時代を超えてきた老舗店の歴史を吹聴するような佇まいではなかった。

さりげなく時代を超えて、庶民に親しまれ続ける、当たり前の凄さ。

有難い経験をさせてもらった。


鰊蕎麦を食べたことはなかった若い頃のことだが、

それ以来、温かいお蕎麦の好物は鰊蕎麦になった。

無論、あの時を超える鰊蕎麦に出会ってはいない。

今年正月は、この歳(五十過ぎ)になって初めて身欠き鰊を炊いてみた。

手間が掛かることは分かっていたが情報を拾い集めることができる

ネットという道具があっての初挑戦であった。

ネットも有難い面もある訳だが。^^;


果たして挑戦した結果は、初心者の味である。

あの噛みしめた時に口中でじんわり広がった

こっくりとした初めての鰊蕎麦の味。

独特の風味と歯応えを湛えていた記憶が改めてよみがえる。

現代であっても、身欠き鰊を作る現場の人も、

それを調理させてもらうことも、手間暇のかかること。

昔からある知恵の詰まった保存食だ。

 


ソーラン節で有名な鰊漁。江戸初~中期に始まり

小樽が鰊漁で湧いていた戦前まで。

戦後日本近海では鰊が超不漁になったと聞いている。

また、戦後は鰊の需要も激減し鰊漁は衰退した。

今や日本で一般的に手に入る身欠き鰊や数の子は、

ほぼ100%アメリカやカナダからと言っていい。

作詞家なかにし礼が人生経験をもとにした

「石狩挽歌」の歌詞。

見方によっては単に戦後昭和の哀歌ではなく、

AI化だグローバル化だのを連呼する政治経済、資本家らが

食をも冒涜する富の収奪の行く末か。

冒涜のそれにのせられ「慎みの奥にある豊かさ、滋味深さ。」を

感じ取ることもできないグルメ信者大衆の私たち。

哀歌が地球全体の現実のものとして、

繰り返されることを危惧してしまう。

 


「老いること」「歳月を重ねる」というものは、若い頃には分からなかった

滋味、味わいを楽めるようになるものなのだろう。

西洋文明が固執する不滅ではなく、無常という自然循環の普遍。

(西洋文明は己が不滅のために無常を他者の存在に突き付けてくる瘤)

 

そろそろ、ワタシもそうした味わい、楽しさに

気付けるようになりたいものだが…。

現況の自身を思うと、いわゆるオウベイ化した人間であり、

親世代くらいまでの大人は、まだ古き日本の大人の側面があったことを痛感している。


まぁ、若さも悪いことではないけれど。

現代日本はマスコミ、教育、政治、経済、それらの偏向情報が、

企業のための貨幣経済を延々と拡大させ、

快適、便利、時短、肉体の苦労から目を背けさせ、

溜まったエネルギーを乱痴気騒ぎや自己愛の活動で

発散させるような動向をセットに若者文化の体で仕掛けてくる。

若さが、すなわち軽薄さ幼稚化で、劣化を意図した汚染脳社会。

 

喧伝の若者礼賛の底の浅い文化が、

幼稚さと若さを保っての長寿を渇望する矛盾は、自然摂理に抗うようで、

社会混乱の一因でもあるだろう。


本質から目を逸らさせ"偽人生観や虚の美的感覚の基準"を作り続ける。

アンチエイジングというものも、また

プロパガンダとして恣意的に蔓延らせている、と常々思うのである。

 

 

行者の研鑽と、市井の苦労の違いというのか。

意識的よりむしろ生活者として、

無意識に幾多の苦労に揉まれた人にしかない、

しみじみとしたお年寄りの表情、眼差しに出会うと、

風雪に耐えてきた深山幽谷の巨木と重なる。自ずと畏敬の念が湧いてくる。

そういう方がもういなくなったように思う。


逆に、若々しくあろうと美容や健康(自己愛)に拘り過ぎる年配者には、

己の人生への不安感、恐怖心をまだ克服できない脆さ、

浅はかさを次世代は感じてしまうものかもしれない。

老いることから目を背けるほどに、ワタシも含め現代の年配者が若者に

軽んじられる傾向とその連鎖___が、

西洋文明

(幻想としての不滅の、富・名誉・権威~自己顕示欲・自己愛~の重視)の

蔓延と共に、自然の破壊へとつながってしまった、と。

 


