ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

尾畠春夫さんのことから 【二】

 

 

前回の内容に続いて、ワタシの感想を。

 

尾畠さんの30分以上のインタビューの中で、

理稀くん行方不明の一報がマスコミから全国に報じられた日から、

大分県に住む尾畠さんは山口の捜索現場まで行くか行かないか、

2日間ほど検討したという。

3日が過ぎ、まだ発見されていないことを新聞で知り、

即座に車で一般国道を使い、山口県へ向ったそうだ。

8月15日午前6時、現場の捜索に加わった。

尾畠さんの経験や勘を頼りに子供は山の上へ向うと考え、

歩みを進めたその20〜30分後に、あっさり理稀くんは見つかった。

 

マス‘ゴミ’と皮肉って、ワタシは常々批判している。

一方、不特定多数の人に伝え、まるで無関係に感じるマスコミ情報を

尾畠さんは我が身のこととして捉える。

 

以前、海外の自己啓発の書籍を読んだ時にも、

今回のことと近い話が書かれていた。

事故に遭いケガをしたり困っている人を新聞で知ったなら、

見ず知らずの人へ直接、金銭支援する人物を紹介していた。

 

また、「あなたと健康」という月刊小冊子を40年以上、

執筆発行されている東城百合子さんのメッセージも思い出される。

何事も自分のこととして本気で受止めることが、人生に於いて大切。

現代のマスコミ社会はそれが失われがちだ、と。

 

マスコミが報じた情報を身近なこととして痛みを持って受け止めるのは、

当事者か、知人関係くらいなのが今どきの(悪しき)常識である。

縁もゆかりも無いような人が、自分のこととしてマス情報を受け止め

行動するというのはなかなかできることではない。

マスコミの情報は他人事になるよう作られてもいるだろうし、

視聴率が最優先の現場では取上げた情報はいち材料・商材に過ぎない。

営利的な情報が溢れ、大衆はそれに対して鈍くなり、

危険なこと面倒なことには一切、関わりを持たないよう保身だけを

情報から抽出し、マヒしてしまったとも言える。

あるいは、マスゴミの美味しいとこ取りの群れ、小市民。

 

垂れ流す無責任さ、ジャーナリズムだ、客観だと言って、

キレイ事にだけ参加し、事件事故現場で困難に直面している人を

冷酷に見捨て、割り切って取材する野次馬集団は、

人間として罪深い。無責任さ冷酷さがマス情報に

鏡の如く転写される。受け取る側にも潜むそれを自覚しない限り、

同じ穴の狢となる。

 

ともあれ、尾畠さんの情報の取り入れ方を見習いたいものだ。

そして、何よりその行動力に頭が下がる。まずはできることから

行動しよう、と今回の件は身近なことに感じ、ワタシも勇気を頂いた。

身近で気付いたことからでいいと思った。

 

また、尾畠さんの意識と行動のスケールが、マスコミという幻想組織を

とっくに超えているからこそ、今回の朗報がもたらされた、と思う。

個の自律する意識は、時に偽ユダ御用達組織も

役に立つことを起こすのか…。

 

 

ロ事件について転載した内容の一部分で思ったのは、

事件や事故などマスゴミが流す情報の渦中の人が案外、

疎いこともあるようだ。まるで台風の目の場所だけは、晴天になるが如く。

 

真実を捉えることは決してない、

それがマスゴミであり、幻想組織である、と思った。

 

 

マスゴミの偽ユダの使役としての役割は、

・事を荒立るため、混乱を促すため。

・あらゆるプロパガンダのため。

 特に偽ユダ所有企業スポンサーにとって

 メリットの多い情報を公平を装い意図的に流し、

 その企業デメリットになる情報はまったく伝えない。

 その他、買収前の企業の株価下落を狙って後遺症にならない程度の悪評を流す。

 ライバル企業はマスゴミスキャンダルや風評で、弱体化か再起不能にする。

 つまり、ニュース報道等でイメージアップの意図がある企業は偽ユダ株所有。

 (分かりやすい…笑)

