マスゴミは国際金融家らの出先機関と、ワタシは認識している。が、
子供の頃はそんなこと知る由もなかったし、かつ
今よりは人道的な道具だった気がシナクモない気がスル。
例えば、昭和50年代のNHKは、午後11時〜12時になると、
日の丸が風にたなびく映像と共に、君が代が流れ
放送を終了した。右翼な印象でニッポン側の政治的な洗脳があったにせよ、
組織への信頼感や期待感が少しはあった。
(ワタシ子供だったのにそんな時間まで起きていたとは…。ーー;)
民放でもアニメを放映する時間帯の企業CMの隙間に、
かの怪しい広告機構だったとは思うが、
「テレビばっかり見ていると今に尻尾が生えてくる」
というキャッチコピーで子供達がアホにならないよう、
テレビから自戒の警告もしてくれた記憶。
(TV大好き過ぎて一週間の主にアニメスケジュールは暗記していたワタシは、
かつ、各局系列や新聞社との連携や特徴を漠然とは認識してもいた…。
20代後半に自作総論として、芸能界芸能人(公共電波の便乗・露出人間)は
“人間博物館、あるいは人間標本”用だね〜…と
友人に話したら、そうだね〜と同意してくれて、妙に嬉しかった…。
マスゴミ業界を末端で従事し、実感としての素朴な感想ダッタノ…ノサ。)
ヤツラにとってはあらゆる戦略があって、
1960年代〜マスゴミ・TV信用基盤の獲得キャンペーン期
だったからなのかもしれない。
いや、公共の電波を使う企業や公共団体としての責任、
良心が、少しはあったのだろうか。
(日本側の視点で言えば、ヤツラは、他国と戦争中や冷戦中は、極東が手薄になるから…。
50〜60年代は朝鮮戦争やらキューバ危機やら…東西冷戦体制の基盤整備、
70年代はベトナム戦争でUSAヘトヘト、石油経済でチャージして。
80年代からはイスラム圏略奪&破壊、イイ戦争、
90年代アフガニスタン・ユーゴ・ウクライナ等で共産主義実験国を解体。
想定外〜<失策>。
一般人にとってまともな社会だったから…ね。
00年代前後は、マスゴミバーチャル戦争ゴッコで湾岸や911。
(ハイテク戦争技術でバーチャル戦争での回避)
スケジュールご多忙中は、
北やら中国と日本はほどほどの威嚇&抑止用(他国インチキ貿易折衝のため)。
で、最近は他の地域がお暇で、北と日本を騒がせている訳で。心中お察しします。 笑)
いかんせん、マスゴミに触れる程、想念が汚れるなぁ〜
というのが実感だ。
「八百万神の世界観の一筋縄ではいかない面倒な、
曖昧さが特徴の、自然種系に近い大半の日本人」を
少しでも簡易に支配したい偽ユダや半島系支配層(人工種系)は、
まず是が非でも、曖昧でない思想や世論を二極に、
分断させたかったのだろう。
戦争責任を追求させ喧伝する左派と、
天皇制肯定を喧伝する右派を造ったのは、
(ある意味この地では、
それさえ抑止に変化ヘンゲしてしまう気もするが…。)
戦前の日本は書籍販売が自由で、卸問屋が多数あったというが、
戦後GHQ占領政策で、失笑に値するのは著書出版にあたって、
書籍の卸問屋を解体し書籍流通を「日販または東販」を
通さないと全国有名書店に書籍が並べられない法整備をした経緯がある。
焚書という言葉が暗に示しているのは有史以来、
外世界からの情報が支配のために、如何に制御されて来たかを
物語っている…。
市販の約9割くらいの書籍からは(今はネットも…)
勉強するほど、
情報を外から集めるほどに、
自分の主体的な意識、内なる意識を見失うよう
汚染脳世界がそうできているのだなぁ、と…。
文字・印刷物・電子媒体による知識や思想や世論が、
如何に後付けで、
自分の内なる発露ではないことを
ワタシたちは身を持って感じないと、マズいんじゃないかな…と思う。
だけれども、汚染脳世界を究極的に見つめると、
自身の内面世界を外面世界に映し出している。
現世「うつしよ」とはよくできた言葉だなぁ。
客観主観という境界の意識をどこで付けるか…の判断と、
その曖昧さと、相対の面白さ…。
己の暗部を見るのに、外部のダークサイドへの投光。
プチ・パラレルワールドかぁ。。。