体制側・支配層らの目的を孕んだ偽教育や権威、マスコミ喧伝に惑わされず、

誰しもせっかく年齢を重ねていくのだから、

味わいの楽しみを知ることに焦点を合わせ、あるがまま、さながらに。

滋味深さは特別ではない日々の心がけの中に。。。自身も含め、

先祖日本人の生き方を学び直した方がいい、と思うこの頃。

 

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何度も当方ブログに書名を記しているが、
改めて一部転載したい。

 

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「逝きし世の面影」第1章
11~12頁より

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日本近代が前代の文明の滅亡の上にうち立てられたのだという事実を

鋭く自覚していたのは、むしろ同時代の異邦人たちである。

チェンバレンは、1873年(明治6)に来日し、1911年(明治四十四)年に

最終的に日本を去った人だが、1905年に書いた「日本事物誌」第五版のための

「序論」の中で、次のように述べている。

「著者は繰り返し言いたい。古い日本は死んでしまった。

そしてその代わり若い日本の世の中になったと」。

これはたんに、時代は移ったとか、日本は変ったとかいう意味ではない。

彼はひとつの文明が死んだことを言っているのだ。

だからこそ彼は自著「日本事物誌」のことを、

古き日本の「墓碑銘」と呼んだのである。

「古い日本は死んだのである。亡骸を処理する作法はただ一つ。

それを埋葬することである。

___このささやかなる本は、いわば、

その墓碑銘たらんとするもので、

亡くなった人の多くの非凡な美徳のみならず、

また彼の弱点をも記録するものである」。


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上記の抜粋部分で、

チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)が、

江戸社会までを表現した「古い日本」という言葉を

「老成した日本」と…、ワタシにはそう聴こえる。

若い日本の世の中になった、という言葉をワタシは

幼稚化へと向かい始め、白痴化・劣化に至らんとしている

現代日本への予告にも受け取れる。

この地に生きる者のひとりとして、この書を読み返す時、

亡き祖父母や父母の暮らし方、振舞い、思い出話、心根に

思いを馳せる度、切なくやるせない思いが、込み上げてしまう。

 

 

 

 

***

ワクチンを肯定させるための・・・

 

マスコミ行政の偽情報垂れ流しと、

何の効果もないマスク&消毒&プラ板の演出は

いつまで続くのだろうか・・呆。(9/27加筆)

 

秘密裏に、主に有色人種を削減目的としたワクチンを

このウィルス騒動が、国  連やWH〇(ピルゲイツ資金提供)指示の

茶番をマスコミや行政が演出している訳で。

これが計画Aパターンとしたら、

トランプ氏のウィルス発生源の矛先が、中国であることも

計画Bパターン(超新型兵器での攻撃を視野に)と

いったところではないのか。

(偽ユダ・中共/華僑の極秘茶番)*9/27加筆

 

 

最近感じるのは、気象操作も露骨になってきている気がしてならない。

気象操作というのも超新型兵器の実験のひとつと考えられる。

 

ウィルス騒動の場合、

体制が流すすべての情報によって、国際金融資本家の傘下である

多国籍製薬企業や医療衛生品関連企業に

利益(保険医療費)が一気に向かっていく。

 

超新型兵器での攻撃の場合。

8月上旬の事故は、予行演習だったのだろうか。

 

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新型コロナウィルスが存在していないことを

発信し続けておられる、大橋眞氏(徳島大学名誉教授)。

御用学者ではなく、真実の発言をされ続けている

本物の学者さんです。

日野市市会議員池田としえ氏と共に、活動されている動画に

元気を頂きました。

18分くらいまでの演説、

35分くらいからの字幕大王さんという方の演説も、

解りやすいと思います。

ぜひご覧ください。

 

 

www.youtube.com

 

*************

 

 動画の1時間14分ごろ、

 新型コロナウィルスに罹らない予防のためにどうしたらいいか?

その解答はPCR検査を受けないこと」と伝えておられる。

つまり、検査もウィルスも科学的根拠がないということである。

資本家のために経済のために政治的な騒動を使って、

大衆をコントロールし利益を絞りとり、

AI社会を強化する目的で、都市部の再開発を強行する間接的な施策。

大衆を選別分断・排他排除しようとしている。

それがこの騒動の目的であろう、と。

 

「ストップ ザ PCR」&

「ストップ ザ ワクチン」。

*(9/27加筆)

 

 

 

 

 

 

 

潔癖症という心的病理

 

 

人間が綺麗か汚いかを思考するのは何故だろうか。

 

都会に暮らす人間は極端に綺麗か汚いかを思考するように思う。

 

