新型コロナウィルス騒動の影響が少ないわが家も、
先日、マスクのことで夫婦喧嘩をしたのもコロナ禍か?
くだらないことで火花を散らしてしまったのだが、
その内容はさておき。
その夫婦喧嘩の末にワタシの口から
思わず出てきた終結の言葉を記す。(毎度エラソウでスンマセン。^^;)
「例えば、野菜を育てて収穫するまで、
水やりや肥料を与え草抜きをしたりと、アナタは苦労を主張するけれど。
植物が育つのは、水やりや肥料を与えたから、だけではないのでは?
太陽があって、虫や微生物、多様な動物や植物、
雨や風、雷、大地…。
あらゆる自然現象のお陰だ。
お天道様の恵みがあって、植物を育てることができる。
にもかかわらず、自分の苦労だけを主張している。
収穫を奪っている、とワタシへの戒めの言葉、咎め心は、
ちょっと違うのではないか?」と。
その時言った内容は、概ねこのようなことであった。
愚妻だけど一応、奮闘はしているので。
いつもなら、家人は
「だ、け、ど、、、オマエが×××~~ガミガミ~~~!!×××!!ギャ~~!」と、
反論され、口論が激しくなり感情が高ぶって、
時に手が出ることも、ままある頑固で感情が極端な家人。
が、その時の言葉には少し耳を傾けてくれたらしい。
後は何も、言わなかった。
災い転じて福とナス?!
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さて。
数日にわたる今回の夫婦喧嘩の終結間際にあった、
ちょっとしたふたつの出来事の話。
昨年、初めてワタシは柴漬けを作った。が、
美味しいようでいて、微妙に訳が分からない風味が残る味であった。(苦笑)
成功なのか失敗なのか。
その柴漬けというのは、ナスと赤しそと塩だけの
単純な材料で、盛夏の高気温を頼みに乳酸菌発酵を促し、
2~3か月寝かし晩秋に近い頃、食べ頃となる漬け物だ。平安時代末頃から
あるらしい、ホンモノであろう柴漬けを目指したのだが…。
微妙に分からない風味に対し客観的な判断が欲しく、
知人に今年の初夏の頃に、作らないか?と話を持ち掛けた。
興味を持ってくれた30代前半の知人は、
一緒に作ろう~と言ってくれたのだが。
超小規模な農業を営んでいるその知人が、今年は残念ながらナスが
不作で、柴漬け用のナスまでは準備できないとのことだった。
すでに諦めていた数日後。突然に電話があり、ナスを50本ほど
もらったから、作れそう、と。
早速、知人宅でホンモノ柴漬けの仕込みの手伝いをしてみた。
どうなるかは、2~3か月後のお楽しみである。が、
盛夏ではなくなった9月に漬け、少々不安ではある。よって、
失敗も前提という、及び腰の試作の柴漬け作業となった。
ともかく、思いがけない知人の知人がナスを沢山くださり、
希望を叶えるきっかけとなり、有難いことであった。
わずかだが、ワタシも、いい加減な農をしている。
雑草や虫を育てながら?相談しながら?の、
変人による非常識なド素人の極小畑だ。
それでも、期待だけは大きい。ほぼ妄想である。
今夏、トマト、キュウリ、ナス、オクラなど
沢山収穫し、柴漬け用のナスの収穫と共に、
仲良くしてくださっている86歳のお姉さまに
無農薬の野菜を差し上げることを夢見ていた。
が、案の定キュウリは差し上げて喜ばれるような代物ではなく。
収穫時期を超えバットのように育ったキュウリたち。
(月に2~3回しか行かないから当たり前ダ。
かつ、わが家は案外大き過ぎるキュウリのファンであるから困ったもの。)
トマトは美味しかったけれども、収穫は極少量。
(雑草と共存させることを想定し育成するのだから当たり前である。
それを不作という。w)
ナスも小茄子。肥料が好きなナスには劣悪な環境であったことだろう。
(生ってくれただけで感謝)
オクラも収穫したはいいが、雑草だらけの畑に落っことし、
見つからなくなってしまう、という始末。
何やってんだが?差し上げるつもりなど無いに等しい。
と、初秋の風が吹く頃となり、夏野菜の収穫期に幕が降りる。と、
その時、家人の実家から大きなトマトや形の良いキュウリ、
オクラ、ピーマンが届く。
その届いた日に、年配のお姉さまから、黒豆を煮たから
取りにおいで、と電話が入る。何というタイミングであろうか。
早速、年配のお姉さまに夏野菜をお裾分けし、黒豆煮を頂戴することとあいなった。
煮豆は箸が止まらない美味しさであった。
熟練の黒豆煮と、田舎の良い環境で高齢の両親が育てた野菜との
交換が、ワタシたちを満たしてくれた。ありがたや~。
単に、ワレワレは恩恵にあやかっただけである。
