ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

葉加瀬太郎のバイオリンから…

 

 

 

なぜだか葉加瀬太郎の演奏を聴きたくなって

Youtubeで検索して聴いてみた。

 

何だか、心にしみる。

 

何だか、大げさ。

 

何だか、ドラマチックで、やけに作り事。

 

ああ、現代はコミックなんだな…と思った。

 

もう、渾身の・本気の・時代を経た魂は、

ちょっと客観の世界でこの世を見ている。生きている。

だけれども、「今」に在らんとする意識の世界…。

 

だれもが、この世(三次元にて)の演者だと

気付きかけている。

それが、コミックなのだ。

 

立川志輔の落語も大好きなのだけれど。

落語を聞いていると、

この人は多分、すごく、コミック誌が好きな

落語家なのじゃないかな?!という

描写が随所にある。

 

現代の表現者の大半は「コミック」なのだな…。

真剣だけれども傍観者。

人生の悲喜交々は主観ではなく、

幾多の魂の人生経験で操る技を身につけつつある。

一生懸命と脱力。

 

冷静と、…情熱。

言語化しようのない無自覚なその熱情が解るのは次の時代か…洗脳社会故に。

 

 

 

主観を腫れ物のように恥部のように恐れながら照れながら、、

扱う時代の…客体・客観。 

 

そんなスタンスが現代日本社会なんだなぁ…と思った次第。

 

 

 

 

 

 

かくさん (その1)

 

 

ある場所で、たまたま偽ユダについて会話する機会があった。
相手の人は、「BSでヒットラーが600万人のユダヤ人を
迫害したドキュメンタリー番組を見た、ひどかったんだねー」と話されていた。
言ってよいか迷ったけれど思わず、
ヒットラーロスチャイルドの私生児らしいですよ」と私は切り出した。
ユダヤ人迫害も事実かどうか疑問視されていることや、ユダヤ人と呼称する人種は
アシュケ…とスファ…がいて、アシュケ…は偽ユダであること。
公社からの民営化は彼らの私有化であること、
マスゴミも偽ユダの支配下であることを矢継ぎ早に伝えた。
その人はその話題に戸惑っておられた。が、全く拒絶する様子でもなかったから、
その流れで、田中角栄の話になぜか飛んで、ロッキード事件も、
やらせで、当方なりに分析した経緯を話し出すと、

別の話題に変えようとされた。
確かに一気に話す内容ではないのだけれども、ふと気付いた。

 

当時のロッキード事件マスゴミで知っている多くの人は、
田中角栄について考える事自体に拒否反応があるのかもしれない、と。

 

マスゴミは偽スキャンダルでバッシングして、
ん国際金融家らに都合の悪い人物を標的にし、
TVで散々、イジワルそうな表情の映像や
人格イメージを徹底的に汚し切る。

ロッキード事件は、今やマスゴミ十八番の手法、

それは初期実験的な報道と当方は位置づけしている。

 そして正論を掲げ反骨精神旺盛な人物の政治家生命を奪ったり、

実際に暗殺する。

大衆心理のほとんどは、つまり

一度嫌いになった人物の印象を

好感に塗り替える事はまずできない。
したくないのである。

それは、食べ物に例えると分かりやすいだろうか。

 

また一見、マスゴミの事実関係の説明で大衆は論理的に

理解しているつもりだが、

実際に視聴する私たち自身の心象を見つめると、

映像の威力で感情が優先になっているのが、

映像メディアの恐ろしいところである。

(イギリスのタヴィストック人間関係研究所を筆頭に

各大学の研究で様々なメディア実験があろう)

 

更にそうした媒体は、間接的な体験のものだから、

余計に無責任な感情となり、

感情の野放し・TVに向かって悪口言いたい放題になる。

 

 

大衆が、こぞって嫌悪感を持った人物の転落人生や亡くなることは、
大衆心理の中で正義感が盛り上がる一方で、
貶められた人物への(ざまあみろ的な)卑近な優越感が

大衆それぞれの心理に発生する。

連日過剰垂れ流しマスゴミ報道で大衆はその話題に

食傷気味・膨満感を持つことになる。

それと同時に、大衆側自身ひとりひとりの

後ろめたさ、うっすらとした罪悪感を伴って、

事件一連のマスゴミ報道収束と共に、
以降、大衆は生理的拒否反応とも言うべき思考となり、

一切それに触れず考えたく無くなる。

 

事後に事実関係を分析する者が、一般人にほとんど居ないのは、

だからこそマスゴミにとって好都合である。

嫌悪感あるいは好感、その「感情」を操ることが

マスゴミには如何に重要か、という訳だ。

 

 

 

深層は、嫌悪感による共犯的自責の念を大衆に発生させるのが
「レッテルを貼る」ということである。
それは「目に見えない意識」(無意識)の行為だから

自己によって客観視するのは、非常に厄介なのだろう。

 


そんな大衆の深層心理を逆手に取って、

マスゴミの人物バッシングは繰り広げられ、
政治的に操られているのが、戦後から延々と続く映像メディアの

マスゴミによる大衆汚染脳だ。

 

元来、意識は水や空気のように透明であるはずが、

マスゴミの恣意的かつ無駄な情報による大衆の小さな罪悪感の集積で、

潜在意識、集合意識が曇り濁ってしまう。

そこに警鐘を鳴らしたいのが、当方の本意のひとつだ。

 

 


かなりのひねくれ者である当方、

自称へそが2.5回転くらい曲がっている。

集団から嫌われる者と好かれる者の観察をほぼ無意識にしてしまう。

 