都会とは人工世界である。

貨幣による力で、

都会が中心となってしまっている、

現代社会の人間は食べ物が人工に偏っている。

あらゆる化学物質を肉体に取り入れている。

腸がとても汚くなるのである。

内臓が汚れを蓄え続けるのである。

何故なら、人工に偏り肉体の自然の循環を

自ら破壊する行動をするからである。

 

人工的な空間にいるほどに、

潔癖症になる。

宗教者や哲学思考、

(差別的上下志向)の人間は

特に人工的な抽象思考が強いから、

更にその潔癖さが強化される。

 

自身の肉体が薄汚いこと、

生物として不自然さを

肉体と魂が直感してしまうからである。

 

香料や洗剤という道具、衛生ゴッコでごまかし

偽の清潔という錯覚で、綺麗だと

欺瞞を繰り返す生活。

そして、地球の美しさを破壊し続ける。

水を汚し、空気を汚し、大地を汚し続ける。

 

人間の腸内が汚れていくのと同じ。

最も汚いのは自身の内臓である。

 

 

 

 

キリスト教、バイバイ。

 

 

 

キリスト教を有難がる人。

たいがいにしてほしい。

 

だって、平等と言っているご本人を

有難がって崇めて、(植民奴隷支配による世界中の富・集金で)

豪奢な教会施設や学校やあらゆる団体組織で

ヒエラルキー作って。

 

平等の本質から、完全に逸脱した次世代が

延々発生して。

 

何してくれた?

どうなった?

本当に、その言説は人間を幸福にしたの???

(欧州勢の肉食習慣の影響で動物植物・地球の生物環境はめちゃくちゃになりましたょ)

 

 

まじ、勘弁して。

キリストさんの存在を利用している

悪人が群れる宗教教義その聖書を軸とした文言に、

なぜそこまで

心酔するのかね?

 

信者のあんたが欲得の塊だから引き寄せられるのかね。

あんただけ救われたいから金?笑

(教義を使って与え風パフォーマンス&もらうこと与えさせるテクニックに長けた

 社会全体を貧しくする志向___団体)

 

まじで、キリスト教の教義が

地球を破壊していますから。

 

 

 

もう、ほんとうんざり。

 

いりません。キリスト教

 

さようなら~~~~バイバイ~~~~!

 

 

 

 

卑しさ=___欧州

 

 

 

生物を頂く毎日。

それは食という行為である。

 

 

 

さて、なぜ生物の命を頂くことで生きるのか。

他生物の命を生かすのにわたしはどんな生かし方を

しているのか。

 

命とは巡ることである。

 

命を死して。

頂いた命を改めて生かすことである。

 

 

人間は己の寿命に執着する。が、

そこから漠然とした思考回路を離れてみようか。

 

 

頂いた命を生かす

生き方を模索した時に、

寿命だとか健康だの幸せだの・・・。

 

案外、安っぽい幻想なのでは?と。

 

 

たくさんの教訓教条を脳みそに刷り込んで人間思考の損得で

生きることを模索し、幸福感を得るための右往左往を

する生物・人間が、他生物の悲惨を作っていることに

想像力を使えない世界が、

貨幣社会ではないのかな。

競争社会ではないのかな。

 

 

 

 

あほらしくて。

もっと、魂が喜ぶワクワクする世界は、

現在の地球を支配する貨幣世界とは

別次元なんだろうなぁ、と思う次第。

命の歓喜は、現地球では味わえないのだろう。

貨幣に苦悩しての人生が、生きた証になっている。

ホント、アホらしい。虚しい。

 

元地球人ょ、金星でガンバレ。

 

 

先入観、既成観念。。。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという嫉妬の社会を超えていく。

(欧州貴族勢が作り上げた貨幣礼賛文明の精神構造。その社会)

闘いを繰り返してきた偽ユダ主導の西洋文明の異常さに気付こうょ。。。

(嫉妬・強奪・優越という稚拙な負のスパイラル精神構造の偽ユダ欧州勢)

 

あまりにも多くの争いが

あった民族集団・その思想宗教・完全貨幣社会

作り続けたい欧州貴族らに、

なぜ、今も尚、有難がり

啓蒙を続けるのか???

