年初めのブログです。
今年もお付き合い頂けましたら幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
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手作業による脱穀を体験させてもらって、
農者の取りこぼしのお米がスズメをはじめ、
多くの生物への「与え」となることを感じた。
飼い猫の食べ残しさえも、
また、生物の意図無き生理的な行動には
地球の摂理が畳み込まれているようで、それと重なった。
ずいぶん前だが、農家として暮らす義父がネギか大根
だったか、少々残った野菜を惜し気もなく捨てた。
ラップを巻き保存する方が無駄、とこちらを見て呟いたことを覚えている。
都市出身でそこで暮らす嫁への皮肉と感じたが、
それは別として、ラップを使うことの無意味さは、同感だった。
農業で暮らす地域では、採れ過ぎた野菜に困ることもあるのだから。
わざわざ、石油製品のラップを遠くまで買いに行く手間と経費。
わずかな野菜のために輸出入が繰り返された石油製品を
消費するのは、地球規模の無駄だ。
工業製品の消費が一人にとってはわずかであっても、
製品を作るだけで、大量の資源や大規模な設備を要する。
つまり、工業というもの、それが貨幣を異常なまでに重要視させ、
地球を磨耗させることを
貨幣の多寡で翻弄される消費者の立場では、無自覚となり盲目となる。
大地から、生活が切り離され、遠くなるほどに。
(自己愛の元凶でもある。)
工業化・人工化が、
ほぼ無意味な税金制度(既得権益者の免罪符と化している)と相まって、
貨幣の重み・厳重さを増幅させ、
(電子マネーも同様。更に強固なものにする)
大衆の人生時間を更に切売りという虚無の人生苦労を
汚染脳状態の感情が貨幣を完全肯定させて来た。
地球生物の本来の素朴な生命の営みが、
進歩発展・便利快適・時短迅速という
薄っぺらな喧伝による錯覚で、大衆は翻弄され続けている。
それが支配者層
(欧州貴族や国際金融家=資本家(偽ユダ)や各国の特権階級)の
君臨を強固なものにしていることに、
便利礼賛・西洋礼賛プロパガンダ、
マスゴ三狂育汚染脳で、
肉体や知恵が劣化し続けていても、
その自覚がない現代大衆の私たち。
言葉はよろしくないが、大衆全体の活動が、
寄生虫の汚城と化している____。
お金を介さず、大地で自ら食物を育て、採取が中心の暮らしでは
もったいない_無駄、という感覚は、お金で手に入れた物品であろう。
生物として当たり前の感性を失わずに済むのである。
都会では他人の労力を介して手に入れる野菜は値段が高い。
都市近郊の新鮮な自家栽培の無農薬野菜など、更に貴重だ。
ラップは簡単に安価に手に入る。
野菜を土に返す田舎生活の環境があるから、
義父が野菜を捨てる時に、ほぼ罪の意識は起きないのだろう。
都会暮らしでは残飯を焼却ゴミとして捨てざるを得ず、
自治体ゴミ収集車に託す他ない。
主婦の多くが、無意識にしろ抱え続けているであろう罪悪感。
残渣や糞尿屍を土へ戻らせることができない。
生物として当たり前の循環が、
損なわれた人工的な社会では、集合無意識の中で
その罪の意識は、「生理的違和感」として延々と消えないのではないか。