ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

老いについて 2

 

 

歳のせいだナ?!

度々過去の話でスンマセン--;

 

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もう約二十数年も前のこと。

福島県出身の友人が、確か江戸時代中期頃から峠茶屋として

続くお店のお蕎麦が美味しいからと、

彼女の実家へ訪れた際、連れて行ってくれた。

特にお勧めの鰊蕎麦を食べたのだが、

その味に感動したことは言うまでもない。


雰囲気も手伝ってのものだったかもしれない。が、

それまで経験したことがなかった

異次元の味であったことは確かだった、と思う。


はっきりとまではいかないが、今もその味の記憶が残っている。

言い古されたキャッチコピーのようにしか表せないが、

料理も年輪を重ねることでしか培われない

唯一無二の深い味わいへ。日々の丹精、真心が、

受け継がれ、研ぎ澄まされていくものなのだ、と。

 


思えばその感動は、現代日本人の生き方として、

もはや失われてしまったか。

「滋味深さ」「味わい」しみじみとした

何かをワタシにも伝えてくれたのだろうか。

そのお店が現在も続いているかは定かでないのだが___。

 

「滋味深さ」というものは、日々を重ね、

時代を経ることで育まれ、言葉ではない何かが次世代へ繋がっていく。

軽薄な現代人のワタシが語っても伝えられるものではない。


長い時代を超えてきた老舗店の歴史を吹聴するような佇まいではなかった。

さりげなく時代を超えて、庶民に親しまれ続ける、当たり前の凄さ。

有難い経験をさせてもらった。


鰊蕎麦を食べたことはなかった若い頃のことだが、

それ以来、温かいお蕎麦の好物は鰊蕎麦になった。

無論、あの時を超える鰊蕎麦に出会ってはいない。

今年正月は、この歳(五十過ぎ)になって初めて身欠き鰊を炊いてみた。

手間が掛かることは分かっていたが情報を拾い集めることができる

ネットという道具があっての初挑戦であった。

ネットも有難い面もある訳だが。^^;


果たして挑戦した結果は、初心者の味である。

あの噛みしめた時に口中でじんわり広がった

こっくりとした初めての鰊蕎麦の味。

独特の風味と歯応えを湛えていた記憶が改めてよみがえる。

現代であっても、身欠き鰊を作る現場の人も、

それを調理させてもらうことも、手間暇のかかること。

昔からある知恵の詰まった保存食だ。

 


ソーラン節で有名な鰊漁。江戸初~中期に始まり

小樽が鰊漁で湧いていた戦前まで。

戦後日本近海では鰊が超不漁になったと聞いている。

また、戦後は鰊の需要も激減し鰊漁は衰退した。

今や日本で一般的に手に入る身欠き鰊や数の子は、

ほぼ100%アメリカやカナダからと言っていい。

作詞家なかにし礼が人生経験をもとにした

「石狩挽歌」の歌詞。

見方によっては単に戦後昭和の哀歌ではなく、

AI化だグローバル化だのを連呼する政治経済、資本家らが

食をも冒涜する富の収奪の行く末か。

冒涜のそれにのせられ「慎みの奥にある豊かさ、滋味深さ。」を

感じ取ることもできないグルメ信者大衆の私たち。

哀歌が地球全体の現実のものとして、

繰り返されることを危惧してしまう。

 


「老いること」「歳月を重ねる」というものは、若い頃には分からなかった

滋味、味わいを楽めるようになるものなのだろう。

西洋文明が固執する不滅ではなく、無常という自然循環の普遍。

(西洋文明は己が不滅のために無常を他者の存在に突き付けてくる瘤)

 