その観察から集団心理を当方なりの客観(生物的行動)で、
役割という見方をしてみたり、長所短所を己の姿に照らし合わせてみたり、

あるいは人間同士の因果関係や、
好かれる人物と嫌われる人物の生立ちにまで想像を

膨らませてしまう癖もある。


そしてどちらかと言えば、

一般に嫌われる人物に興味が湧き観察の目を注いでしまう。
むしろそうした人物の方が、面白かったりもする。
嫌われ者を擁護する視点も持っていたい、とも思ったり。
観察癖のこの当方こそ、嫌われ者になってしまうわな。(笑)

 

 

マスゴミの大衆汚染脳の狙いとは別で、

せめてもの恩恵と思ぼしき事を

ひねり出し見方を変えれば、マスゴミ報道の経緯は、

真逆の視点、あるいは異なる角度で
物事を考える、本質を見抜く自己の訓練に役立つ、と言えるかもしれない。

トホホーー;
(そんなことしなくて済む報道を望むが、まったくもって無理だから)

 

ドラマや映画では、映像に登場した回数と時間が

最も多い人物に、鑑賞者側は好感を持つ結果になるという。
受け身での鑑賞・見るという行為は、

視覚聴覚の情報「量」で好感度を左右されるのだ。

(CMはそれを利用している顕著な例)

 


繰り返しになるが、人物の悪印象の映像をニュースで繰り返し見る事が、
大衆にとっての嫌悪感に比例してもいるだろう。


人物に限らず、ケイタイだのゲームだのその情報に触れる程に、
経験値が人生時間に呼応するから、好きな事になってしまう。

そうせざるを得ない心理が人間にあるのだ。


心理的メカニズムを知って、情報量も

自らコントロールすることが重要だ、と思う。

 

 

 

 

 

鬼塚正昭氏の遺稿で、佐藤慎一郎氏が出版にこぎ着けた
田中角栄こそが対中売国者である」(成甲書房・今年3月出版)
という書籍の内容は、当方の知らないことだった。
中国から300億円の資金提供を受けた田中角栄の裏話には
どのような経緯があったか…。まだ読んでいないから分からない。

が、概要と目次に目を通し分かる事は、

これも汚染脳用ではないか、と。


なぜなら書籍を紹介されているHPを見ると「東シナ海油田」についての
話が載っていない。

中国共産党が、ん国際金融家の腰巾着であることは
書かれているのだろうか…。

 

 

 

 

これからの選挙の意義は、立候補者が命賭けで“偽ニッポン”の  真相を伝えること…

 

 

 東京都知事候補

 桜井誠氏  都知事に相応しい。

(経歴については他ページ等参照のこと。)

 

 

twitcasting.tv

 

都民ではないから一票投じることができないけれども。

当方にとっても、聞く価値のある街頭演説だったので掲載したい。

ぜひこちらの地元でも街頭演説を行なって欲しいと思う。

 

 


有田芳生先生もお忍びで応援に来てた!【桜井誠・東京都知事候補】パチンコ店前にて「パチンコ規制」を叫ぶ(司会:せと弘幸氏)2016.7.24西武新宿駅前

 

 

 ただ…天皇についての解釈は奈良時代から違っているので(ミッシングリング)、

その真相が分かると現代がなぜ狂った社会なのか、という

理由も解ってくるのだけれど。

それほど奥深く隠蔽されているようなのだ。

 

そして、西洋礼賛がたたってか、日本で外国人優遇の問題を

中国・韓国北朝鮮・フゥリピン・イラン等々に限って

取り上げていることも少々問題だと思う。

白人系外国人への優遇(これも差別)は法整備の優遇だけでなく、

日本人からの感情的優遇、白人系外国人の優越感や支配的態度には

大きな闇の問題と歴史的背景があることにも言及して欲しい。

桜井氏の発言は極東問題を悪化させる地雷を

踏むような発言かもしれないが、

一般の朝鮮人支那人も日本人も、

民族性の差異をも利用されている…、目を向けるべきその矛先は、

マスゴミや茶番劇役者の政治屋やそれを操るん国際金融屋さんたちだ。

とどのつまりは、世界中の一般大衆全体が狂育や政治、マスゴミからの

汚染脳による被害者なのだ。

 

 

主が母屋を明け渡しさせられ、離れに住まわせ、

居候が自分の家の如く母屋で大きな顔でふんずりかえることを

熱心に積極的に進めようとしているのが、

偽ニッポン政治の目的だ。

 

国際金融家集団の目論む偽ワンワールドにするために

外国人労働者不法滞在者、観光者によって日本を

破壊させようとする政治意図を見抜き、発言していかなくては、と思う。

 

「皆さま、母国・祖国に帰って地元を大切にして生きて下さい。

マスゴミの言うところの成功者なんて幻想ですよ。

白人の皆様はヨーロッパへ、黒人の皆様はアフリカへ、

中国人の皆様は中国へ、朝鮮人の皆様は朝鮮へ…。

そうすれば、環境破壊も是正され、きっと平和社会になりますから…」と。

非現実的であるけれど、そう呟きたい衝動に駆られる訳で…。

 

タンザニア出身の知人が言っていたことを思い出す。

アフリカは元来、豊かな大地なのだ。白人たちは彼らから

大地を奪い利用し続けるためにアフリカを貧しいイメージにして

メディアで繰り返し流しているんだよ。

貧困に苦しんでいる人ばかり映すのもそうした作戦なんだ…と。)

 

 

 

