ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

………今の、ひとりごと ・・

 

 

幸不幸、身体の弱い人、貧乏な人様々な不公平はどこから生まれるのが?そんな疑問を抱えて。。。

 

というフレーズをネットサイトで読んで思ったことを。。。

 

 

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平等とは何か。

公平とは何か。

 

この世には平等、公平はない。

だが、見えない摂理に平等がある。

そこに気付くのに、この世があるのかナ。

 

平等「施」一切。

ビョウドウ、セ、イッサイ

 

この世の物質的な目に見えることだけで

判断すると不平等が前提となる。

だが、しかし

宇宙摂理から見ると「完全平等」が施されている。

 

 

この世で不利なことが、罰(因果応報・二元論)ではない。

 

不利を受け入れる意識を獲得した者は

摂理の体現者であり、

むしろ、物質世界・三次元世界で、

有利なことを渇望し、翻弄される者より、

真実への気づきの扉が用意されている。

扉を開ける力さえ、それは

不利な立場の者にこそ与えられる。

(意識的か無意識的かも加味して。

 時に見える世界・見えない世界ではパラドクス)

 

俗に言う、ピンチはチャンスとか災い転じて福と成す・・・。

雨降って地かたまるとか人間万事塞翁馬・・・。

時間のスパンはそれぞれと思うが・・・

平等が現象に在る。

 

 

 

見える世界、見えない世界(日々の想念とか、あの世)を

全て網羅しての

平等・公平が、あることを気付こう、と思う。

 

 

平等を、自ら求め、唱え、叫び、不平等を是正する、

概念・観念や行動は、人生を歪ませる。

三次元・見える世界で不平等を是正する訴えは、

時として不毛な努力。悪足掻きになる。

裁くという因果をも連鎖的に作ってしまう。

 

 

 

 

見える世界と見えない世界の呼応で

普遍(宇宙の摂理から)に与えられている事柄・事象・今・瞬間

(時間空間・想念意識、その活動)に

あるがままを「気付く・受け入れる・認める」のが、

物理的な人生(人間という意識体)の最大の課題と言えるかもしれない。

と自らに問いかける。

 

見えない意識の世界の宇宙摂理を呼び込む作業が必要なのかな、と。

その気づきの先に、

平等を生み出す神の力が、各々に宿る。