そろそろ、ワタシもそうした味わい、楽しさに

気付けるようになりたいものだが…。

現況の自身を思うと、いわゆるオウベイ化した人間であり、

親世代くらいまでの大人は、まだ古き日本の大人の側面があったことを痛感している。


まぁ、若さも悪いことではないけれど。

現代日本はマスコミ、教育、政治、経済、それらの偏向情報が、

企業のための貨幣経済を延々と拡大させ、

快適、便利、時短、肉体の苦労から目を背けさせ、

溜まったエネルギーを乱痴気騒ぎや自己愛の活動で

発散させるような動向をセットに若者文化の体で仕掛けてくる。

若さが、すなわち軽薄さ幼稚化で、劣化を意図した汚染脳社会。

 

喧伝の若者礼賛の底の浅い文化が、

幼稚さと若さを保っての長寿を渇望する矛盾は、自然摂理に抗うようで、

社会混乱の一因でもあるだろう。


本質から目を逸らさせ"偽人生観や虚の美的感覚の基準"を作り続ける。

アンチエイジングというものも、また

プロパガンダとして恣意的に蔓延らせている、と常々思うのである。

 

 

行者の研鑽と、市井の苦労の違いというのか。

意識的よりむしろ生活者として、

無意識に幾多の苦労に揉まれた人にしかない、

しみじみとしたお年寄りの表情、眼差しに出会うと、

風雪に耐えてきた深山幽谷の巨木と重なる。自ずと畏敬の念が湧いてくる。

そういう方がもういなくなったように思う。


逆に、若々しくあろうと美容や健康(自己愛)に拘り過ぎる年配者には、

己の人生への不安感、恐怖心をまだ克服できない脆さ、

浅はかさを次世代は感じてしまうものかもしれない。

老いることから目を背けるほどに、ワタシも含め現代の年配者が若者に

軽んじられる傾向とその連鎖___が、

西洋文明

(幻想としての不滅の、富・名誉・権威~自己顕示欲・自己愛~の重視)の

蔓延と共に、自然の破壊へとつながってしまった、と。

 


体制側・支配層らの目的を孕んだ偽教育や権威、マスコミ喧伝に惑わされず、

誰しもせっかく年齢を重ねていくのだから、

味わいの楽しみを知ることに焦点を合わせ、あるがまま、さながらに。

滋味深さは特別ではない日々の心がけの中に。。。自身も含め、

先祖日本人の生き方を学び直した方がいい、と思うこの頃。

 

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何度も当方ブログに書名を記しているが、
改めて一部転載したい。

 

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「逝きし世の面影」第1章
11~12頁より

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日本近代が前代の文明の滅亡の上にうち立てられたのだという事実を

鋭く自覚していたのは、むしろ同時代の異邦人たちである。

チェンバレンは、1873年(明治6)に来日し、1911年(明治四十四)年に

最終的に日本を去った人だが、1905年に書いた「日本事物誌」第五版のための

「序論」の中で、次のように述べている。

「著者は繰り返し言いたい。古い日本は死んでしまった。

そしてその代わり若い日本の世の中になったと」。

これはたんに、時代は移ったとか、日本は変ったとかいう意味ではない。

彼はひとつの文明が死んだことを言っているのだ。

だからこそ彼は自著「日本事物誌」のことを、

古き日本の「墓碑銘」と呼んだのである。

「古い日本は死んだのである。亡骸を処理する作法はただ一つ。

それを埋葬することである。

___このささやかなる本は、いわば、

その墓碑銘たらんとするもので、

亡くなった人の多くの非凡な美徳のみならず、

また彼の弱点をも記録するものである」。


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上記の抜粋部分で、

チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)が、

江戸社会までを表現した「古い日本」という言葉を

「老成した日本」と…、ワタシにはそう聴こえる。

若い日本の世の中になった、という言葉をワタシは

幼稚化へと向かい始め、白痴化・劣化に至らんとしている

現代日本への予告にも受け取れる。

この地に生きる者のひとりとして、この書を読み返す時、

亡き祖父母や父母の暮らし方、振舞い、思い出話、心根に

思いを馳せる度、切なくやるせない思いが、込み上げてしまう。

 

 

 

 

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