ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

脳化社会という言葉

 

 

 

脳化社会という言葉を若い頃に、

養老孟司氏著書「涼しい脳味噌」という随筆集で知った。

脳化とはどんなことを指しているのか。漠然とは文脈から

分かるけれども、その抽象的な造語についてワタシなりに

意味合いを納得していないのにも関わらず、

こうしたブログ記事で使ってきた。

 

今朝、ふと単純に説明するイメージができたので、

備忘録として記しておこうと思う。

つまり、人間が造作した物事に反応し、また人間が造作を

繰り返していく。それが脳化という現象を発生させるのだろう、と

考えた。

逆を言うならば、自然に触れる中で、人間の精神活動が発生し、

それを表現する、造作する、育成するという社会は、

脳化にはならない。常に自然と人間という関係は、

実体験、五感をフルに使う。そこに生物としての成長と

命を全うするべく体験があるのではないか、と。

 

脳化とは、まさに現代社会そのものである。

ネットという人工物環境を

実態のようにして扱って、関わるのである。

五感を使わず、目と耳と指先だけが、脳を刺激しながら

あらゆることが為されていく。

 

昨日、パロディ動画を添付したが、まさに

作ったものを作り替えそれをまた伝達し、

誰かがまた反応し、真似をしたり、批判したりを

繰り返し、実感のない反応だけが、社会を巡っていく。

実体のない意識だけのキャッチボール。

 

マスコミニュース然り。芸能人の話題も同様。

自分の実感で、反応しているのではなく、

他人が反応したことに反応する。その連鎖が脳化社会を

更に強固なものにしている。

そこには、実感がない故の、信じるというお題目で

疑念を無意識に追いやる思考回路を教育や宗教で育成されている。

自己欺瞞

 

 

自然から遠くなっていく人間が、便利や簡易を求めるのは、

人類の存在に地球から「マキ」が入っているからではなかろうか?と。

ある意味で脳化社会とは、地球からのマキを受け止めての

人間行動かもしれない。