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この書に記録された時代(1960年頃)までの
ヘアー・インディアンの人間同士の関わり方は、
長く付き合うのは家族という単位であり、他人との関わりは
狩猟という目的、その土地でしばらく生活するのに
心地よい関わりができるか、という簡素な関係だ。
本書に詳細は記されてはいないが、
利害は複雑でなく、人間同士での優劣・損得の駆け引き、
利己的な事柄は、現代物質貨幣社会に比べ、ずっと少ないだろう。
わずかな記録からであるが、自然界の中では生き抜くのに
執着心、独占欲、我執や利己が強いと命取りになることが推測できる。
民族という共同体の中で長い時間をかけ体得した
自然摂理と感じるようなものに沿った規律というか、
慎みという感覚〜美意識〜を踏まえて、生物としての欲を扱う、
心の知恵(理性)がそなわって、生き抜いていける、そうしたものだろうか。
自然の寛容と厳格がそれを育ててくれるようだ。
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欧州ユダキリ・偽ユダ(人工種)勢がばら撒いてきた果ての、
現代物質貨幣社会の欲望の暴走。
競争利己社会。
現代の地球で、大衆の欲望に歯止めをかけるのは条例・法律・憲法という、
欧州偽ユダ主導・思想で作成された契約だ。
(改竄しながらの新旧聖書を偽ユダの流儀で仰ぎ)
人間が人間を制御する構図。
つまり、人間という生物に支配者と被支配者の分断が発生してきた。
結果、価値基準は権力側の都合で作ることができる。
もともと、人種差別があって、
善悪。強弱。損得。上位か下位か。優位か劣位か。
きれいかきたないか。。。という基準で人種差別は強固なものになっている。
現代人が体験している社会というのは、人工的で意図的に、
こっそり人種差別(マスで配信する映像画像を観察すべし)を
利用しながら、商業的とも言うべき価値判断が、パッケージ化されていると言える。
極端な人工社会になる前の、
少なからず、自然界と関わってきた先祖から伝わっている良心、信心、
内的対話によって、偽ユダらによるパッケージ化された価値判断・社会基準に、
違和感を覚えるのは、当たり前と思うのだけれども。
そうした先祖から受け継がれた良心、信心さえも、
個々人の利己意識を増幅させ、
破壊し続ける偽ユダ支配下の人工国家教育をもとに、
マスコミ・CM、多国無国籍企業のイメージ汚染脳。
加えて最近の欧州USA中露系スパイら蔓延り、偽ユダ所有マスコミが、
それをさらに煽っている、
傀儡になり続ける日本政府による偽情報の席巻は、甚だしく。
それを大衆が見抜くのは至難の技という奇々怪々の現況だ。
地球最後の収奪のし甲斐がある地域、ジパング〜ニッポン。
かつ、史実の背景が偽ユダらの収奪後の、偽歴史を樹立した果ての、
証明に最も有効性があるとして、計算づくの偽ユダの所動。
(奴らは史実を捏造するのが癖があり、それがお楽しみというペテン病ダ。)
真実・史実・外的証拠に求めていても、
強大な為政者が現れ続ける世界であり続ければ、
時代ごとに説がいとも簡単に変化するのが人工文明。
様々に聞き知ったことを合わせ考えると、
ホント、真相を闇に葬り続ける、キモチワルイ
偽ユダ勢&現金元地球人の関係デアル。
と、当方なりの知り得た話から、つい
いつもの類推しての話になってしまう。。。w