・イメージも含め、西洋人社会を賛美する情報が、非常に多い。

・大衆にとっての悪法を立法させる時期は、

 他の下世話な情報で大衆を攪乱し目逸らしする。

・自己顕示欲を触発し逆なでし、優劣感情を盛り上げ

 大衆の競争社会を激化させる。

・人間の意識を貶め、大衆に本質的なことを考えさせないよう誘導し続ける。

・知らなくていいことまで知らせ、大衆の不安や恐怖心を煽る。

 逆に、知らなくてはならないことからは目を逸らさせたり、御用学者や

 御用専門家らを利用し、重要情報を捏造や隠蔽をする。

・過去の辻褄が合わない事件事故の情報は隠蔽する。

 事件事故などの報道経緯を検証することもなく、垂れ流しっぱなし。

 

 

 

マスコミの存在その建前は、大衆の味方であり政治を監視する役割のはずだ。が、

その実、闇の権力者である偽ユダの創設した機関であり、

大衆を家畜化〜ロボット化という最終目的があることは

情報の長年の系譜を検証すれば明らか。

かつ、日本では日本人に母国愛を抱かせないため、

自国を嫌う、否定させるため、

GHQ置き土産の、「反日」感情の啓蒙活動(汚染脳)が

今も尚、マスゴミで着々と続けられている。

自国を卑下する感情を植えつけるよう、

日々の国内外の事件事故の情報を過去も含め、

微に入り細に入り偽情報を拡散する。

殊更に日本が荒廃していくよう促す情報に満ちている。

あるいは捏造、冤罪にまで加担する。

今回のように稀に、朗報を伝えても執拗に取上げ、

マスゴミ十八番のほめ殺しで、大衆を食傷気味にし

飽きさせるよう仕向る。

平凡な人が突然ヒーローになったことを

人によっては、嫉妬する負の感情をも刺激する。

 

マス‘ゴミ’たる所以である。

 

インターネットのお陰で誰もが不特定多数に向けて、

発言できる時代になったから、

以前ほどマスコミプロパガンダの効力は無くなったかもしれない。

マスコミ情報で好奇心を満たす情報、娯楽の延長、

情報を消費・消耗する時代は終りだろう。

 

マスの情報も身近な訴えとして受止められる世相に変わりつつある。

だが、ワタシも含め個々の情報発信の真偽は、

偽ユダの最終目的で束ねられてきた

茶番で分かりやすいマスゴミ偽情報のそれ以上に、

情報源は不確かで、更に混沌としている。

今、偽ユダの大衆を制御する注力は、

ネット、SNSクラウド化よって

大衆への偽情報配信と収集をAI社会へ仕向けられている。

それは性急で、焦っているようにも見える。

 

 

ともかくは、自分の身に問題が起きた時、誰しも本気になる。

よって、マス情報を自分のこととして捉えるには、己の器に呼応する。

マスゴミ情報を単に批判しているワタシは、

尾畠さんのスケールの大きさに足下にも及ばない…。(反省ーー;)

 

**************** 

 

過多な情報を取捨選択する基準は何であるだろうか。

欲を基準にした意識、何かを求め与えられる、

何かを得るため得するため、助かりたいがために、

また自己存在を肯定する、自己顕示欲を満たすために。

自分にとって都合の良い情報、受動的な情報に、

群がってきたのが、私たち大衆だった。

 

尾畠さんのように、自分に何ができるのか。

この身を置くこの世界で、今の自分は

何を与えることができるのか、という能動的な意識、視点。

個の自律によって、偽情報は効力を失っていく…と思った次第。

加えて、精神状態、意識の波長によって、

取り込む情報が変わることも自覚する必要があろうか。

 

 

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長くなるが、

後述する「逝きし世の面影」第十四章〜心の垣根〜から抜粋した

内容に寄せて、感じたことを書き留めたく。

 

 

「さゆふらっとまうんど」さんというIDでYouTubeに動画を

投稿されている方がいる。IDは少し馴染みのない言葉であるが、

「平塚まさゆき」さんという実名を公開して、社会活動家と

名乗る勇気ある投稿者だ。

彼は闇の権力の存在を数年前から認知し分析し、熱心に発信

しておられた。彼の動画を時々視聴させて頂いている。

 

さゆふらっとまうんど - YouTube

https://www.youtube.com/channel/UCbLAlPK5nmnAq8fwnHhMSIg

 

 

