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ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。脱出!」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

『逝きし世の面影』を読んでみると、改めて
江戸時代の雰囲気が、ドラマ、映画、小説などマスコミや学校教育で
汚されてきたことはよく分かる。明治政府以降の洗脳戦略である。
しつこいが、
士農工商という言葉を喧伝したのは明治政府である。
「えたひにん」という同和問題被差別部落などと大声で

騒ぐようになったのも実のところ明治政府の悪用がその発端ではないか、

という推測もしている。
(明治ではなく暗治時代だな…こりゃ)

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明治初期に来日したロバート・フレデリック・ブラムという

アメリカ人画家が描いた明治初期。

江戸社会の詩情がまだ十分残っている頃、画家の視点のお陰で
『逝きし世の面影』の文面と重なり、確かに私たちは
言葉にならない「詩」を捨てさせられたことを感じるのではないだろうか。

http://japan.digitaldj-network.com/articles/25212.html

日本人の描いてきた日本画水墨画木版画工芸品、

能や歌舞伎、相撲や見世物小屋まで、
それらは…「詩」の真っ最中なのであった。
抒情詩は社会全体の人の美しい心の営みに宿るものなのだろう。

アメリカ人画家が描いた絵は、記録であり博物なのである。
「詩がありました」という説明であって、

そこに詩が詩を呼んでくることはない。

その違いが在ることを日本人のあなたなら…
何となく感じ解ることだろう。

そして、私は何度かこの画像の頁を見たことがあったが、
その度にショックなのだ。
大変なことを失った「衝撃」や人間性の「落差」を
否応なしに感じるからだろう、と思っている。

かつて幕末までの日本の人びとには「まどろみ」の時が

あったことをこの絵から、まだ窺える。
そして『逝きし世の…』を読んだからだろうか、

相克のように主体性、つまり生への「意思」を
当時の人びとの絵の視線からも見てとれるのである。
それこそが、人生を人生たらしめることを
ロバート・フレデリック・ブラムの絵にも

記録されていることは確かである。
ただ哀しみや翳りも感じるのは明治も十数年経過したからだろうか。