ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

成長とは何か…の、いまの私感  1

 

 

この世の成長とは何か。

目に見える世界の成長と

目に見えない世界の成長。

 

それらを思うとき、

目に見える事象、肉体としての

成長とは、外的世界への広がり、

と共に、衰退や老化、有限。

表裏、縦横、陰陽の、

逆が在るのは、三次元の摂理。

 


見えない世界の成長とは何か。

内面の成長とは何か。

 

それは、受認・受容であり、受入れるという、

目には見えない行為・活動であり…

内的世界の成長は、無限。

 

外的世界の現象、混沌の中での経験。

身体、物理的な活動なくしては、

精神・意識の成長も為し得ることはなく。

 

それを映す内面、精神の葛藤で起きる摩擦熱。

内外の均衡を求める、

求めざるを得ない性が、人間に具わっていて…。

 

摩擦熱を理性で冷却し、葛藤を理性で整理し。

感情で納得し遊びを生み、

次なる変化の余白も作り出し乍ら、

意識は受入れて、内的世界の成長があるのだろう。

 

三次元の活動の中で、目には見えない意識の活動が器を作り、

広がり強化され、純化され、繊細さが具わっていく。

意識の密度、質の変容であろう。

人生はその繰り返しなのだ、と。

 

 

内側と外側には循環と、

有限・無限のパラドクスがあるなぁ、と。

外的世界の混沌や摩擦熱、

間に起きる葛藤。

内外世界の均衡へ向けての、

パラドクスな熱エネルギー。

引き算のような作業は、不可欠な訳で。

 

植物に喩えた温室育ちなんて言葉は、もちろん皮肉だ。

温室育ちには未知の恐怖・怯えが付きまとう。

それは神経質であって繊細さではない。

似て非なるもの。

安定安全を求めている間は、保身故に、

不安が付きまとう。

 

物理世界で

大きく広く多く強く速く…、

拡大・拡散・波及・制覇・席巻・達成…というのは、

成長ではない。

足し算だけの片面であり、理を逸脱した活動、

短絡したもの。

それは、膨張であり、肥満・肥大であり、浮腫であり。

‘影の如く、幻’だとワタシは、常々思う。

それに騙されて続けているのが唯物即物の社会世相な訳で。

密度や質の希薄で、劣化する。

不安を来すのは当然の理である。

 

 

言い古された喩えだろうけれども。

人間元来の成長とは言わば、

野生植物動物が、自然界のあらゆる刺激、

穏やかな日々、時に風雪日照りを受け、

他生物の寄生や戯れ、捕食や共存もあって、

狂気、毒も駆使しながら…。

 

可視できない細胞それぞれが増えたり減らしたり、

未知の変化をしながらの…。

 

ゆっくりと、たまぬ活動で、

自然なる揺るぎない生命力を培っているのと、似ている。

成長は、急ぐなかれ、と。

 

ありきたりなこと。

内省を込めて、

そんなことを

ふと思う。