世界(ルネサンス)三大発明と学校の世界史教育で
この三大云々説明も西洋礼讃、西洋文明、欧州貴族社会の
歴史を肯定・波及・定着させんとする
喧伝文言の一つと言えないか。
・羅針盤は、航海そのもののため。
(K氏説やその他の言説を踏まえ、欧州文明より、はるか太古の倭人は
星座を指標に大地への知恵や航海術を持っていた、とワタシは想像している。)
・火薬は、乗り込んだ国に戦乱を作り、当民族に対して一方的な
脅迫や殺害を可能にするため。
・活版印刷技術は、主に聖書を波及させ定着させるため。
そして、キリスト教義を完全肯定させるのに「三大発明」として
現代での常識の定説化。
欧州勢による民族破壊・強奪強姦殺戮が始まった暗黒の中世を
現代の教育やマスコミの情報で西洋文明を美化するほどに、
今後の社会が闇へと向かってしまうのではないか。
元ユダ&偽ユダ所望の人工社会へと突き進むために、
全てがプロパガンダではないのか、と。
換言すれば、俗に言う〝歴史は為政者によって作られる〟のではなく、
底流に潜み続ける偽ユダ闇支配者たちの隠れ蓑が、
現代教育下の〝歴史という偽学問〟でナイかぃ?と。
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木版、及び活版が行われたのは中国が始まりで、
活字印刷は11世紀から行われている。
最古の印刷物は、法隆寺等にも保管され多数残る日本の仏教経典
「百万塔陀羅尼」(770年)とされている。が、最近世界遺産登録された、
韓国の名刹とされる仏国寺で発見された無垢浄光大陀羅尼経が、
20年古いとのこと、なのだそうだ。
グーテンベルクが活版印刷技術を発明したと歴史に記されている。
発明したと勘違いしていた。ワタシは無知である。
(欧州社会についての情報量の多さが怖い。
技術という言葉で惑わされているのか?無知なるワタシの言い訳か?w)
欧州で活版印刷〝機〟が作られる前は、聖書は写本か木版であったようだ。
参考までに
https://www.youtube.com/watch?time_continue=7&v=DLctAw4JZXE&feature=emb_logo
聖書の写本は1年にも及ぶ作業を要するとのことで、貴重な書物となる。
よって、写本聖書を所持できるのは貴族だけであったそうだ。
そこに活版印刷〝機〟が作られ聖書普及の原動力となったことは想像がつく。
その定説を基準に、印刷された聖書がどのように波及していったかWikipediaほか
ネットで少々調べてみた。抜粋も含め簡略であるが以下に記す。
グーデンベルグ(1398年頃〜1468年)の生涯は未解明なことも多いそうで、
また波乱に満ちたものであったことをWikipediaや他の記事で確認することができる。
Wikipediaより〜【印刷業】の項目・要約抜粋
〜前半省略〜
グーデンベルグの印刷事業において中期〜後期にヨハン・フストという裕福な金貸しから、設備費として800グルデンの融資を受け2人は共同事業者として新事業を立ち上げた。またその頃フストはペーター・シェッファーというパリで写字生の経験を持つ青年をグーデンベルグに紹介した。いくつかの最初の書体をその青年がデザインしたと考えられている。またシェッファーは後にフストの娘婿となり、印刷業をビジネスとして成功させることになる。
グーデンベルグは自宅付属の印刷所だけでなく、フストの資金で設立した2箇所の印刷所でも印刷を行っていた(19世紀に判明)。グーデンベルグが、いつ聖書の印刷を企図したか不明だが、そのためにフストから更に800グルデンを借り、1452年頃から印刷している。後に「グーデンベルグ聖書」と呼ばれる最初の印刷聖書「42行聖書」は1455年に完成した。約180部印刷し多くは紙で、一部は羊皮紙に印刷された。
聖書用とそれ以外2つの 印刷機があったと推測され、ラテン語の文法書なども印刷した。印刷で最も利益が上がったのは、教会向けの贖宥状(しょくゆうじょう)いわゆる、免罪符の印刷であったという。
これと前後して、グーテンベルクは聖書の印刷事業に必要な設備投資のため、2回にわけ計1600グルデンの資金をフストから融資を受ける。グーテンベルクは別の用途に使った上、返済の意志がないため、融資金額に利子をつけて2026グルデンの返済をフストが要求。裁判所はフストの訴えを認め、グーテンベルクに借金の返済を命じた。しかし、グーテンベルクは 十分な所持金がなく、グーテンベルクの印刷機と活字、印刷済みの聖書の半分などが すべて抵当としてフストの手に渡った。
以下、〝Wikipedia〟より原文転載
グーテンベルクはこの決定にも落胆することなく、再び資金を集めて自宅の印刷所で書籍の印刷を続け、1459年頃にはバンベルクのアルブレヒト・プフィスター (Albrecht Pfister) の工房での『三十六行聖書』印刷に関与し、少なくとも活字を提供したと見られる。ただ、グーテンベルクには印刷日時や印刷者の名前を書物に入れるという発想がなかったため、直接的な年代の確定が困難であった。また754頁の『カトリコン』を1460年頃、マインツで300部印刷している。
一方でグーテンベルクを追い出す形になったフストとシェッファーは事業を順調に発展させ、1457年8月15日に出版した『マインツ詩篇』は世界で初めて奥付(コロフォン)に印刷日と印刷者名(フストとシェッファー)を入れた書籍として歴史に残ることになる。グーテンベルクの名はどこにも記されていない。
参考として。
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グーテンベルグについて調べている時、ヨハン・フストという
人物が浮かび上がってきた。はてさてユダヤ系の人物ではないのだろうか?と。
ところが、日本のWikipediaには〝ヨハン・フスト〟の頁はない。
他言語(English・Deutsch、deutsche Sprache)にて、頁を見つけた次第。
フストの弟の名がヤコブと記されていたことから、ユダヤ家系と思われる。
ともあれ、〝裕福な金貸し〟フストは、そうであることは
暗黙の了解と言えるのだが。
学生時代。当方は「印刷概論」という講義を受けた。
印刷についてもっと学問として学ぶべきだ、と教授が
ぼやいていたことが記憶の片隅にある。
確かに、模様・活字・ビジアル_思想に関連し繋がる全てがそうで、
現代の〝ありとあらゆる人工物質〟で関わるそれに、
印刷が関与していない物はないと言っても過言ではない社会。
そこには、欧州貴族勢・戦略の流儀、
誰が発明、誰それが初という、特許という欧州勢による利権の利己思想・
自己顕示欲を満たさせんとする偽ユダ歴史が
埋め尽くし、渦巻き続けている、と。
信者各々の贖宥状(しょくゆうじょう)の公開紙が
新聞の始まりとされる説を今回のグーテンベルグについて調べる中で知った。
儲かることが前提の、現代のマスコミの源流が
印刷。
(プライバシー露呈と各自身の内省心理を欺瞞に落とし込むのに
下世話な大衆反応を利用する。
印刷という技術は見えない大衆心理の喧伝利用が原点。)
あまりにも、氾濫する印刷という技術、その派生技術に、
長らく大衆は空気の如く享受してきている。
こうしたPCを扱うその源流も、印刷と言える。
今回、無知ながらあれこれ調べる中で、
不特定多数に伝える方法が一般常識化していく時代背景に、ユダヤ系の
資金・資本が、常態的に関与している原型を
またしても、改めて垣間見た気がする。