ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

無意識のうちに、マスコミが流す情報によって・・・2

 

 

 

「偽情報退散!お金とマスコミは人の幸せをこうして食べている」

 THINKER著 (徳間書店/***文庫)初版 2011年。

 

  

 当時、大変参考になった一冊である。

 下記に、当方の感想など記述。

 

 

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256〜258頁


 通信社の歴史は、19世紀のヨーロッパから始まる。
 世界でいち早く産業革命を達成し、近代化した当時のヨーロッパ文化の中心はパリであった。フランス革命の起きたパリでは、1800年代初頭、ヨーロッパの情報の中心地でもあり、ヨーロッパ各国の新聞記事をフランス語に訳して、販売する業者が次々に生まれた。これらは、通信社のはしりである。そのパリで、1832年ロスチャイルド 一族に雇われたハンガリーユダヤ人のシャルル=ルイ・アヴァスが、事務所を開設する。その後、パリで翻訳通信社を2つ買収したアヴァスは、近代的通信社の先駆けとなる アヴァス通信社を設立する。1835年のことである。当時のヨーロッパですでに金融支配を確立していたロスチャイルド 一族に雇われ、その指示に従いながら、表向きは公平な通信社を装い、一般のニュースや金融情報を伝える業務を開始したのだった。

 

 当時のフランス政府は、腕木通信という方法で、情報の遠隔通信をしていた。その原理は、大型の手旗信号のように、腕木と呼ばれる数メートルの3本の棒を組み合わせたものをロープで操作し、この腕木の動きを遠く離れた別の基地局から望遠鏡を用いて読み取ることで情報を伝達する仕組みだった。江戸時代、米相場の情報を遠くに伝えるため用いられていた旗振り通信と同じようなシステムである。
 アヴァスは、このフランス政府の交信を望遠鏡で盗み見て、ロスチャイルド 一族に速報を流し、その後でパリ中の新聞社に配信してアヴァス通信社を大きく発展させた。政府の通信暗号の解読に必要な知識は、政府内部にいるロスチャイルド 一族の配下の人間から入手したと言われる。当初、アヴァスは早馬を使っていたが、1840年から伝書鳩便も開始する。この方法は、当時の情報伝達手段であった馬車便、飛脚便よりも効果的だったため、さらに商業的成功を収めた。その結果、パリ中の新聞はアヴァスの流すニュースで埋め尽くされることになった。(*通信社が存在する以前のヨーロッパでは、馬車による郵便が情報の伝達手段だった。初代ロスチャイルド は、ドイツの郵便事業を独占していたタクシス家に大金を渡し、すでに情報の先取りをしていた。他人の通信用の手紙を湯気の上にかざして糊をはがし、中身を盗み読んで、また糊付けして元に戻してから、何食わぬ顔で証券取引所に赴くというのがロスチャイルド 一家の日常だった。アヴァス通信社はその進化形である。)

 

 

アヴァス通信社について・リンク

https://www.wikiwand.com/ja/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E9%80%9A%E4%BF%A1%E7%A4%BE

 

 

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著者 THINKERさんのサイトご紹介。

http://thinker-japan.com/index.shtml

 

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(以下は、当方の感想)

 

マスコミが流す情報について、大衆ワレワレは様々に反応している。が、

マスコミそのものの成り立ちについて、全くと言っていいほど、

それを知る機会がないし、知ろうという発想が湧かない。

その存在についての是非に疑問を持つこともない。

何故だろうか。とても不思議ではないか。

 

空気や水に普段は意識を向けないのと、同様に、

写真、映像、文字という間接的な伝聞を

無意識に、享受している生活なのだ。

かつ、日々の些細な事柄から、行動、価値観や常識、

人生の選択にさえ、大きく影響を与えている、と言っても過言ではない。

(進歩発展・文化文明という概念を

 全肯定させる教育が基本になっているが故に。)

 

マスコミによる洗脳の方法、その分析、プロパガンダについての書籍は

巷に多々ある。が、時代背景と重ねマスコミ発祥の経緯について伝える

書籍にワタシが出会ったのは、この書が初めてであった。

 

疑問も湧かず、知ろうともしなかった、

マスコミの存在そのものに、メスを入れ、要点をまとめた、

わかりやすい解剖図のようだ、と思う。

 

マスコミの流す情報は、もちろん空気や水とは全く異質である。

人工的に、作為的に、大衆心理(主に、恐怖心と偽の好奇心や感動)を

操作しながら、あらゆる富を吸い上げ、完全支配を目的とし、

誤誘導のための噂を流している、と言える。(偽ユダ勢が)

 

(マスコミは言うなれば、近所のおしゃべりなおばちゃん、

 あるいは超雄弁で隙のない究極の詐欺師ダw)

 

体制(偽ユダら支配者)に、大衆が利用されるのではなく、

その縮図に気付き、意識化して、各々が偽情報の渦から抜け出すのに、

この書は、非常に重要なことを伝えてくれている。

 

巨万の富を維持し増幅するために、どんなに狡猾な手段を使っても

それを成そうとする部類の人間が、マスコミの礎石を作ったことを

周知する必要がある。今回の抜粋部分にその雛形が記されている。

 

大衆が持っている良心、善悪の判断とは何か。

それさえも、プロパガンダなのか?という哲学的な疑問さえも

湧いてくるかも知れない。

 

激動の現代社会であるが、19世紀の日本もまた、

幕末から明治という激動の時代であった。

されど、幸福感に溢れ、満足げに生きる人々(無欲な)、

人の良い、そして朗らかで誠実であったことを

当時の日本人の性質を訪日欧州人たちは見聞録に残している。

 

まだ、その時代ワタシは生まれてはいないが、

西洋文明が侵略する前、西洋由来のマスコミが無かった時代の、

日本の、人の良さ、温かさ、人情味を

親世代、祖父母世代、先代の様々な思い出話を重ねて、

懐古的に想像してしまう。

 

 

不特定多数の大衆に向けての、作為的、かつ無責任な大量の情報が、

いかに人間の心を荒ませていくか。社会を疲弊させ、混乱に導いてしまうか。

今後、大衆ワレワレがマスコミを利用し続けるほどに、

人間が、社会全体が、劣化、悪化の一途を辿ることは確かである。

そこがマスコミを避けよう、とお題目のように唱える所以である。