最近では、2017年春に千葉で起きた‘りんちゃん殺害事件’の

冤罪の可能性を踏まえ、真相究明をテーマに情報を発信していた。

任意で、刑務所で被告者と面談し、事件の経緯や被告とされている

本人の心情を丁寧に取材していた。

それを随時、YouTubeで公開し、

マスコミ報道の経緯や警察の所動や応対について、疑問を投げかける

動画を長時間にわたり、いくつもアップロードしておられる。

殺害事件の記者会見が千葉県庁舎5階で行われた際、

会見参加希望者の抽選に漏れた彼は、様子だけでも知りたく

5階ロビーで待機していた。会見終了後、

見ず知らずの男性とエレベーターに乗り合わせた。

そのほんの数秒の密室状態の時、その男性から突然、暴行を受け、

更に、所持品のビデオカメラを盗られてしまった。

直後の映像をスマートフォンで記録し、事の次第を伝えている。

 

事件会見後ともあって、すぐさま、

近くにいた警察・刑事に経緯を訴えたのだが…。

平塚さん自身が咎められるような問答に進んでしまう。

彼は、動転し刑事の対応が異常であることに、当事件も含め、

改めてこの殺害事件の捜査、犯人断定、マスコミ報道に不審感を募らせた。

よって、見ず知らずの男が警察と繋がっている、と

断定は避けるも、彼が警察そのものに疑念を抱くのは当然のこと。

 

後日、千葉中央警察署へ問合せた。

今回の彼からの訴状について立件をしないという警察の不自然な対応に

業を煮やし、数回、千葉中央警察署へ電話をかける。

が、警察側の不誠実な対応に呆れる平塚さんの様子に、

色々考えさせられた。

 

全国的に情報発信された怪事件に、個人として疑問を呈し、

身近なこととして考え、行動することが、

非常に危険なことである…という実態。

なぜ、正義を掲げている

組織に疑問を投げかけ踏み込むことが、危険になるのか。

それは偽正義だからに他ならない。

 

 

市民から集めた税金で、生活が成立つ側の公務従事者である、

警察、公安、検察、裁判官…官僚…。何故かしら、

絶大なる権力と実力行使、不気味な狂気をちらつかせられ、

常に市民はその威力に平伏している。

小市民、大衆のおののく様相に付け込んでもいる。

そこに切り込もうとする、

若者の行動を見ていてハラハラするも、

自分には何もできない、せいぜいここでぼやく小市民(家畜)ぶり。

 

政治が正義であれば、そんなハズはない。

政治権力が、警察を窓口に偽善、偽正義であることを

彼の行動と共に、この一件が如実に証明している。

 

 

明るいニュースに繋がった尾畠さんの活動と、

彼のように、政治権力・偽正義にある闇へ立ち向かう若者の正義感、

そのテーマが対照的だった。

マスゴミと同じく大衆は冷酷に、無責任になるよう

ひたすら飼いならされてきた。

警察、公安の実力行使と、監視・懲罰が目的の国家権力で。

 

非常に危険だけれども、それを承知で、

重要な市民活動をひとりでコツコツと実践している、

社会活動家。

 

闇に、偽ユダに、繋がっている(全国配信のマスコミ情報)

大事件大事故では、真相を追求し行動する善意の個人を

法律は一切守ることはない。

社会から孤立させられてしまう可能性さえある。

法律が、むしろ凶器に変貌する恐ろしさを

平塚さんの動画からそれを実感した。

 

小市民であることが如何に偽善であるか。

権力に対峙すれば、偽善者ではなくなるが、

居場所、市民権が失効されてしまう。

偽社会。嘘まみれの世界。

 

 

ほとんどの現代日本人が無関心の、

江戸社会、政治には、正義があった。

年貢(米や繊維…現物)を徴収し、生活が成立つこと、政があることを

公務の人々は自覚していたからこそであり、

筋が通った社会ということだろう。

明るさや良質なユーモアが社会を人々の心を満たしていた。

あるいは、とても「敷居が低い政治」であったことも。

 

 

現代日本社会で、役所へ用件がある人なら経験があろうか。

公共へ苦情を伝えても、タライ回しになることは有名であるが、

今回の平塚さんの暴行盗難の事件で、

警察官の対応は、例に漏れず、更に冷酷だった。

 