 

 

 

 

老いについて 1

 

 

些細なことだが覚えている三年くらい前のこと。

(当時30Kgまで受付けてくれた民営化後でも
まだ親切だった郵便の規則…(;Д;)……涙。)

 

郵便局の前で約25Kgの大きな荷物を

窓口まで持ち込むのに手こずっていた。

すると、通りかかった若い男性が力を貸してくれて、

呆気なく窓口へ運んでくださった。有難いことだった。

 

数日後、家人と二人で電車に乗っていたのだが、

少し混雑していたので家人は立っていた。

すると、私の隣に座っている若い女性が

席を譲ってくれたか、さりげなく横に隙間を作ってくれたか、

ちょっとそれは忘れてしまったけれど有難かった記憶。

最近、親切な人が増えたのかなぁ、と感じたことだった。

 

それからしばらく経ち、久しぶりに髪をヘナで染めている時、思った。

嗚呼、白髪が目立ってくると年相応に見られた故、

若い人に気遣わせていた出来事だったのか、と。

そしてワタシも、そういう世代になったことを自覚した。


逆に、現代日本の世相、世間全般に優しさが

足りなくなったと日頃から感じているのは、

大半の年配者が若作りにいそしんでいるという理由も、

多少あるのではなかろうか、と。

 

最近は〝アンチエイジング〟の大合唱である。

ネットCM・広告の刷込み・プロパガンダに、もうウンザリ、辟易している。

誰しも老人になるのである。にも関わらず老若男女みなが、その影響で

老いを忌み嫌っているかのようだ。

自分が老人になった時、粗末にされたり嫌われる負の連鎖、

因果を作っているくらいの想像が必要ではないのか。

生物であることを忘れそうな病的な心理現象ではないか、と。

 

と、エラそうなことを言いつつ、鏡を見るとシワやシミが気になり、

できれば容姿が年寄り臭くなりたくないなぁ、と思うこともある。

 

だが個人の願望をよそに実は、

年寄りらしさが、世間の思いやり、お互い様の雰囲気。

見えない「気」、優しいエネルギーを醸してくれることを

先のことで感じたことだった。

各々老いを受け入れていくことは、暗に世のためになるかもしれない。

 

 

昨年だったか。高齢者全体へのバッシングとも

受け取れる事件や事故をマスコミが連日のように取り上げニュースにし、

高齢者はひどく居心地の悪さを感じているようにも映った。

それも加勢してか。

現況の高齢世代は、出来るだけ若く見られること見せること、

流行に敏感で健康美容への関心も強く、ケイタイも充分使いこなせ、

若作り、若々しく見えることを意識し、肩に力が入っているというか。

気負っているというか、気負わざるを得ない風潮が世間に蔓延したようにも思う。

弱さや老い、哀しさ切なさを排除しよう、

影を見ないようにする自己欺瞞の強化というのか。

 

荒れ逝く社会。。。


若者文化に迎合し後押しすることが、

今を生きるという実践かの如く__…。

 

 

五十代のワタシも同様で年配者は、ほとんど白髪を黒や茶色に染めて、

服装もTシャツ・Gパン・スニーカーと、後ろ姿に限り年齢不詳の人が増えた。

以前の年配者は年寄りくさい、あるいは年寄りらしい服装であった。

想えばワタシの祖母は冬になると、和服で過ごすのが習慣で、

日常的に着物についての会話があった。

和服という服飾文化の奥行きは、洋装の比ではないことを

幼心に感じていたからなのだろうか。

年老いた頃には着物姿で日々暮らしたいという、漠然とした憧れもある。

だが、その奥深さが今のワタシの知識や生活習慣では、

もう困難であることを痛感している。

 

 

ありとあらゆる文化が、薄っぺらな社会になってしまったのでは

ないかなぁ、と感じる昨今。

 

今を生きるという実践が、即ち、使い捨て生活文化のようで、

それは錯覚ではないのか、と。

 

消費が生活を覆いつくし、企業主導の貨幣必須と

マスコミ・ケイタイ・ネット台頭の利己むき出しの現代社会。

心、想像力、創造を人間から奪い続けているようにしか思えない。

 

 

生活に於いての思考停止。

生活に良識、知性、文化というものが失われつつある危機感。

経済活動で稼いでは、使って捨て、使っては捨ての、虚しい社会。

虚しいと感じる心さえ喪失させんとする世相。

 

老成した大人、賢者、知恵者が絶滅せんとしている。

真実・本質からずれた、悪知恵を蓄えた"組織"だけが、

大手を振って闊歩する社会体制。

 

大人の幼稚化を戦略的に闇組織が作り出している。

戦中戦後の混乱期を知る人たちがいた時代の一昔前までは、

内省を込めて日本人は気付いていた「一億総白痴化」と。

今やその言葉さえも自覚できないほど、具現化されてしまった気がしている。

 