 そして、この人もよくぞ言ってくれた、と思う。

C1A配下チョウセン汚電通勢力下のマスゴミの一端を

発言した立花孝志氏の動画。

 

 

 


東京都知事候補者 2016 政見放送 立花孝志

 

 

これからの選挙の意義は、立候補者が

“偽ニッポンの真相”伝えること…

だな、と思った。

 

不正選挙システム企業・安倍ムサシ”が選挙票の隠蔽疑惑を

今回、更なる巧妙さで総ム省があっさり改竄しているだろう

先日の参議院選挙の様々な情報で改めて思い知った。(呆れた)

 

偽ニッポンの選挙は出来レース&不正選挙なのは、

洞察力のある人ならもう分かっている。

だから、選挙など意味がないと諦めざるを得ないし、

政治に関心を持っても国民不利益が目標だから、

大衆の心には無力感が席巻してしまったのだろう。

 

カネや権威・マスゴミ知名度で当選させてもらえる国会議員

各政党所属議員やら…諸々、民主主義と標榜しての茶番劇場の議会は、

国民代表ではなく、国際金融家配下の偽ニッポン・朝セン官僚の

パペットとしてしか、どうせ活動できないのだから、

現議員に何を期待しても無駄だ。

 

 

 

国際金融家とタッグを組んでいる

田布施システム二〜三世国会議員やら

在日チョウセン勢力汚電通マスゴミ”が、画策し

毎日毎日、偽情報を垂れ流し、偽大義で偽法案を通過させ、

日本の姿を消失させんとする意図が、

あることは肌で感じる。

(明治以降それが顕著になった訳で)

 

危機的状況のこの国で、

本質を掴み在野で研究し活動してきた人物の出馬を機に、

問題の真相の一端を大勢の人々に伝えるのが、

残されたわずかな正攻法の手段だ、と感じた次第。

 

 

当方は全然、知識が足りないけれども、

根本的なことを問えば、神話時代に遡る約三千五百年前、

更には数万年の認識についての「歪み」が根底にあることを思う。

また、約2000年欧州勢ユダキリ問題、中世からの偽ユダ国際金融家を

大衆が周知しなくては、世界中の問題の根本解決には至らない、と。

 

ともかく、

皆がメディアを信じ込んで世界を見て知っているつもり”になっている

現代社会の状況下では、

せめて街頭演説で、偽ニッポンの実態に対して

真摯に向き合ってきた人の生の声に耳を傾けることが、

社会の刷新につながる第一歩だと思われる。

 

国家という括りと政治はもちろんのこと、

食糧・教育・宗教・科学・医療・福祉・金融・通信・

あらゆる産業…

世界中すべて汚染脳情報に取り囲まれた大衆は

無自覚な

奴隷・家畜・ロボット…状態である事を

まずは知り自覚し、受入れることだろう。

 

つまり、「起きなくていい余分な問題」「茶番劇」

インチキリーダーによる、

社会全体の偽問題・偽事件偽事故偽戦争偽テロ…。

 

インチキリーダーが支配運営するマスゴミの偽情報が

世界中を席巻している。

 

まともに暮らそうとする一般大衆にとって本来は、

遭遇する必要の無い、

国際金融家がバラまく諸問題や不幸に見舞われ、

世界中の大衆が認識を制御されながら、

人生を翻弄させられていること。

その根本に気付き、探り、知る事が急務の時代だ。

 

直感的に疑問を持つ事の重要性。

疑問を見失わないで、過去のマスゴミ喧伝情報、教育刷込み言説

マスゴミは例えば、ロッキード事件、国営から民営化の前後報道、

大麻事件の流布、ガン偽治療、原発事故の被害隠蔽、

中国北朝鮮問題…何もかも…すべてやらせ)

(狂育は例えば、日本は資源がない、

 独創性ではなく作り替えることが得意な国民性という

 刷込み教育の文言、英語が世界共通語として強制的に学習させる、

 母国語を粗末にし神話を学ばない伝えない民族は滅びることを承知の上の

 GHQ政策。)

 

 

 

外側の与えらえた知識や情報より、

内側の自身が感じた直感を信じ、

素朴な疑問を忘れないよう、

その試行錯誤が真実を見つける道だと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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輸入材

 

 

隣町に約二百メートルとわずかだが、

古い街道沿いに古民家が並ぶ、

昔の日本の風情を感じさせてくれる道がある。

町並み保存会が活動したお陰で残すことができたそうだ。

散歩道として気分よく歩くことのできる、

ごく少ない、人に優しい道である。

 

そこの古民家の格子や木の塀、

何軒かの木造建築を見ながら歩いている時に、ふと気付いた。

 

ああ、そういえばホームセンターなどで売られている

輸入材のラティスや木製ベランダだと、10年も経つと、歪んだり

汚れたりして、寂しく痛々しい印象になる。

あるいは、今流行の飲食店で、ヨーロッパ風やらアメリカ風やらアジア風、

サブカル的?やロック的?な意匠の建物や店舗装飾が、

やはり、十年位経過すると、どこか荒れた印象になっていくところが

多い気がする。そう思うのは私だけだろうか…。

つまり、アイデンティティの底が浅い意匠と言えば良いのか、

そうした「物」は、時間と共に「美や風情を刻む事が難しいのだろう。

 

 

だが、日本の木材を使って作られた建物、窓枠や格子や木塀など様々な建材は、

味わいとなり、経過した時間に歴史を感じさせてくれる。

情緒、風格のある佇まいが、街全体にまで生み出されるんだな、と。

良くできたものだ。

 

 

