ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

ワタシの中のイケめん___。(w)

 

 

他人にとってはどうでもいい、ワタシの中の「麺論」。

 

 

人類は、麺の魅力にいつから、取り憑かれたのか…。

ちゅうごく四千年の_なのカ?(4000年前??___コピー古ッ過ギw)

穀類と言えば、お米か小麦が代表的で、ほか

稗とか粟とか大麦や蕎麦とか…。

穀物の歴史、遺伝子組替に近い小麦類、

 その是非は横に置いておいて…。。。ご都合主義ダナ・汗)

 

 

ともかく。

 ワタシは子供の頃、ラーメンがあまり好きではなかった。

みんなが好きという空気が、いまひとつ分らなかった。

 

当時、母が嬉しそうに「今日の夕食はラーメンよ〜」という日は、

心の中で、(嗚呼、また食べなきゃいけないんだ…)というくらい

テンションが下がった。

家族が多かったワタシのうちでは、母が腕を振るって祖母も手伝い、

一応、鶏ガラでスープから仕込んでいたラーメン。

母は、台所でかなり大変そうだったことが思い出される。

 

よって、楽しみではないワタシの感情など、決して言葉にはできなかった。

両親、祖父母、姉弟は、食卓に並んだラーメンを嬉々として

夢中ですする。

そんな雰囲気の中で、ワタシだけが心の中で、

好きではない、むしろ食べることが苦痛なことを

決して口にできない、

みんなが大好きなラーメン。

 

その理由は自分でも分かっていた。…熱いから。

自分が食べられる温度になる頃には、

スープをたんまり含んだ麺は、ぶにょぶにょで

伸びているから。

最も美味しい瞬間を経験できないのであった。

 

幼児の頃、熱いから苦手ということはままあると思うのだ。

かといって、食べる事自体が、

本当は、ひそかに面倒臭いと、思っていたフシもある。

哀しいかな、飽食時代に差し掛かった子供の病理だったのだろうか。

特に好きでもないお菓子を間食し、食前には空腹に至らず

食事は義務という、子供の頃に有りがちな

悪習もあったかもしれない。

 

 

 

 

そうは言っても、大人になってからは、

突然、特に深夜に、ラーメンが食べたくなることもある。

だがやはり、伸びて嫌々食べていた頃の記憶があるから、

そんなに好物にはならない。今でも毎日なんてことは、考えられない。

 

食べたくなるその時は、漠然とラーメンを所望するのではなく。

イメージというか、経験的記憶からか、

どこのとか、どんなとか。

具体的にそれじゃなきゃイヤだ、という

わがままな欲望が襲ってくるから、

結構、自分としては困ることがある。

一体、その欲望はなんなのか…。

 

 

***************

 

 

家族がラーメン好きだったのは、ごく一般的なこと。

世間を見渡せば、ラーメンが嫌いという人を捜すのが

難しい程、ラーメン教とも言うべき宗教的空気が

日本を覆っている。

まあ、どうでもいいんだが。

 

 

しかし、麺類が嫌いな訳ではない。

ワタシが麺の美味しさに目覚めたのは、コシのあるうどんだった。

その後、スパゲッティも美味しいんだ、と気付いたのは、

20代後半くらいから。

かなり遅い麺党デビュー?なのであった。

 

ちなみに、冷麦も子供の頃、食べるのが憂鬱だった。

やはり、ぶにょぶにょして面倒臭い食べ物という印象しか

なかった。どちらかと言えば、

素麺の方が、見た目も涼やかで喉越しが心地よく好きだった。

けれども、ワタシの実家は冷麦派で、夏に素麺を食べられることは

めったに無かった。むしろ、素麺を避けていた。

 

もうこの歳になれば、熱かろうが、ぶにょぶにょだろうが、

平気になってしまったし、子供の頃、渋々食べていた物でも、

ノスタルジックな記憶も重なってくると、それなりに美味しく感じてしまう。

歳をとると、キャパが増えるのか、鈍感になるのか。

それとて、どうでもいいんだが。

 

 

ところで、各種麺類の魅力と、食べる時間軸をぼんやり

頭の片隅で考えていたことに、ずいぶん前に気付いた。

それがワタシの麺論だ。

その自分にしか通用しない麺論では、ラーメンは食べ始めに、

否、食べ始める寸前に、魅力のピークがある、と分析している。

 

飲食店なら着丼し(最近の造語ダ)、家なら食卓に並べ、

さて、箸とレンゲを両手に構え、丼から

ニンニクや油の香りがのぼる湯気が立ち込め、

霞んで見える、その器の中の具材の並びを目で一巡して楽しむ。

チャーシューの厚さなぞを確認し、

はてさて、スープからか、麺からか。

ふぅふぅしながら…、の、、、ひととき。

その一瞬が多分、最も至福なんじゃないかなぁ、と。

 

 

スープをすすって、麺を持ち上げ口に入れた瞬間から、

次第にラーメンの魅力は失せていく。と、ワタシは感じている。

 

麺が半分以下になった頃には、もう亡骸である。

スープを含んでしまったぐったりとした麺や、

濁ってどんよりしたスープへと変貌し、

アノ夢は砕かれる。(何の夢じゃ)

 

というか、食べること自体が単調な作業(ルーティン)と化す。(ワタシの場合)

とにかく、ラーメンは食べる寸前が最も美味しい(美味しそう)。

という、皮肉をはらんでいる。(どうでもいいって?!)

