ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

「現代」の人間生活が地球の未来を左右しているという異常さ  

 

 

 

「人間社会の平等」と「宇宙摂理の平等」は、小我と大我と呼応している。

人間社会に限定された「真善美」ではなく、

自然界を前提とした「真善美」を想像すれば、

気づけば、現代人の「真善美」の行為が

地球の病巣であることが見えてくるように思う。

 

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人間の暮らし方が地球のあらゆる自然を

疲弊させているのを日々感じる。

 

人間だけがこの地球の生物ではない。

他の生物の命をあがないながら生きるというシステムの中で、

人間は他の生物を存分に、

傲慢に利用しているのが事実であるだろう。

 命は平等であるはずが…

 

 

人間はこの地球の、生物として、個体として

数を数えると、0.01という指標もあるようだが、

おそらくはもっと無限に近い少数という気がする。

命(宇宙摂理からの動的存在)という観点から見れば、

もっと低いと私は思う。0.0000・・・・・

 

(命…人間の思考活動では生み出せない動性)

 

それなのに、

そのわずかな人間という存在の命が、

地球摂理を混乱させていると

思わざるを得ない状況・その直近の歴史で多過ぎる。

産業革命・石油文明など)

と、それについて思えば、

苦悩は、当たり前の個々の生物感覚ではないか。

自分のどうしようもない生きる世界での違和感こそは、

当たり前、かつ、重要な感覚であり、軌道修正のため、という

至極、単純なものと思うのである。

 

結局は、

透明かつ単純な世界。

 

それが未来。

 

とすれば、

金銭は感情・想念という幽的意識(幻想)で複雑を生み出す装置。

未来にそれ(カネ)がいらなくなるのは自明。

 

 

 

祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす

おごれる人もひさしからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もついには滅びぬ

ひとえに風の前の塵に同じ

 

 

偽ユダ支配に

気づけば…