地産地消という言葉は食べ物だけではないようだ。

その土地、その風土にあった物を使うというのは、

建物にも通じる、あるいは衣類にも。

言葉や習慣、文化…様々な価値観に繋がっていることだろう。

 

風土にあった暮らし方は、そこに住まう人々の心も

安定させてくれるようにも思う。

 

結局、遠くの世界・青い鳥“偽イメージ・偽情報

追っても仕方が無い。幻想でしかない。

 

身近な土地・世界を活かして暮らす事は、

環境負荷が少なく、自然を生かすことにも繋がる。

人間の第一使命だな…と思った次第。

本当の自然循環は、身近な小さなことから

もたらすものなのだろうな…、と。

 

自己中心的ではなくて。

己の中心に気付くことか。。。

 

話が飛躍してしまった…。^^;

 

 

 

 

 

 

「お金の秘密」…安西正鷹著 からの感想           当方別ブログ転載予定記事

(H28.7.9)

 

 

 

5月半ばのこと。近所の道路を歩いていたら側道に植えられている
ツツジの剪定をしていた。
だがその様子が剪定とは言い難く、市職員か、土木下請業者かは分からないが、
チェーンソウで乱暴に凄まじい伐採をするのを目にした。
剪定について何の知識も持っていないような、
まるでチェーンソウの扱いだけを面白がっているが如くの若手作業者。

それを見て、私は胸がぎゅぅっと痛くなった。
ツツジも生きているんだよ…と。(涙)

昨今、自治体が行なう街路樹、草木に対しての
乱暴な伐採作業の様子があちこちで見られる。
余分な想像であるけれども、多くの人間と同じくその作業者も、
自分の所有する自動車やバイクは、きっと舐めるように大切にしていることだろう。

命を繋ぐ、空気を与えてくれる植物、目を、心を和ませてくれる植物には、
思いやりの欠片も無い暴力的な関わり方。
カネのかかった物質、虚栄心を満たす道具には愛を注ぐ。
何という物質礼賛社会なのだろうか。

逆さまの価値観。
本末転倒にもほどがある異常社会。


些細なことだったが、その様は記憶から消えない。
あの時、進言をするべきだったと未だ、後悔している。
ひとことおおい私としては。

これが現代日本の実状だ、と思う。何とも、切ないことだ。
幕末までの日本は欧州勢の人間がうらやむ美しい国土だったことに
改めて思いを馳せてしまう。

古来からの日本人の精神性だった
八百万神への畏怖心は一体どこへ消えてしまったのだろうか。
現代日本人の自然観は劣化の一途を辿っている。
なぜなのだろうか、と。

 

この地の変化に富んだ自然の豊かさや多様さを完全に忘却させんとする
現代教育やマスコミ政治経済のプロパガンダによるところが大きいであろうが、
闇の権力についてあれこれを調べ知るうちに、
535年関西隕石落下(K氏説)を機に、
半島から亡命中の半島系支配層(百済系)が天皇と自称した時。


その経緯を知る藤原氏奈良時代の暗躍で、八百万神をすり替え、
古事記日本書紀偽書)の啓蒙で、神人物崇拝=天皇という、
大衆にとっての誤謬が、その根にあるのではないかと、思い至る。

 

音読みと訓読みの違いは、大和語と大陸からの言語を示している。

コジキ・ニホンショキ・テンノウ・・

音読みである。

大和言葉は、やまとことば・やおよろずのかみ・・訓読みの違いを

分析し、感受感得することの重要さ。

 

 

また、魏志倭人伝として伝えられた大陸の客観的な資料も詳細に読めば、

洗脳目的の現代日本史教育下では理解し難い、

日本という国の史実・事実の変遷の参考にもなろう。

逝きし世の面影で編纂紹介されている幕末訪日欧州人らの書物、言説は

客観・観察となり、それと類似し同様の用を為している。

 

 

「自然への畏怖心」は、生物として無くてはならない感性だと思う。
「八百万神」は、古代日本に於いて概念ではなく天皇の専売特許でもなく、
実感として人々の生活に根付いていた精神性だったと思うのだ。

生態系・食物連鎖・「自然循環」を意識化し、かつ詩情がもらたされる
豊かな想像力へといざなう精神的象徴としての神々。
太陽や星、大気や風、雨や水に、火に、山に大地に、
植物、微生物、昆虫、動物、鉱物…
万物に命が宿ると感じる心、精霊信仰が人には、元来は具わっているはずなのだ。
倭人種は、自然環境や他生物、生活に、活かす知恵を顕著に持っていたと想像する。
ところが、現代では神社仏閣を筆頭に、いつのまにか宗教観や信仰心が
神話偶像や人物崇拝へとすり替わっているように思う。

支配者層の天皇家や藤原家らが行なう、
政治的な意図で度々、半島や大陸からの文化的影響や
多少の遺伝子の交雑があったにしても、
倭人種が祖先の大多数の一般大衆であり、
自然への畏怖心は少なくとも約150年前までは、
この地には脈々と流れていたと思う。

ところが、明治維新1868年頃を境に、欧州勢国際金融家が牽引した
産業革命と称する経済活動と大規模戦争を日本支配者層は安易に受入れ
それを契機に急速に、日本人の自然観は劣化し崩壊が始まった。
現代日本では「八百万神」は風前の灯だ。