組織側の人間になると、人と人との関わりをしなくなる。

不平等感の始まりだ。

日本人の「心の垣根」を高くしていったのは、

明治以降の政治、つまり西洋型の政治なのだ。

 

個の感情、本音本心に不誠実になり、

組織を主人にして、保身する、寄らば大樹の陰。

慇懃無礼な態度で片付ける、公務にあたる者の様子は、

人間の心を醜くするものだ。

 

江戸社会と現代日本社会の落差を

私たちは多少なりとも、知らねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

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「逝きし世の面影」渡辺京二著(平凡社)___

第十四章 心の垣根    一部抜粋(566~567頁)


 ゴローヴニンはその慮囚記に、たびたび日本人の笑いを記録している。
奉行の取調べに当たって、ロシア語を知っていると称する人足が通訳に起用された。
奉行がまずその男に何事か話すと、そいつはゴローヴニンに向い、「お前は人間だ、
俺は人間だ。ほかのも人間だ。どんな人間か話せ」というような、訳のわからない
ことを言い出した。そのうちこの男は、ロシア語で父を何というかも知らないことを
暴露してしまったのだが、そのとき奉行と役人たちは腹を抱えて笑ったのである。
 これは何の笑いだろうか。ロシア語をろくに知りもせぬのに、しゃしゃり出て
通訳をつとめるという、その滑稽さが彼らを笑わせたのは確かだろうけれど、
その底には、民族がちがえば言語もちがって、同じ人間どうしが種々の滑稽を
演じなければならぬという事実のおかしさがあったのではなかろうか。それに
してもこれは、寛容で大らかな笑いである。

 

 ゴローヴニンは奉行荒尾但馬守の日頃からの行為に厚く感謝していた。
荒尾と新奉行の交替に当たって、彼は荒尾へ感謝状を草したが、それを読んだ
七十四歳の新奉行小笠原伊勢守は「不幸にも虜囚の身となったが、運命は
われわれに苛酷なばかりではなかった。何となれば奉行がこの地方を統治して
いるときにこの事件が起こったからである」という一節まで来ると笑い声をあげ、
「他の日本の高官が荒尾但馬守の職についていたら、彼ほどその方どもに好意を
持ってくれなかったとどうして分るかな」と問うた。これは頭のよい、そして
良質なユーモアである。

 

 

 

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上記抜粋部分の紹介で、

しつこいが、もう少しワタシの感想を。

 

 

たった一人の西洋人でも日本にいれば、

政治的に影響が大きい鎖国下の時代にあって。

ロシア人の通訳に、人足とされるいち個人が、しゃしゃり出て来て、

ほとんどその男が“外国人見たさ”であろう、珍劇を繰り広げた。

まず、その男を起用する奉行所の「敷居の低さ」に、私は驚いたのだった。

もちろん、ロシア語をできる人が全然いないのだから、

できる、と申し出る人がいれば誰でも、起用する時代背景だが。

それにしても、この男と役人たちとロシア人との微笑ましいやり取りは

どんなに時代が変わっても、変わらない、

人と人の触れあいの本質が見てとれる。

 

 

現代日本社会の政治、あらゆる組織の「敷居の高さ」は、

大衆も偽ユダも含め、みんなで作った幻影である、と私は思っている。

政治的な通訳者の起用に、江戸時代のようなラフさが

現代政治には全く無い。

如何にも、西洋的な権威大好き人間の集団が、采配する社会を

象徴する「敷居の高さ」。

組織が、怪物となる西洋型の社会構造。

 

そこにもマスゴミの罪がある。(自己顕示欲を満たしたい者を群がらせる)

映像を駆使し敷居の高さを広げようとするマスゴミは、

個人と個人の間に、ご丁寧に大きな溝を作り続け、落差を仕込んでいる。

ホント困ったもの…ダ。┐(-。ー;)┌ヤレヤレ

 

ひとこと、ふたことみことも感想が多いが。。。

(ワタシも自己顕示欲が強い。苦笑)

 

自己顕示欲の強い西洋人視点での謝意が、

浅はかな思慮のない頓馬な発言であったとしても。

当時の日本の役人は、あっさりユーモアに変えてしまう、

懐の深さを思う。

(大)昔の日本人は、素晴らしかった…と。