ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。脱出!」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

遊び

土曜日の朝、野菜市へ向かう途中公園の中を通る。
先日はお父さんと三歳に満たない位の女の子がいた。
木立に隠れて、お父さんに「わぁっつ!」と
驚かす、かくれんぼのような遊びに夢中になっていた。
小さな女の子の遊びながらの笑い声が響き、
ほのぼのとした朝の光景だった。

と、その時思い出したのは、うちにいる一歳になる雌猫である。
時に彼女は「雌」ぶりを発揮し、家人は「雄」と見なされ、

スキンシップの役割である。
一方、私は遊び仲間、兼召使いである。一日数十分遊んでやらないと
機嫌を損ね噛みつかれたりする。どちらかと言えば損な役回りである。

その彼女が気に入っている幾つかある遊びの中に、
「驚かす」ごっこがある。まさに、その女の子と
同じような遊びだ。

私が何か用で別室へ行こうとする時、
先駆けて行き、暗がりの部屋の入口の陰に隠れ、
こちらが部屋に入った瞬間に「わぁっっつ!」
と、やられる。彼女の遊びに付き合って、
「きゃぁ~~!」とネズミのふりをして騒ぐことにしている。

あるいは、ちょっとした箱が床に置いてあると、
上から見下ろすこちらの状況からは、丸わかりだが、
その箱に身をひそめ彼女はすっかり隠れたつもりでいる。
こちらが近づくと「わぁっつ!」とやる訳である。
まあ、私はウサギか小鳥のつもりで、驚いてみる…のである。(苦笑)

猫は日々、遊びながら訓練している。それは、獲物を捕まえるため
想像力を使い、俊敏さを鍛え、しなやかさを保つ。
じっと待つ時間もまたひとつの訓練かもしれない。
生きる・食べるがために身に着けるその鍛錬こそが、
わくわくする「遊び」なのである。

人間が幼い頃、遊びが仕事というのも納得である。
生きる知恵、精神力、身体力、直感、様々な能力を育てるのは
子どもの頃の「夢中で遊ぶ」遊びより他はない、と

猫と暮らし改めて感じられた。

人間は動物である。幼い頃は特に本能が現れやすいものだろう。
先述した「三歳くらいの女の子」のように誰にでもある
「かくれんぼ」や「驚かそう」という感覚。
家人が常々(五月蠅い位)言う、人間は狩猟採集だ、と提唱する話は
日常にその様相が実は、溢れていることを感じるのである。

 

4/24追記

教育で周知させる農耕民族と狩猟民族というカテゴリーはたかだか数万年前。
人類起源は約600万年前。その太古から今に続く時間を
自分なりに想像し思いを馳せることは、案外、日常に役立つと思う。
汚染脳から身を守るためにも…。

 

 

 

 

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