 

 

 

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アンチエイジングという"自己愛の成れの果て"である。

欧州欧米では、こんな事態が起きていることを最近知った。

 

 

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=0MkYa9Gvx8w

 

 

ユダキリ教文明__

人間中心主義 __ 欧州欧米文化の悲惨。

 

(日本は、明治維新以降、欧州貴族勢による、

"ステルス奴隷植民地化の支配社会"になってしまっていたのデスヨ)w

もっと詳細に言えば中世から。。。

現代日本は末期である危機感を持ちませんか?と。

 

 

有色人種大衆の使い捨て。

アシュケナジ偽ユダ選民君臨。

この汚染脳社会は……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日常のふしぎ

 

 

新型コロナウィルス騒動の影響が少ないわが家も、
先日、マスクのことで夫婦喧嘩をしたのもコロナ禍か?
くだらないことで火花を散らしてしまったのだが、
その内容はさておき。

その夫婦喧嘩の末にワタシの口から
思わず出てきた終結の言葉を記す。(毎度エラソウでスンマセン。^^;)


「例えば、野菜を育てて収穫するまで、
水やりや肥料を与え草抜きをしたりと、アナタは苦労を主張するけれど。
植物が育つのは、水やりや肥料を与えたから、だけではないのでは?

太陽があって、虫や微生物、多様な動物や植物、
雨や風、雷、大地…。
あらゆる自然現象のお陰だ。
お天道様の恵みがあって、植物を育てることができる。

にもかかわらず、自分の苦労だけを主張している。
収穫を奪っている、とワタシへの戒めの言葉、咎め心は、
ちょっと違うのではないか?」と。

その時言った内容は、概ねこのようなことであった。
愚妻だけど一応、奮闘はしているので。


いつもなら、家人は
「だ、け、ど、、、オマエが×××~~ガミガミ~~~!!×××!!ギャ~~!」と、
反論され、口論が激しくなり感情が高ぶって、

時に手が出ることも、ままある頑固で感情が極端な家人。
が、その時の言葉には少し耳を傾けてくれたらしい。
後は何も、言わなかった。

災い転じて福とナス?!


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さて。

数日にわたる今回の夫婦喧嘩の終結間際にあった、
ちょっとしたふたつの出来事の話。

昨年、初めてワタシは柴漬けを作った。が、
美味しいようでいて、微妙に訳が分からない風味が残る味であった。(苦笑)
成功なのか失敗なのか。
その柴漬けというのは、ナスと赤しそと塩だけの
単純な材料で、盛夏の高気温を頼みに乳酸菌発酵を促し、
2~3か月寝かし晩秋に近い頃、食べ頃となる漬け物だ。平安時代末頃から
あるらしい、ホンモノであろう柴漬けを目指したのだが…。

微妙に分からない風味に対し客観的な判断が欲しく、

知人に今年の初夏の頃に、作らないか?と話を持ち掛けた。
興味を持ってくれた30代前半の知人は、
一緒に作ろう~と言ってくれたのだが。
超小規模な農業を営んでいるその知人が、今年は残念ながらナスが
不作で、柴漬け用のナスまでは準備できないとのことだった。
すでに諦めていた数日後。突然に電話があり、ナスを50本ほど
もらったから、作れそう、と。
早速、知人宅でホンモノ柴漬けの仕込みの手伝いをしてみた。
どうなるかは、2~3か月後のお楽しみである。が、
盛夏ではなくなった9月に漬け、少々不安ではある。よって、
失敗も前提という、及び腰の試作の柴漬け作業となった。
ともかく、思いがけない知人の知人がナスを沢山くださり、
希望を叶えるきっかけとなり、有難いことであった。

 

わずかだが、ワタシも、いい加減な農をしている。
雑草や虫を育てながら?相談しながら?の、
変人による非常識なド素人の極小畑だ。
それでも、期待だけは大きい。ほぼ妄想である。
今夏、トマト、キュウリ、ナス、オクラなど
沢山収穫し、柴漬け用のナスの収穫と共に、
仲良くしてくださっている86歳のお姉さまに
無農薬の野菜を差し上げることを夢見ていた。
が、案の定キュウリは差し上げて喜ばれるような代物ではなく。
収穫時期を超えバットのように育ったキュウリたち。
(月に2~3回しか行かないから当たり前ダ。
かつ、わが家は案外大き過ぎるキュウリのファンであるから困ったもの。)

