歳のせいだろう。
説教がましいことをつい書きたくなってしまう。
機嫌を損ねる内容であれば、スルーくださいマセ。
自己愛という言葉にワタシは良い印象がない。
英語で言えば、ナルシスト、ナルシズム。
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現代日本人が「自分を大切にする」という意味を
マスコミ(19世紀後半〜21世紀現在において)影響下によって、
偽ユダ汚染脳にどっぷりはまり、「己」の解釈をはき違え、
“自己愛”へと邁進しているように思えてならない。
ギリシャ神話での寓話が訓戒にも感じる。
が、そこにも想像力が及ばないほど、
ヒドイ汚染脳社会のニッポンではないのか?
直近で言えば。
“自分へのご褒美”というバカバカしい
企業マーケティングキャッチコピーは、
偽ユダ汚染脳による自己愛が強くなるほどに、反応する文言だろうか。
己を尊ぶという感覚は、
自身が体験した出来事によって反応した感情を
良きにつけ悪しきにつけ受け入れて噛み締めて。
これまさに人生の味と。
陰陽の感情もすべては「いまここ」に存在することとして、
物理次元の複雑に抽象的に解釈され続ける世界に、
己の芯を見出す作業を提示されている訳で。
宇宙の采配にひれ伏すような、
諦観を通過しての、人生の新たな一歩を体験しての魂。
そんな繰り返しが「人生」ではないのか。
(こんなこと書きたくもない)
言葉では安易に伝えられるべくもなく。
高遠な時間世界に空間に
おそらくはすべての人が意識の顕れを
生きている気がする。
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自分が様々に努力し頑張っていることは良しとして。
他者も同様であることを想像する了見が、薄くなっているのでは、と。
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他とワタシは限りなく繋がっている、という至極あたりまえの感覚を
失っての数千年。それがインチキ宗教の起こりでもあろう。
自分を大切にするというのは…。
世界を見つめ学び、自身を知り
自身が体験の渦中で気付き
より深く広く視点を育て、自然界、宇宙摂理へ
お役に立つことで、喜びになるよう、
生物としてそう「設計されている」ような気がする。
(はたしてワタシはその域に達していない。
まぁこれが年寄りの戯言。悪しからず。ww)
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企業サイドのマーケティングや、
集金目的で甘い文言・思想を振りまく集団、団体に
すべからく疑問が湧く。
偉そうな言葉を当方、羅列するクセに。
卑近な例えかもしれないが、
グリコの“おまけが目的”でキャラメルを買う。
ビックリマンチョコのチョコレートを
捨てて、シールを集める幼児から青年ら。
戦後日本、
日本高度経済成長、
バブル前後崩壊日本、
バブル崩壊後のグローバルを
マスゴミ連呼の経済西洋盲信汚染脳日本。
令和でもさらにマスゴミを盲信し、
自滅の道を無意識に進まんとする、
ゴイム脳に成り下がったこの地の人々。
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グルメ、旅行、ブランド用品、高級外車、高級住宅やら高級マンション。
頑張ったワタシへのご褒美は、ビックリマンチョコのシールを
かき集める幼児と思考回路が、何ら変わらないように思う。
慎みや思いやり、他と共存する中での苦労と歓喜。
そこで培われる想像力。
(みなさま農へ!!と。
自然と関わる中での気づきが真実への突破口)
時に我慢も必要で、時に涙を流した方が、
人生として味のある生き様になるのではないか。
つまりゴイム・ブタもどき(豚・家畜の意)の
増産に余念がない。(生物人類の人工化)
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初老のワタシは、
現代の汚染脳に踊らされていると感じる、
若い世代に思うのは、
多量の、映像画像文字、電子媒体・紙媒体・映画やドラマで
刷り込まれた、
“むかしの人々の苦労”、刷り込まれた“イメージ”を避けるために、
イイトコ取りに執着するが故の、新たな苦悩、歪んだ苦労に
直面している
気がする。
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体当たりという言葉が、ワタシは案外好きだ。
体を使い、心・感情は負にも醜にも揺さぶられ、
それでも、気合いを入れて、決意・覚悟。
それはこの世に生まれてくる寸前の、
初心・無垢のたましいの、心境にも似ていて。
それはやがて、悲喜交交の世界と対面し、
汗をかき、恥をかき、べそをかき。
変化の妙を体験す。
無難にすべて避けるようにして逃げるようにして
つつがなく、死に向わんとする姿勢は魂として背徳的か。
パッケージ化された“幸福”という甘い蜜に執着する心境は、
かなりまずいのじゃないか、と。
執着の__
執の文字が、幸と丸であるのも、偶然ではなかろうと。
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大地に根を張る精神を育てていく「根気」「根性」は、
やっぱり大切だな、と思う。
なぜなら。
両親の背中が育ててくれた
「良心」が育つ原点だ、と思うから。
真実への気付き、虚構への対峙。
良心というセンサーが、この世界を動かすのかな、と。
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偽の価値観をばら撒いてきた
マスコミ終焉の時代を思う。