毎度の仮説を持ち出すが、
朝鮮半島から北陸地方にこっそり亡命していた支配層一団が
535年の隕石落下を機に関西へ移住し、天孫降臨を唱え
この地に暮らす倭人を支配し始めた。
7世紀初頭、日本という名が呼称され始め、
645年大化改新では藤原氏が政治的主権を掌握した。
同時に、藤原氏は仏教を国教にせんと奨励した、それを
現代日本では肯定的に捉えさせるよう歴史教育がなされている。
更には、古事記日本書紀を成立させた背景には、口伝を
改竄したであろう分析も多々ある。


今回、「お金の秘密」で初めて知ったのは、まだ読んでいないのだが、
斎部広成「古語拾残」という著書の内容、中臣氏批判だった。
“中臣氏の勃興と軌を一にして神道は没落した”という点は、正に
神道=八百万神を敬ってきた倭人種の自然観が歪曲され始めた根、
発端と捉えることができるだろう。

話は逸れるが「お金の秘密」の中で私が信憑性に欠けると感じる内容は、
藤原鎌足ユダヤ人のレビ族、藤原不比等ユダヤ人シメオン族…
松重揚江と中原和人という二人の在野の歴史家が唱えた仮説や
関祐二氏のそれを裏付ける云々…”
この概念的な説明は、いかにも訝しい。

日ユ同祖論を提唱し始めた一人が戦前に執筆した佐伯好郎という人物だ。
その説については、晩年その同祖論を唱えた理由を
ユダヤ資本を導入するための功利的な企画」と
Wikipediaに記載されていた。
が、その理由にも目逸らし・藤原氏影響下の意図(藤原氏からの影響を隠蔽)が
込められていると憶測してしまう。


あるいは、失われた十支族だか十二か十三支族という説が
天皇家らのルーツと関係があるという話も、535年隕石落下説を加味すれば、
当然ながら書籍からの説は信憑性を感じない。
しかも(素人くさい理由だが)、十だ十三だ、と数字がコロコロ変わること自体、
単なる噂話のようでバカらしいと呆れるし、今流布されているのは
偽支族の話であり、功績どころか、過去の社会より更に、

人間や生物、地球環境を劣化させている支族らに、何の有難味があろうか。

 

王族・貴族や天皇家やら血脈血族血縁にやたら拘る選民階級の思考、
支配者層らはその家系が血塗られたものであることは棚に上げ、
“文明を生み民衆を導いてきた誉れ”とする一般的な歴史認識
ホマレではなくホラではないか?!と私は思ってしまう。


まあ、一般人のこちらが雲の上の歴史や人間を
批判したところで仕方が無いのだけれども。(苦笑)

家系を重視する彼らが血脈血族血縁に拘るのは、
常識的な目線で言えば、単純に、巨万の富を延々と掌握し続け、
できれば未来永劫、そして、あわよくば更に大きくしたいからであろう。
その大きくしたい支配者層同士の利害がぶつかる時、
大衆を使って水際で、大規模戦争が必要なだけだ、と言える。
彼らにとっては戦争を実行すれば、新たな利益が発生し、
更なる富を手にするチャンスのゲームなのだから。

支配者層らの婚姻も、財産保守や拡大のために、金持ちは金持ちと
結婚しないと財産が目減りするから、やたらに家系が重要な訳で。
大衆の犠牲を払ったその上に、巨万の富を築き守り続ける家系に
美しい血が流れているとは到底思えない…。

こんなふうに思う私は、ひねくれているだろうか。
それでも昔のこの国の人たちが口にしたことは、やはり正しいと思う。
「氏より育ち」なのである。

一般大衆としての私たちが自覚することは、

権威権力への欲望や羨望を捨てることだろう。

 

 

 

人類はグロ…

 

 

 

人間とはグロテスクなものだ。
ひいて言えば、生物はすべてグロテスクだろう。

 

江戸時代を私が肯定したいと思うことのひとつは、
人間の生活という現実の中でのグロテスクさ・えぐさ(刳さ)と、
美や、清らかさ、潔さが、
時間の流れの中で有機的に万人に、

「調和し共存していただろう」と感じるからだ。

そして、鎖国政策で無駄な戦が省かれ

(長年の平和社会・偶発的なリーダーの出現)たお陰で。

生物として、人として、生活者として、社会全体が

賢かったと思うのだ。

 

 

猫を見ればだいたいの人間は可愛い、と思うだろう。
が、自分より小さな生き物をかぶりついて食を得たり、

いたぶって遊戯をする。
決して実態は、可愛いだけではない。
肉食動物は草食動物に比べて、

“見た目が可愛い”(思うに、自然界の実相)けれども、
生命を維持するために他者の流血をもってその命をつなぐ。

 

 


植物も毒を蓄え自らの生命を守る。
植物の種類によっては寄生したりする。

植物とて地表の縄張り攻防は同じだ。

攻防との言葉で相応しいかも解らない。


双方の生命のせめぎ合い、植物も動物も、

すべての生物に、他の事象・他者・他生物・

第三者が関与しての調和が在り、維持され保たれる。

だから食べ尽くしたり、全滅にはしない。

 

それを私は「自然循環」と感じている。

 

 

人類人種の発祥について、家人とずっとずっと論争があり、

わたしは辟易している。

 

人種の違いの発祥をK氏説(五色人)から聞き知って、
改めて、人間は「グロ」い側面、事実・歴史を

持つ生き物であることを思い知った。

 

その発祥の動機は悪意ではなかったことも、

ひとつの不思議さであるのだが…。


発祥からその結果が、現代の闇を作っていることを

どう捉えたら良いか…。

何の立場も無い私が考えたところでどうにもならないが、

常に、それが頭から離れない。

 

 