という、ワタシの考察デアル。

 

 

 **************

 

 

さて、ならば、

うどんは、どうだろうか。

ワタシの中では、その魅力は麺をもぐもぐ頬張っている真っ最中、

分量が中間の時点辺りが、最も美味しいと感じる時間帯(ひととき)である。

それも、麺のコシによって左右されるから、

ここではあまり詳しく書かない。キリがないから。

(何もったいぶってんのか?)

 

 

では、スパゲティはというと、何と言っても、あと数本、

皿の底に残っているその時、至福がやってくる。

チョロっと残った短い麺は僅かなソースに浸っている。

汁気にも注意を払い、うやうやしく、

最後の短めのそれをじゅるんとすすり終えた時。

うぅ〜後もう三口くらい食べたいなぁ〜、で終る…。

その感覚が魅力のピークなのである。

(あっ、ワタシの好きなポモドーロの場合デス)

 

 

まとめると、ラーメンの魅力のピークは最初。(正確には食べる寸前)

うどんの魅力は中間地点がピーク。

スパゲティの魅力の頂点は食べ終わる寸前。

 

繰り返すが、あくまでも

ワタシの麺論デアル。

 

******************

 

素麺の魅力はワタシの中で、スパゲッティに近い経過の喜びがある。

冷麦の魅力はワタシの中で、いつなのか今ひとつ分からない。

 

そういえば、蕎麦を忘れていた。

蕎麦はざるなら、最初から最後まで魅力的。

それでも、最も美味しいのはやはり食べ初めだ。

手打ち蕎麦なら、麺包丁の切れ味の良さで、切り立った麺の側面、

一本ごとのそれが束になり、麺の角の鋭さが口唇を通るとき、

確かな風味を喉の奥に運んでくれる。

おっと、麺類の中で最も水の良さに左右されるのも

蕎麦である、と思うのだ。

 

温かい蕎麦は、出汁によりけり。麺が終っても

出汁の透明感が残っていて美味しいと、

それを飲み干すことで、

何とも言えない満足感がやってくる。

もちろん、具材にも左右されるのは、

温かい蕎麦の特徴だ。(と、思う)

 

でも、たまにワタシは学食的な、

サービスエリア的な、立ち食い蕎麦的な…

小麦粉たっぷりの、ぶにょぶにょB級蕎麦が食べたくなる。

あの衝動はいったい何なんだろう。

この件も、まあ、どうでもいいんだが。 

 

ちなみに、中年になる前までは蕎麦が苦手だった。

喉を通過する時、蕎麦のイガイガ感があった、それは

おそらく蕎麦アレルギーに近い症状だったのではないか。

今は、それが全く無くなった。蕎麦の楽しみは、蕎麦湯も含め

色々あって。やはり蕎麦を食す喜びは年齢と共に増すものか。

日本人だなぁってな風情を自分に投影するのである。

(バカなの〜?ワタシ。。。)

手打ち蕎麦のお店を巡る楽しみもあったりする。

 

 

蕎麦はネギの千切りが繊細である程、嬉しい。

かつ、わさびが本物か加工品か。本物のわさびは風味の楽しさ。

加工品は優しい蕎麦の風味を多少かき消してしまうが、

つんとくる辛みから、それはそれで食べている実感があるので、

案外、嫌いじゃない。単に、庶民の味覚習慣。

ともかくは、薬味も感じの良い器に、

気を利かせた添え方ならば、所作の楽しみもあって、

満足感が高いものだ。

 

 

 

数年前に、フランチャイズ店の刀削麺に出会った。

その中でも麻辣刀削麺の味が、すこぶる気に入ってしまった。

 

独特な中華風味で、好き嫌いがありそうだ。

自宅ではその風味を食べたいと思わないのだが、

中華料理屋にそれがあったならば、すかさず頼んでしまう。

ワタシの中では大変クセになる、五香粉(桂皮や花椒など)の

エキゾチックな香りが楽しめる。

刀削麺は10cm前後で一本一本の形が違って、きしめん

ように薄いが、端がぴろぴろとひだ状になっているところが

すする時の楽しみだ。

麺のたねの極太の小麦の塊を刀削麺用包丁で、

ぐらぐらと湯が湧いた鍋に、

削り飛ばして一本ずつ随時、茹でていく。

短時間の作業が要求される職人技だろう。

麺の善し悪しは技で変わるから、当たり外れの落差はやむを得ない。

先日食べた刀削麺は、ハズレだった。(泣)

器の2/3の麺が妙に分厚く小麦粉感が残っていて、無念であった。

(開店と同時に足を運んだ程、食べたかったから…。執着し過ぎなのだ(呆))

更に、生のニラとぽそぽその豚ひき肉も乗っているのが好みデス。

(どんだけ拘るんだ〜)

ともかく、最近のワタシの中でのイケメンは刀削麺と言っていいかナ。w

 

 

他にも、20代前半、

友人が連れて行ってくれたお店の韓国冷麺は初の食感で、魅せられた。

冷麺への執着が30代まであった。

イカや梨、透明なスープと金属の丼が何とも涼しげだった、

焼肉店の冷房の効いた、静かな夏のひとときを思い出す。

だが、なぜか飽きてしまった。

 

 

 

そんなどうでもいい麺論と麺暦。

ワタシの個人的な嗜好をブログにダラダラ書いても

仕方がないので、この辺で。

以下、割愛。