ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。脱出!」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

不安を選ぶ、という話

先日、家人より興味深いことを教えてもらった。
テレフォン人生相談のパーソナリティである
加藤諦三氏が「不安を選択する人と、不満を選択する人がいるが、
多くの人は不満を選んでいる」と度々語ると。
つまり、挑戦や創造には正のエネルギーが必要である。
それに伴って「不安」も付きまとう。
後者は現状維持を選択することで安定安住する。すると、
負のエネルギー「不満」が増える、という意味だろう。

バケツの水は腐ると言ったところか。

不満を選ぶ人を「ピーチクパーチク組」と、私は命名することにした。
ついでに不安を選ぶ人を「サクサク組」(仮称)とでも呼んでおこう。
大半の人間はピーチクパーチク組である。
この対の言葉で、自分の生き方に反省を込めて、
ずっとその境目を行ったり来たりして、混乱していたのだ、と合点した。
確かに、目標を持って生きている時期は、ピーチクパーチク組の
人間が離れて行く。サクサク組に入り始めると、
それの合図のようにシンクロニシティがよく起きるようになる。

怠惰さが生活に忍び込んでくると、感動や思わす感謝したくなる出来事は減り、
自分の不満が募るからか、人間関係や煩雑な悩みに振り回される気がする。
また、不意の難題も増えるのである。
あるいは、サクサク組から外れてくると、ピーチクパーチク組の問題より、
難題になっている場合があるようにも思う。

「不安」と「不満」の象徴的な言葉のお陰で、
「生き方に方向付けする、自己実現、目標を持って生きる」を
することで、関わるご縁、見える景色が違っていたことに、
今更ながらこの歳で気付き、少し考えの整理がついた。

ついでに理屈を書くと、方向性を持って生きると目的意識や念が強くなるから、
今、流行言葉のいわゆる、引き寄せの法則というものが起きるだろう。
更に言えば、意識の世界で単位が変更されるというか(mmからcmそしてm…みたいな)、
例えば、些細なこともひとつひとつ感謝することを心がけるエネルギーが、
やがて塊になって、もっと大きな感謝や感動になる塊に出会うという感覚だろうか。
景色が段々、ダイナミックに変わっていくというか。

「ピーチクパーチク組」にいると、些細なことに感謝と不満が、
混ぜこぜの暮らしになるから、なかなか塊ができないのである。
だから、出来事や感謝の単位はいつまでたっても小粒である。
すべて感謝の心境なら、サクサク組とかピーチクパーチク組とか
関係なくなるのだろうけれど。
そこまでに至る生き方はこの世ではなかなか難しい。
宗教的に言えば、悟りを拓くと言われるものだろうか。

ひとつ肝心なことは、目的意識の質である。
有名になりたい、偉人なりたい、金持ちになりたい、資格を取りたい、
何賞を穫りたい、何とか大学に入りたい、何とか会社に入りたい、
という表面的、形骸的な目標は、
単に振り子現象、プラスとマイナスの行ったり来たりの、
2次元に陥るだけである。しかも競争があるから、
どこまでも肩に力を入れて生きなくてはならない。
努力も大変なものになるだろう。己の一方通行の願望だから。

そして、利己的大目標達成の果ては、マイナスである環境破壊や社会問題に、
繋がっている職業、大企業陣、政治家…、汚染脳教育・研究者…な訳である。
ご褒美を目指す「努力と達成」の構図は、先述した振り子現象で
つまりギブアンドテイク(2次元)意識で、
外部からの刺激(主にマスゴミ&教育プロパガンダ)で、
競争(明治政府による造語)の摩擦エネルギーにより、
三角形が形成され、ヒエラルキー・ピラミッド型社会に帰結する。
支配側の思惑で頂点は幾らでも高くできる。
そして社会や自然環境が疲弊、破壊へとひた走る。
現代社会はもうその終着点が目に見えている。

ちなみに、冷淡な言い方をすれば、
ピーチクパーチク組はピラミッド型社会の
底辺を不本意に?!支えているのである。


充実した目標とは、存外に素朴なもので他者対象を喜ばせて、
自分もそれを楽しみたい。面白そうだから…。
そんな温かい想い、好奇心の始まりがたぶん、正解だ。
様々な「循環」が始まるから。

大きな循環の始まりも、小さな今できることから、気付いたことから、
ひとつずつ、身近なことから、お互い様の気持ち…から、と思うのだ。

「不安を選ぶ」という主題から逸れたようだが、
日常によく見れば、不安だが、ちょっと目的意識、勇気を持って
行動すれば、何かが動き出す。観察、洞察も忘れず。

そこでもうひとつだけ書いておこう。
誰しも感動や感謝が可能な世界観は、
私たちほとんどの人間に知識の範疇にない、
むしろ蔑視されている、不可能と思っている…、
「狩猟採集」の暮らしであることを家人は熱心に語る。

それについて私もある程度、共感している。
まだ知らないことが多いから、すべてを肯定できる術はないし、
私は臨機応変、折衷案がいいと思うから、良いとこ取りがいいんじゃないか、と。


ともかく、簡単に言ってしまえば、目標を持って生きる必要性は、
誰しも子どもの頃から大人の言葉の刷り込みで、分かっていることである。
別段、大目標でなくていいのである。



さて、自身のこと。
呑気にしている近頃は、
ピーチク〜組は、面倒臭いと改めて分かった。
かと言って、サクサク組の凌ぎを削る競争も疲れるから、
日常のちょっと不安でも、よし!と
思えることから手をつけようかな、と。
その実、ピーチク〜組が真実の循環を作る要だ、と思うから、
やはり日々の暮らしの心がけ、姿勢は大切だ。