K氏説から知ったのは、 「五色人」と言われる存在は、

人類祖先の所業で遺伝子組替だ、という。

その動機は地球の気候変動であり、農耕を担うがための始まりだった、と。

 


現代に、遺伝子組替植物がツクられた。

後世の地球に、その所業(植物が生物の始祖ゆえ)が

どれほどの爪痕を残すのかを思うと

暗澹たる気持ちになる。

 

利益や人口削減という人工的な策謀。

自然の流れではない…。

 


そして、現代日本人が嬉々として食す

遺伝子組替大豆やら遺伝子組替トウモロコシや

遺伝子組替ジャガイモやら、
綿、菜の花、花壇の植物…」あらゆる大量に消費する遺伝子組替植物は、

いずれ地球を破壊する生命になるのではないかと。

気持ちが悪くて仕方がない。

(現代の遺伝子組替・植物は “利己の策謀・悪意“

 

 

 

彼ら自身人工種それを承知しているのではないか、と想像する。

だからこそ優生種思想であり日本人削減や排除の戦略だろう、と。

欧州支配層・黒い貴族=利己主義・国際主義グローバル化

巨利益収奪・国際金融家の思惑。

隠蔽排除抹殺思考の欧州亜細亜金満家ら。

長年貴族家系には生活感情がない。

何の詩も無い。心に非ず。虚の世界

 

 

汚染脳された99%一般人の鏡像であろうか…???

 

 

 

 

**********************

 

 

 

人種の違い、彼らの優生種思想、

その差別感・排斥感をどう捉えたら良いのだろうか、と。

 

単なる道徳倫理観や既存の周知されている

生物史(ダーウィン理論は偽言説と知らなかった頃)を

自分の知っている範囲の些細な知識で、

なぜだか、昔から私はその差別感”を考えあぐねていたのだが…。

 

その末に、
その説『人類の祖(倭人種とスファラディ種)による遺伝子組替が五色人

十数年前、氏の講演会で知り会った人から

口伝えで知った。

 

考えに考えた末に知った説。

それについて、少々のショックは受けたものの、
特別なことでもなく、

そんなこともあるかもしれないなぁ、という感覚であった。

 

 

人間・生物は、すべからく無意識に

エグい(刳い)ことをするもんだ、と。

 

 

**********************

 

 

…で、家人とのその論争だ。


家人は博愛主義的思考(キリスト教的思考)だなぁと思う。

それがひとつの障壁ではないか、と。

「わざわざ、そんな説を持ち出して考える必要はない」という。

ふつう”に考えれば人類の発祥は遺伝子で説明できる」と。

 

 

だが、「わざわざ」と考える事自体が、
明治以降の日本人専用の汚染脳、

欧州人が押し付けてきた「キリスト教的”博愛」「偽の平等感」、

その欺瞞だと私は感じる。

そこを看破する必要性を思うし、

肉体という物質にこだわる唯物論な訳で、

それを超えなくては生物としての精神の平等、

あるいは、摂理の中にすでに公平さがあることに

気付けないのではないか、とも思う。

 

 

そして「ふつう」という罠にはまる社会。

誰が、「ふつう」を作っているのか、である。

 

(日本ではキリスト教という宗教の布教はある意味成功はしていないという。

つまり、キリスト教思想ではなく

日本人向けにカスタマイズされた“キリスト教「的」“思想だ。

簡単に言えば、闇と光を極端に分けて闇を無視・排除してしまう思考、倫理観。

幻想・概念でしかない愛や理想を求める人工的な発想。

自己顕示欲による物理的な完璧主義。それゆえの唯物観。

 

 

そこを自覚できない・させない、無意識・無自覚なのが

狂乱的とも言うべき現代日本人の西洋礼賛と金銭物質崇拝。

己の民族性を否定し自虐史を受入れてきたのも、原因のひとつ。

…学校やマスゴミが、常に間接的に整備し啓蒙ているのだ。

 

例えば明治期にはキリスト教系学校敷設、

日本神話に一切触れない戦後狂育。

(大昔に神話を捏造されちゃってたからかえってよかったみたいだケドね!笑)

世界史教科書には文明の筆頭に西洋が記され時代毎、他地域に比べやけに詳細だ。

それを不自然だとも感じないようにされている。

 

マスゴミ偽文化による偽善や人工概念の愛、偽言説、捏造事件事故、等々の流布。

民族思想へのバッシング。優生種思想の巧妙な汚染脳…。キリがない。)

 

 

 

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人類はグロテスク。

生命の維持・保存、それ自体がグロテスク。


三次元の事象は決してイメージの綺麗事ではないのを
日々の生命活動・生理的活動で万人は解っているはずだ。

うんこはクサイし、汚く感じてしまうし、セックスはえぐい。

 

が、それをグロい、汚いと感じる事も博愛の罠に
嵌まっているのだけれども。

 


生命とは、悲しみや苦しみ、脆さ醜くさ、

その切なさが融合して、美や歓喜へ昇華される詩。

 


そのような仕組みで成り立っていることを
私たちは、イヤと言うほど毎日のごはんで、排泄で、

生物の諸々の生活で…、

わかっているはずなのに…。

 


トイレ掃除、赤ちゃんや老人のオムツを替える、
排水口を掃除する。

醜から目を背けたって社会の誰かが

請け負ってくれている、

下水処理場の整備、ゴミ収集、動物屠殺…。

 

自然災害、老い、病、死。

植物・動物・生物の命を奪って、己の命を維持する食事…。

 


こまごまとした汚物、忌まわしい事柄、残酷な作業。

美と醜は同居している、それが「今」であり、生活だ。

 

