ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

田舎と都会___1

 

 

田舎と都会というものが、時代を超えて

人間の心理に様々な光と影をもたらしていることは確かであろう。

だが、田舎人と都会人について個人として分析をし意識化している人は

ほとんどいないのではないだろうか。

 

日本に於いては、東京という土地があらゆる社会活動の中心地と

認識されている。日本人口が減少傾向にあるにも関わらず、未だ

東京都民は増加傾向だと聞く。

 

戦後から現代という括りで見れば、マスコミの普及と共に、

あらゆる産業企業が続々勃興し、工業生産に伴い

お金の流通量が増大するに従って、税金も集中していく

東京を始め、横浜、大阪、京都、名古屋、福岡、仙台、広島、札幌・・・など

江戸時代に主要の藩であった土地、明治前後で入植した土地も含め、

それ以降に政令指定としての都市が、情報、貨幣、物流、労働、

あらゆる組織体の機能が戦前よりも、いっそう強力になった、と思う。

 

一方、田舎という観点を考えると、

農業漁業林業畜産業、資源を中心とした地場産業

あるいは観光業で成り立っているが、過疎という問題を延々と抱える。

情報、貨幣、物流、労働の減少傾向に歯止めが掛からない状況が、

集団就職を奨励した昭和30年代頃から、加速度的に続いている。

生命を支える場であるにも関わらず。

 

人の動き、各々の人生を形成する場の選択が歪であることは、

誰しも知っている日本の現実であろう。

自治体のテコ入れとして、地方創生の政策や農業就労を奨励する施策も

行われているが、焼け石に水のような状況であろうか。

 

集団就職に限らず、進学や結婚を機に、

都会を志向する人はいつまで経っても減らないが、

田舎を志向する人はいっそう少なくなっている。

 

簡単に、田舎と都市を分けて論じられるものではないが、

まずは、そうした分断とも言うべき、田舎と都市の成り立ちは、

大雑把であるが、庶民と権力者という力関係が、

田舎と都市を生み出すことは、想像できる。

 

この構造は、日本に限らず、時代を超えて世界中で起きてしまう、

普遍的な現象と思う。

 

その普遍的な現象に人間は飲み込まれ、様々な心模様が

現代にまで続いている、という簡単で雑な見方を当方は持っている。

この観察が、正解か不正解かは知らないが。

ともかく多くの人の心理に、些細ながらも

劣等感や優越感が発生し、渦巻くエネルギー・カオスを作っている。が、

ほとんど意識化されていない、あまりにも無防備で無意識に潜む

テーゼであることを意識し、少々言語化したいと思う次第。