希望を叶えるのは、自助努力のハズ。が、時には肩の力を抜いて、
忘れているくらいが丁度いいようで。
そんなシンクロが、人生の楽しみであったりするかもしれない。
果報は寝て待て?!か。(シツコイ^^;)
が、その続きがある。
ちょっとした不思議な出来事、シンクロが重なった日。
わが家の冷蔵庫が、冷えなくなってしまった。(泣)
もう10年以上使っているので、昨年も同じ症状で、
まる一日冷蔵庫のコンセントを抜き、水抜きをして復活した。
(冷蔵庫の背面にたっぷりの排水が溜まるのである。)
今回も冷凍庫冷蔵庫から食材をすべて出し、
簡易クーラーボックスに氷と一緒に食材を詰め、一日待つ。
冷蔵庫高齢による恒例化である。(ハッ、マタ、オヤジギャグが…;)
これは仲直りのキッカケであったか。
コンビニへ大急ぎで氷を買いに行く時、協力的であった
家人の姿勢は、学ぶべきことである気が、、、しなくもない。
(負けん気の強いワタシの、もったいぶった反省。w)
知人の知人からの差入れナスを漬け物用に8本位お裾分けしてもらい、
家人実家から野菜が届き、
お姉さまから食卓に何度か出せるくらいの黒豆煮を頂いた。
更に、冷蔵庫が冷えなくなることなど予想だにせず、
昼間に猫用と人間用に、お値打ちになっている戻り鰹一匹まるで買ってきた。
その夜の、冷蔵庫不具合発生であった。
ショックとは正にこのこと。(小さい事だケド)
冷蔵庫が活躍してもらえない状況下は、
ワタシの安易な放置農への戒めであったかもしんないし。
あるいは、家人へエラそうな言葉を吐いたことへの
内省すべき鏡のように映し出された事件であったか。
日頃体たらくのワタシへの戒めもあったか。
冷蔵庫の前で、うろたえたのは言うまでもない。(笑)
ともかくは他愛ない出来事が、日常に変化をもたらした珍事であった。
禍福はあざなえる縄の如し。(モウイイッテ ーー;)
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貨幣社会は、とかくお金という数字による
価値の収穫、つまり収益が最重要視される。
だが、お金に価値を持たせるのに、
どれほど自然環境、他生物を犠牲にさらしているのだろうか。
大衆がそこに目を向けないようにするのも、重要な汚染脳であるだろう。
現代人は、自分が欲しい果実を育てるのに、水や肥料を
与えることには必死で、収穫することに頓着する。
だが、育てる行為以外の、育つ要因を忘れてしまいがちだ。
見えないあらゆる巡り、循環、自然の偉大な恩恵が無くなったら、
どんなに育てよう収穫しようと努力しても、
果実は生らなくなる。
農を労働の喩えとしたが、経済活動のみならずあらゆる
現象としての「巡り、流れ、循環」なくしては、
人工社会であっても成立しなくなるだろう。
国際金融家や欧州貴族らへ、ほとんどの富・資金が吸い上げられる、
現況社会システムは、崩壊・排他(有色人種削減・白人優勢思想)を
前提とした計画的なものではないのか。
(地球帰還希望の元ユダのためw)*K氏説
特に日本は支配層利益のための国土分断の目論見がある、と思われる。
*明治維新から欧州貴族勢・国際金融家が資本力を使い秘密裏に画策をしてきた日本国土東西分断計画が、徐々に白日の下に曝されつつある。
故に、日本人は西洋礼賛・白人文化への憧憬や宗教への妄信・が、
潜在的な植民地化汚染脳であり、
文化文明の有り様が、病んでいることに
気付くベキ時期。
マスコミやネット上で、選民体制の保守・保持、権力者君臨が秘密裏の目的で
発信される情報の数多は、そうした計画遂行の道具、挙動に過ぎない。
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マスクのことで夫婦喧嘩したコロナ禍以外は、
今回、お金やマスコミとは関係のない
日常のやりとり(物々交換)で些細なことだが
シンクロが起きたなぁ、と感じたりした。
わが家は、マスコミからできる限り情報を取り入れないよう暮らしている。
知人はネットも排除し、新聞だけは読むらしいがTVは見ない家庭。
年配のお姉さまも最近はマスコミに疑問を感じている方である。
恐怖心を煽り大衆の意識・直観・直感・感受性を曇らせ、
希望や生命力を奪うようなマスコミ情報を遠ざけるのが賢明だろう。
それぞれ自分自身の日常にアンテナを持って暮らすことで、
宇宙の流れからの采配なのか。
シンクロも生まれ易いような気もする。
個人的な小さな想いは人との交流とリンクしながら、
自然の恩恵と共に、生活は彩られ進んでいくことを感じた出来事であった。
*色文字の箇所を加筆・変更。(9/14)