 

人間の意識を
「綺麗と汚染・快楽と恐怖・博愛と残虐」に乖離させ、

別物のようにし、目を逸らし続けている

現代の政治・経済・宗教や狂育…マスゴミのイメージ喧伝。

 

潔癖性に拍車をかける衛生観念の喧伝。

食物連鎖を無視し人間の食性を隠蔽する「食の汚染脳」。

経済最優先&肉食礼賛で、人口削減を実施中。

将来の生活不安や自然災害を騒ぎ「今」を忘却させる金銭物質崇拝。

強引な医療救命。医療イメージアップパフォーマンスの臓器移植、

病気増殖の献血やワクチンの闇、その偽善と脳死肯定の矛盾。

実態は人口削減目的の偽医療と偽生命観。

 

短絡的な狂育価値観で、優秀、強者、善人、

人工概念でしかない愛を求める、完璧主義の蔓延。

 

 

偽狂育(インチキ学説啓蒙)、偽宗狂、

噂流布屋マスゴミの偽世界観のプロパガンダ。

 


現代社会は、生物の本質を忘却させんとしている。

万人が心に嘘をつかなければならない偽善世界。

 


三次元の実態・実状・事実を無視している。

目を背けることの無責任さ、能天気さが

闇・病み” を極端に深くしている。

 

 

 

シニョレッジ その2

 

 

先述した元官僚の自責談に対し、結論を
“「シニョレッジや回転ドア」のせいで”としたが
それはなぜか。

当方のたわいない、毎度のグチだ。

およそ想像できることだろうけれども…。

 


回転ドアについて。
政治家は概して企業経営・役員をしている。
また、党員の企業・政党支援企業・官僚天下り先企業への優遇も、
選挙や政策のためには欠かせない。
それら企業に収益となる事業を行なう図式・それらの事業に
都合の良い政策を施行することが挙げられる。
昔から一般に周知されている事。

(最近の日本では毎回落札できないよう条例や監視で

中小工事は是正されたと思うが、持回りではないか、と。

大工事は入札出来レースだろう。)

 

そして公共事業の支払いは、払う国・自治体側は

個人としては痛くも痒くもない税金が故、

事業者側のカネ回収は容易で

安全・確実だ。しかもカネたっぷり事業だから、

双方にとって(政治家・官僚と企業)、輝かしい名誉実績にまでなる。

 

特に、土木建築事業は莫大なカネが動き大きな利益となり、
政治家らとその取り巻きにとっては旨味のある事業。
だからこそ、公共事業の「やり過ぎ」がまかり通り、
自然や古くからの住環境・一般人の生活を脅かしどんどん破壊し、
各産業や巨大集合住宅や自動車、交通網全般が、

最優先の工事が行なわれてしまう。

更に、日本が食糧自給率100%や建材・エネルギーあらゆるものが

国内生産、自前になってもらっては困る多国籍企業経営兼、政治家兼の、

回転ドアスペシャリストの国際金融家にとっては、

働き者ニッポンは鴨ネギだ。

日本国土の農地をガンガン道路・住宅にし、建材用山林は荒廃させ、

すべての物資を輸入依存国でいて欲しいことだろう。

そんな回答が挙げられる。

 


加えるなら、国家あげての大事業、新幹線、高速道路、空港、

ダム、発電所等々は、国際金融家が、国家に借金(世界銀行等)させ

莫大な利子収奪が目的であると同時に、
政治家や官僚、取り巻き企業は長期安定利益のおこぼれを

頂戴する絶好のチャンスだ。
(昨今はその事業を民営化させより一層、事業の競争激化を発生させ、
国際金融家が大株主となり利益収奪の工夫を凝らしておられる模様。)

 

工事にカネをかける程に、国際金融家らへご奉公ができる政治家・官僚・企業。
カネで国際金融家との折衝を解決する国防という見方もできるから、
政治官僚企業に勧善懲悪だけを訴えるつもりはないけれども…。


かといって、カネの使い道が乱暴過ぎて、

ほとんど国土破壊と変わらない。
が、それも…、

国際金融家やクダラ系勢力の目的。

ココに ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 気付かないと、

そして白日の下に晒されないと根本解決はしない。

(いにしえの 倭国倭人ルーツを抹殺するのが目的)
それほど根深い隠蔽された事実が折り重なっている。(某氏説参考)

 


国際金融家は常に国家が債務に、

追われ脆弱・不安定であり続けることを目論んでもいる。

五輪や万博、Wサッカー等は国家や自治体を借金漬けにするけれども、

赤字でも結局は、税金で事業者は収益となり、債券で当面は補填できる。

公共イベント事業を請け負えば、国や自治体が赤字でも、
イベント事業当事者(国際金融家大株主や回転ドア企業)らは、どこ吹く風。

巨大イベント大義名分で、一般人・住民のごく普通の日常だが、

かけがえのない生活ひとつひとつは、隅に追いやられる。

かけがえのない日常を軽んじ、巨大イベントで一瞬のヒーローを
目指す事、自己顕示欲を満たすヒロイズムが、夢だとのたまうマスゴミ・狂育。

巨大イベントを幻想とも言える大義名分で説き伏せる。

デモや反対運動も巨大イベントと結局、

同じレベルの建前で、弊害になりかねない。

 