トマトは美味しかったけれども、収穫は極少量。
(雑草と共存させることを想定し育成するのだから当たり前である。
 それを不作という。w)

ナスも小茄子。肥料が好きなナスには劣悪な環境であったことだろう。
(生ってくれただけで感謝)

オクラも収穫したはいいが、雑草だらけの畑に落っことし、
見つからなくなってしまう、という始末。
何やってんだが?差し上げるつもりなど無いに等しい。


と、初秋の風が吹く頃となり、夏野菜の収穫期に幕が降りる。と、
その時、家人の実家から大きなトマトや形の良いキュウリ、
オクラ、ピーマンが届く。
その届いた日に、年配のお姉さまから、黒豆を煮たから
取りにおいで、と電話が入る。何というタイミングであろうか。


早速、年配のお姉さまに夏野菜をお裾分けし、黒豆煮を頂戴することとあいなった。
煮豆は箸が止まらない美味しさであった。
熟練の黒豆煮と、田舎の良い環境で高齢の両親が育てた野菜との
交換が、ワタシたちを満たしてくれた。ありがたや~。
単に、ワレワレは恩恵にあやかっただけである。

 

希望を叶えるのは、自助努力のハズ。が、時には肩の力を抜いて、
忘れているくらいが丁度いいようで。
そんなシンクロが、人生の楽しみであったりするかもしれない。

果報は寝て待て?!か。(シツコイ^^;)

 

が、その続きがある。
ちょっとした不思議な出来事、シンクロが重なった日。

わが家の冷蔵庫が、冷えなくなってしまった。(泣)

もう10年以上使っているので、昨年も同じ症状で、
まる一日冷蔵庫のコンセントを抜き、水抜きをして復活した。
(冷蔵庫の背面にたっぷりの排水が溜まるのである。)

今回も冷凍庫冷蔵庫から食材をすべて出し、
簡易クーラーボックスに氷と一緒に食材を詰め、一日待つ。
冷蔵庫高齢による恒例化である。(ハッ、マタ、オヤジギャグが…;)
これは仲直りのキッカケであったか。

コンビニへ大急ぎで氷を買いに行く時、協力的であった
家人の姿勢は、学ぶべきことである気が、、、しなくもない。
(負けん気の強いワタシの、もったいぶった反省。w)


知人の知人からの差入れナスを漬け物用に8本位お裾分けしてもらい、
家人実家から野菜が届き、
お姉さまから食卓に何度か出せるくらいの黒豆煮を頂いた。

更に、冷蔵庫が冷えなくなることなど予想だにせず、
昼間に猫用と人間用に、お値打ちになっている戻り鰹一匹まるで買ってきた。
その夜の、冷蔵庫不具合発生であった。
ショックとは正にこのこと。(小さい事だケド)


冷蔵庫が活躍してもらえない状況下は、
ワタシの安易な放置農への戒めであったかもしんないし。
あるいは、家人へエラそうな言葉を吐いたことへの
内省すべき鏡のように映し出された事件であったか。
日頃体たらくのワタシへの戒めもあったか。

冷蔵庫の前で、うろたえたのは言うまでもない。(笑)
ともかくは他愛ない出来事が、日常に変化をもたらした珍事であった。

禍福はあざなえる縄の如し。(モウイイッテ ーー;)

 

 

 


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貨幣社会は、とかくお金という数字による
価値の収穫、つまり収益が最重要視される。

だが、お金に価値を持たせるのに、
どれほど自然環境、他生物を犠牲にさらしているのだろうか。
大衆がそこに目を向けないようにするのも、重要な汚染脳であるだろう。


現代人は、自分が欲しい果実を育てるのに、水や肥料を
与えることには必死で、収穫することに頓着する。
だが、育てる行為以外の、育つ要因を忘れてしまいがちだ。
見えないあらゆる巡り、循環、自然の偉大な恩恵が無くなったら、
どんなに育てよう収穫しようと努力しても、
果実は生らなくなる。

 

農を労働の喩えとしたが、経済活動のみならずあらゆる

現象としての「巡り、流れ、循環」なくしては、

人工社会であっても成立しなくなるだろう。

国際金融家や欧州貴族らへ、ほとんどの富・資金が吸い上げられる、

現況社会システムは、崩壊・排他(有色人種削減・白人優勢思想)を

前提とした計画的なものではないのか。

地球帰還希望の元ユダのためw)*K氏説

特に日本は支配層利益のための国土分断の目論見がある、と思われる。

明治維新から欧州貴族勢・国際金融家が資本力を使い秘密裏に画策をしてきた日本国土東西分断計画が、徐々に白日の下に曝されつつある。

故に、日本人は西洋礼賛・白人文化への憧憬や宗教への妄信・が、

潜在的な植民地化汚染脳であり、

文化文明の有り様が、病んでいることに

気付くベキ時期。

 

