ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

人間関係について__(4)

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「子どもの文化人類学」原ひろ子著  71〜72頁

 それから、もうひとつ。かつてはヘアー・インディアンの人びとは、乳幼児の死亡率が高かったし、十代の育ちざかりの子どももよく死んでいました。子どもに自分を賭けたりしていたら、次つぎと子どもが死ぬために気が狂うかもしれません。「育児が楽しみ」という考え方は、育てた子に早死にされる悲しみを少しはやわらげる働きをもっているかもしれません。
 そのうえ、自分の産んだ子が全部、死んでしまったとしても、いつでも養子をもらえる保障があるということは、なんという救いでしょうか。
 このように書いてくると、「ヘアー・インディアンは子どもをおもちゃにしているのではないか」とお感じになる方もあるかもしれません。子どもをおとなのおもちゃとして、もてあそびすぎないための歯止めとなっているのが、さきほどもちょっとふれた、子どもをおとなと対等の、独立の人格としてあつかう精神です。ですから、子どもに対して、ひじょうに謙虚であるのです。そして対等なのですから、子どもに対して、へつらうこともありません。
 ヘアーの人びとのこのような育児態度を表面的に観察した白人旅行者や商人たちは、「ヘアー・インディアンは、子どもを甘やかす。白人の文明で行われるしつけをしない下等な者どもだ」というふうに記録しているのですが、読者の皆さまはどうお感じになりますでしょうか。



79頁

 1961〜1962年に私がヘアー・インディアンを訪れていたころには、まだ家族計画についての思想や技術は白人の看護婦さんから導入されていませんでした。これは、ヘアー・インディアンのところにはカトリック教会の宣教が行われていたことも関係していたのでしょう。
 子どもを生んだか生まなかったかということを超越して、気軽に養子をやりとりするヘアー族の社会では、家族計画の思想や技術が導入されたとしても、「親となるか、ならないか」といったような決断は、人生に関係ない事項であるといえましょう。