ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

ブランドについて 3/_

 

 

〝ブランド〟という言葉が日本でよく使われるようになったのは

いつ頃からだろう。

半世紀も生きていると、そうした変遷について考えるように

なるのだろうか。…ヒマ(w) 

 

以下は、一般的な流行・服飾雑貨などについて

時流を思い出しての話。

 

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金持ち界隈のことは知らないが。

〝ブランド〟という言葉が日本で一般認識され

一気に広がったのは、ワタシの記憶では、約30〜40年前くらいか。

戦後1945年から、オイルショックまでの高度経済成長を経て、

昭和末のバブル期1980年代後半から90年代半ば、か。

今では猫も杓子も使う言葉になった。

 

話題が少々飛ぶが。

パソコンは市場に出回り始めていたが、

まだ、マウスで操作できるのは高額のMacだけであった。Mac

イントラネット機能(限定された距離でケーブル接続回線)があり、

「デザイン・印刷」業界をアドビのグラフィックソフトが牽引し、

日本も需要が増え始めていた。同時に、電話回線のインフラも

整い始め、パソコン通信が少々できるようになった頃。

 

インターネット・ケイタイが登場する寸前までの、

画一的なマスコミ情報と広告企業業界のマーケティングが、

社会全般にダイレクトに影響し、マスコミ最全盛、

マスコミ巨頭のバブル終焉前後の日本社会。

 

(マスコミ___TVラジオ新聞雑誌書籍に疑問を抱くのは、

 表面的な情報にだけ注視していた時代。

 現代のように〝マスコミの出自・経緯、存在の是非〝に疑問視する

 言説、本質論については、大衆が全く気付かなかった時代のこと)

 

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TV視聴率で広告料が上下するのと同様、

大衆が購入する販売部数の売上より、売上部数率広告料で

稼ぐファッション生活雑誌。

大手出版社の当時の女性誌で思い浮かぶのは、

セブンティーン、olive・anan・nonno、cancan、ヴァンサンカン、

主婦の友婦人画報_____諸々。

タレント取材や特集記事を絡め、TVと暗に連動させた表面情報の読み物であった。

うわずみの情報で大衆の好奇心を右に左にコントロールしていたか。

コントロールしている気運がマスコミの悪徳エネルギーを作り出していたか?

 

広告も含め、多数の白人モデルが誌面に登場し、

(ヴォーグやエルなどのUSA欧州発雑誌のコピーのようにして)追記

一線を画す〝ブランド〟性をアピールする欧州ブランドメーカーは、

〝日本における主力女性雑誌〝の広告で、高級イメージを強固にしたのだろう。

 

マスコミ界隈で著名な写真家やコーディネーターの手腕も

あってモデルの装いは、ゴージャスであったり、

貴族的悪魔的であったり、みだらに退廃に、

着こなすシュチュエーション誌面は、

一つの記号として。。。それが流行の最先端、という汚染脳であったと思う。

 

そのイメージ流行にどっぷり浸かり、それらが先行した高額商品を

買い漁ることで喜びを見出す日本女性も多かったようだ。

 

ふと、思い出すのは、卒業旅行で美術館を巡る目的に、

欧州3国を旅したのだが、パリの繁華街を友人と歩いていた最中。

日本人の同世代の女性グループが声を掛けてきた。それは、

「Cネル本店の場所、知りませんか?」と。

「知りません」と、即答しその人たちと行き過ぎた後、

ふいに二人で爆笑してしまった。

この世が逆立ち社会と認識しているワタシと、近い感覚を持っている

旅友も、その当時の流行を満身に纏い、多額を使っての海外旅行で、

〝ブランド〟品を購入・所持する目的で頭がいっぱいの、

同世代の日本女性の行動に、我々は呆れる思いであった。

 

 

ブランド啓蒙の行動、志向する日本人に、

同じ日本人として嘲笑を内心感じざるを得ない者もいることを

時に、意識する必要もあるだろう、と。

(劣等感からの情報難民では???と)雑な表現で申し訳ないが。

 

 

劣等感の裏返しのような仮そめの行動と感性。

未だに、そうした汚染脳真っ最中の女性がいるのか〜ィ?!

 

優越感をくすぐるブランド志向は、社会的地位をも

手に入れられるような錯覚さえ与えてきたかもしれない。

心卑しき・・・選民(賎民)願望、上昇志向、今時なら、上級国民か。

日本人全体が貨幣、物質、目に見える、証明できる価値、即物価値に、

偏重していった。競争で手に入れる事物が勝者の証である、という

昭和平成。マスコミ情報氾濫マヤカシ時代。

 

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勝者であろうとする心の中には、

劣等感やトラウマや自己否定、自己憐憫、自信の無さが渦巻き、

振り子現象の枠内で生きる家畜とでも言うべきか。

 

出自が富裕層であっても〝ブランド〟を欲する人間は

心理構造は同様だろう。(大衆より、もっとややこしいかナ?!w)

 

下級国民まっしぐらのワタシの嫉妬?(笑)、愚痴かもしれない。(w)

 

だが、人間存在に、価値の上下を作ることで、

〝仮の自己肯定〟をして、安住、逃避したいのが、

汚染脳された哀しき人間の志向・思考。

 それは・・・つまり。

〝ブランド〟を必要とする本質であろう、と。

 

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