マスコミやネット上で、選民体制の保守・保持、権力者君臨が秘密裏の目的で

発信される情報の数多は、そうした計画遂行の道具、挙動に過ぎない。

 

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マスクのことで夫婦喧嘩したコロナ禍以外は、

今回、お金やマスコミとは関係のない
日常のやりとり(物々交換)で些細なことだが
シンクロが起きたなぁ、と感じたりした。


わが家は、マスコミからできる限り情報を取り入れないよう暮らしている。
知人はネットも排除し、新聞だけは読むらしいがTVは見ない家庭。
年配のお姉さまも最近はマスコミに疑問を感じている方である。

恐怖心を煽り大衆の意識・直観・直感・感受性を曇らせ、
希望や生命力を奪うようなマスコミ情報を遠ざけるのが賢明だろう。

 

それぞれ自分自身の日常にアンテナを持って暮らすことで、
宇宙の流れからの采配なのか。
シンクロも生まれ易いような気もする。

個人的な小さな想いは人との交流とリンクしながら、

自然の恩恵と共に、生活は彩られ進んでいくことを感じた出来事であった。

 

 

 

*色文字の箇所を加筆・変更。(9/14)

ネットは情報チラシ。

 

 

テレビは商品パッケージ。

 

中身スッカラカン

 

 

 

*************

 

 

 

今更、かもしれないがインターネットが

チラシ化していると思うのである。

(以前は電話帳と思っていたが…--実状の記載という意味で)

テレビが発信する情報は、そもそも

捨てられてしまう商品の包装みたいなもの。

(意識次元で見ると)

(で、お金が流れ、集まってくる場は

「意識のスラム化」になるョナ)笑

 

 

 

 

インターの意味をリンク

インター - Wikipedia

 

 

 

ネット上では、

様々な情報をコピペのようしにして、内容がアフェリエイトサイト記事やステルスCMのそれらしきサイトに反映されたものばかりが、

グーグル検索で上位へ来るように仕組まれているのだろう。

(@w@=グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル

    =GAFA陰謀ロン?!=統括IBM

 

 

YouTubeに対して「アルゴリズムの暴力」と揶揄した、

某Youtuberの言葉が、小市民の当方さえ身につまされる。

 

と、愚痴を言う前に。。。

 

 

 

昔の人(明治頃の人の言葉と思う)が言った、

・タダほど高いものはない。

・安かろう悪かろう。

 

という$¥$¥「貨幣経済」の本質を忘れかけている

呑気なワタシを戒めようか。。。

 

投資額によって情報が、上質・上等にも下等・下劣にもなることは、

ちょっと意識した方が良さそう。(って、ふつうの大人なら当たり前だわな。w)

 

そんな社会状況だけは念頭に置いて、ネットを使うことだろうかな・・・。

がしかし、666呪詛のネット上では限界があるだろうなぁ、と昔から思っている。

(それにしても、電波は3文字。電流は4文字。シンクロが露骨。)

 

加えて、

テレビからの情報こそ、

安かろう悪かろう、タダほど高いものはない、、、ならまだいい。

が、タダほど怖いものはない。。。という欧州主義の末期の恐ろしさ。

(水だけではなく、空気にも金を払えの、

欧州貴族思想)

オタクラの頭どうなっとんねん???(笑)

新型コロ助、その前哨戦?!(呆・・・苦笑)

 

(偽ユダ=マスコミ支配の末を想像するとゾッとする世界。

 そこに関わる人間もその渦に巻き込まれていく様を思う)

 

 

偽ユダは即ち、

マスコミ資本家であり、

超大企業の資本家であり、

えせ宗教最強凶信奉であり、

選民死守超資産貴族

ということであろう。

(完全植民化・人口削減・欲望欲求や好奇心を操って

主に有色人種を自滅させる意図をもつ

金星&月でウロウロシテいる元ユダ"崇拝"の欧州勢力=

ヨーロッパ貴族&国際金融家

*下線部はk氏説より

 

