ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

虚構社会の底流に……(1)

 

 

昭和40年代に生まれたワタシは、物心つく頃から、

ずっとこの世界に違和感を持っていた。

みんな、逆さまだ、と。

逆さま社会に生きている感覚は今も変わらない。

否、もっとひどくなっている気がする。

虚構社会。

 

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この刻印のある者でなければ

物を買うことも、売ることもできないようになった。

この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。

ここに知恵が必要である。

賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。

数字は人間を指している。そして、数字は666である。

(ヨハネの黙示録 13:18)

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聖書について無知なので、

あれこれワタシが書いたところで

説得力はないのだがご容赦を。

 

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素朴な疑問。

〝隣人を愛せよ〟はキリスト教義の一つ。

だが、中世カトリックとプロテスタントの亀裂、

同じ宗教内で数多の宗派、イスラム教とのイザコザ‥。

世界中のあらゆる争い事の底流に、この宗教があるのは何故だろう?

 

 

新約聖書に記されている666の意味を

安易ではあるが、当方なりに解釈すれば、“get get get“。

欲望の繰り返しでは、“人間意識の成長はない”という

大衆への警鐘か。欲望が欲望を作り、それを満たす、ただその繰り返し。

翻して、黙示録13:18が、人口1%殿への訓戒にも受け取れる。

リーダーに相応しくない人間が支配している現代社会への警告とも。

欲望の永久ループに、この世界が向かうか向かわないかの、

瀬戸際であろう、今。

(根本を考えると、支配層が負のループへ向かっている、と。)

 

 

 

と、あれこれ考えてみたものの、聖書はやはり当方にとっては

異文化の思想という感が否めない。

霊能力に長けたイサヤと呼ばれていた人がメシアとして崇められ、

没後、宗教となった。旧約聖書予言が現実になった、と。

(奇跡とされている様々な逸話が、史実と多々違うK氏説)

 

キリスト様を否定するつもりはない。

ただ単に、一神教(固有名詞ありきの言説)に人工的なもの感じてしまう。

 

※映画やドラマ、小説、漫画、アニメ、未来予言の書籍などで、

予言なのか暗に予告のように伝えるそれは、プロパガンダとして

扱われてきた、とワタシは感じてきた。

新約聖書ヨハネの黙示録に、元ユダ&偽ユダ意図の改竄?

加筆?の匂いを感じてしまうのだ。それは妄想の域かもしれないが。

 

 

神に名称があるのは何故か、というような問答も必要かもしれない。

あるいは文字・言葉が無ければ伝えられない思想・教義は、人工では?と。

太古の昔、人々はテレパシーで意志疎通していたとしたら…。

文字・言葉が過剰に氾濫する社会は、人間意識の退行(人工化)を

表しているかもしれない。地球に生まれた者が自然と分離している状態故に。

文字が多過ぎるこのブログも、退行気味?(苦笑)

 

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生きとし生けるものへの慈しみ。

言葉ではない。八百万神という感覚・直覚こそ、この地球で

人を人たらしめる「心」と思う。万人に違和感がないのではないか。

そのエネルギーを想像すると、空気や水、大地と共振するような感覚。

元気になってワクワクするような・・・。

そうした日常の素朴な身体感覚の尊さを思う。

意識は「遍く命」の循環から身体を授かってこその、三次元体験。

 

 

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日本では西洋礼賛が始まって以来の明治から、現代社会のあらゆるところに、

新旧聖書を啓蒙する言説・メディア(映画、小説、音楽・デザイン・芸術全般)、

キリスト教系学校も増大しその影響を受けた日本人が、裾野をジワジワと広げて来た。

 

かの宗教信者からすると、日本は布教が困難な土壌だと嘆く声も

あるようだ。が、日本人奴隷の史実を知ったならば、布教の困難さの本質や

マスコミや歴史教育による隠蔽の罪に気付くのではないのか、と。

何より、中世から近世の全ての大陸。

アジアでも同様に、欧州貴族勢による残虐な奴隷支配や不均衡貿易が

繰り返され、日本は鎖国政策せざるを得なかった。その重要な説明が

全くなく、徳川幕府のキリシタン弾圧ばかりを強調し、打ちひしがれた

気の毒な隠れキリシタン、それでも信仰を貫いた立派な信者として、

一般常識と化している。

(隠れキリシタン支配層の実際は鎖国下貿易で利益を得るためと推測)

(キリスト教布教を排した鎖国政策下の日本は、国民全体に幸福感があった事実)

(加えて、隠れキリシタン大名の藩は他の藩に比べ貧しかったようだ、と家人は分析)

 

日本の歴史教育やマスコミのドラマや映画、ドキュメンタリー番組の

詭弁は、誰のためにあるのか?____である。

〝キリシタン〟あるいはイエズス会とは何であったのか。 - ただいま日記

 2019/11/24 当方ブログの記事をリンク

 

 

約500年前の天正時代=戦国時代。

火薬一樽で日本人五十人が取引され、

世界中に悲惨に売買されていった膨大な人数の日本の若人。

当時の日本人奴隷の被害(推定人口5%)を知らない

布教を願う信者の嘆きは、史実の暗闇へ繋がっている。

 

中世の大航海時代

イエズス会による布教が建前の、全大陸の民族破壊(殺戮強奪強姦)、

残虐なる征服、強制改宗について思いを巡らすのは、

現代社会のあらゆる疑念を紐解く鍵のひとつかもしれない。

 

脅すようだが、これから偽ユダの完全支配・NW○(完全私物化)は、

目に見える暴力こそ中世のそれではないが、聖書文言を現代用の支配都合で

解釈利用をしながら、精神への虐待とも言うべき、中世の焼き直しか、

それ以上の目に見えぬ悲惨、人間の意識が永久に解放されない危険性を孕む政策が、

目前に迫っているのではないか。ワタシの勘違いなら一笑に付されても構わない。

煽るつもりはない。だが、そんな危機感がある。