(中世からの欧州勢力に注視。

 悪知恵蛮行の限り奪い尽くし植民地・奴隷支配・他国資源の略奪の上に、

 君臨することだけが、超巨万資産の糧となり続けた種族。

 外見が紳士淑女の体と裏腹。

 裏の顔のサタン。表裏差異の恐ろしさ異常さに気付く必要性。)

 

ともあれ、百聞は一見に如かず。

実感、実践、実行と事実がリンクし、

真実や本質に気付くものだろう、と。

 

日々の当たり前の生活こそ、ワタシを

育てている・・・ってなことを素朴に思う。

 

 

 

・追記。。。

包装・放送

 

~~オヤジギャグに気付く~~(寒w)

 

 

*この記号部とこの色部を加筆(9/10時点)

 

 

 

夢の中の話

 

 

昨夜も暑さのせいか、相変わらず寝苦しかった。

いつもより少し早い就寝であったからか。

いや、その前にうたたねをしていたからか。

(寝室に冷房がナイッ!!わが家だからかな。。。W)

姿勢を右に左に変えながらも、なかなか寝付けない。

と、そんな時間を過ごしていたら、

もう私は夢の中にいたようだ。

 

ワタシは風呂場にいるのである。うちの風呂は、タイル貼りの

昭和な風呂で、目地の汚れが気になる日々。(主婦業反省点ーー;)

なぜか、夢の中で浴槽やタイルがキレイになっていて、

改装したからか、いや、こんなにキレイなお風呂になって

有難いなぁ?!と思っていたら、そんなことはリフォーム資金が

捻出できないわが家では、ナイナイと思った夢の矢先に、(貧乏もんの現実逃避か?)W

幽体離脱をしようと何故か思った。

何故か、ここにいるのは違うところに来たのだから、

もったいないとも感じて。(貧乏性?笑)

 

まずは、外に出ようという夢の中で、意志が湧いてきた。

すると、どこにいるのか分からない知らない風景の街で、

飼い猫四匹のうちの一匹を抱えて、「空を飛ぶよ」と言って、

ワタシは意志を固めて、猫を抱えながら助走をつけて走って空を飛ぼうとした。

ちょっと飛べるか不安であったがそれなりに、街を見下ろす

くらいの飛行をしていた。

ある程度飛行移動して、降りることにしたのだが、

すでに知らない街を歩き出している。

少々不安になって戻ろう、と思い周囲を散策している。

途中、墓場やお寺の近くを通ったが、その辺りで飛び立っても、

戻れなくなり、違うところに行ってしまうから、と避けた。

他にも場面は展開されたが脈略がなく、説明できないので省略。

 

あれこれ街を徘徊したが、人が集まっている集会所なのか、

学童保育所みたいな所なのか、子供が中心となって

大人も集まっている場所に行き着いた。

時間では午後7~8時頃にお邪魔して、見知らぬ人たちと親しげに

しばらく世間話をして、そろそろ帰りますと伝え、外に出た。

その建物の横手には店舗兼製麺所がある。おじいさんがおいしそうな

麺を作っては商品として並べている。その息子か孫と話すことになり、

その人が、僕はカバンも作って売っているんだよという。

その商品を見せてもらって、買うことを伝えて、お金のやりとりをしようとしたら、

コインが全く違うもので、「全然、硬貨の模様・形が違うね~」と言って、

パラレルワールドからの訪問であることをお互いが納得した。結局、買わずに、

(どこかそのやりとりが禁忌という感じもあって)

その場を立ち去り、猫を抱えてまた飛び立つ場所を探していた。

 

街を歩いて、飛び立つところを探すも、急な勾配の階段歩道で、助走する

場所が見つからない。ここを下れば、坂道から走れるか、と思ったら、

ひどい鉄砲水が階段上から流れ、走ることができないなぁ、と思って。

夢から覚めていった。

ところで、夢の中で猫一匹を抱えて飛び立つ寸前に、猫がお腹を空かしていることを

心配していた。空を飛んでいる最中も、見知らぬ街の徘徊中も、

何か食べたい猫を気にかけていた。(途中で猫が機嫌を損ねてか、

フクロウのように変貌したりした)

そしてワタシは夢から覚めたら、その猫が寝床にやってきて、

ニャーニャーといつも通りのご飯をせがむ様子。

眠い目をこすり渋々、階下に降り、あわてて餌をやったのであった。

 

奇妙なシンクロの時間。

猫に餌を与えるため階下の台所に立ち、時計を見たら

午前2時14分であった。(いつもの餌やりと全然違う時間)

午後11時50分ごろに寝て、約三時間睡眠前後の話である。