どちらにしろ、あらゆる公共事業全般が、

国際金融家政治家関連傘下とりまき企業に
確実に利益が流れるだろうことは想像に難くない。


国家自治体公共事業は彼らにとっては笑いが止まらない。
社会が不況時には尚のこと公共事業を増やし、それに群がる傘下事業者。


一般人、子どもや老人、弱い立場の者・零細事業者は

涙を飲み、身を削り、思考停止にならざるを得ない。

公共が民間へ税金の還流・バラマキを「善行」としての言い訳はあるが、
一般人・弱き立場の者にとって、その善行の痕跡は、

コンクリートアスファルト石油ジャングルが、ただただ増えるばかり。

生活環境は更に殺伐としていく。


コンクリートアスファルト石油ジャングル都市の熱さ寒さが
極端になり冷暖房も消費され、これまた電力会社は商売繁盛…。
石油輸入も・納税も増えて…。
支配層の笑いが止まらなければ、負の連鎖も止まらない。


一般人の当方が失笑してしまうのは、

狭い歩道に高価そうで不可解な彫刻が設置されていたり、
公共施設の壁や階段が大理石だったり、高速道路のどうでもいい看板に
贅沢な装飾が施されていたり、

たまにしか使わない高速道路トイレがどんどん立派になっていく…。

他にも挙げたらキリがない。


民家は以前にも増して、見かけだけはステキでも、

よく見れば空虚で冷淡なデザインの輸入材石油製品の安っぽい小屋に、

変貌劣化しているというのに…。一昔前の住宅は耐久30〜50年と言われたが、

現代の住宅は耐久20年じゃないかと…。

 

税金の恩恵を辛うじて一般人が受けるのは、
国際金融家が捏造する戦争商売からの回避と、
整備されたばかりの歩道では躓かくなる、くらいではないかな…。(苦笑)

 


(それにしても、ひたすらコンクリートで河川沿岸の護岸工事は、
日本近海の海洋資源、魚介類海藻…様々な資源を枯渇させる最最最悪の工事。
護岸工事で旨味をすする皆さん、漁業に目を向けてみて欲しい。
立場の弱い業種の首を絞めて自分だけは生き残れる、と思ったら大間違い…。
お宅の夕飯の魚が輸入遺伝子組替サーモンになって行くんだゾ〜〜〜っ!!)
日本の美味しいワカメや海苔も食べられなくなってしまうんだよ〜〜〜〜〜っ!!)
子ども達に、まともな食べ物や美しい風景を与えられなくなるんだよっ!!バカ~~~)

 

 

税金が不透明この上ない使われ方をしているが、そのカネの流れを解る範囲で
図式として、一般人の日常生活で意識するのが肝要だと思われる。
日々の暮らしの中で自身の収入と消費が

「汚染脳された情報の中での生活感の収入と消費」ではなく、
己の声に耳を傾け家族の心身を思いやり、納得できる、筋の通った、良心のある…

「生物・生命体として全うな判断による収入と消費」、

そうした生活感にしていくことではないだろうか、と。
社会を根底から変容させるのに、唯一残された方法、と思われる。

 

 


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シニョレッジについて。

古くは金銀銅鉛錫などを使い、国王やら朝廷が発行していた。

単純な言い方だが、それら金属の実質価値と名目価値の落差が

シニョレッジとなり国の利益として、

支配層の経費となっていた訳であるが。

 

昨今のオカネは一片の紙に印刷である。
(1万円札は原価20円 日本銀行株式会社発行)
(1円玉は原価約1.5〜1.2円…原価割れ。金属貨幣だけは政府発行)
そして今や、電子上の数字で管理する貨幣価値は、
記号化でその価値は、更なる複雑怪奇の時代。


現代、中央銀行は株式会社で日本の場合は政府株55%、個人所有株45%。
株所有者を公表しないという、上手いこと作られた隠れ蓑ルールで
一般人私たちは疑問も持たず、気付きもしない。が、
実質は国際金融家大株主の私有会社に違いない。

私有銀行会社である意義は、国家権力を監視するためと言われている。
が、口実としか思えない。
話は飛ぶが稀有な例として、JFケネディ氏が
政府紙幣(グリーンドル)を発行した。
その頃USAは好景気で、アメリカンドリームと呼ばれた時代。
それは彼のひとつの実績だった、と当方は理解している。
貨幣を政府発行へ移行しようと、それに着手した直後に、
暗殺されたのが真相だとも言われている。

資本主義社会での政府発行貨幣の場合、
私有株式会社の中央銀行の監視が不要であろうことを
短期だがケネディ氏はわずかにでも証し、意義深い足跡を残したと思われる。

 

その他、USAはFRB設立の経緯にも更なるビックリ狡猾隠蔽ドラマ
タイタニック号にその真相アリ_ネット上に散見する話)が
あったそうで。まあ、それはさておき。


金本位体制から1973年変動相場制になりその価値は各国の
輸出入の手腕で左右されるようになった訳だが、
(国際金融家所有の多国籍企業に好都合な貿易が前提)

紙切れ・電子マネーに価値を持たせ維持するために、
経済発展国と途上国の貿易格差拡大、低賃金過剰労働、大量生産・過剰消費、
地球資源確保の乱開発や過剰な新技術、生産性の虚構化。
(ケイタイ・ネット・ゲーム・ギャンブル等
仮想ゆえ、物理的生産と消費との均衡が崩壊)、
経済活動が激化。単一品粗製乱造・悪質化劣化と言えるだろう。

言うまでもなくゴミ増加。

 

その活動は、18世紀後半(明治以降)を端緒に、20世紀後半には
人間の奴隷家畜化・自然環境破壊が急加速した。
しかもそれはマスゴミや狂育の喧伝で無自覚・無抵抗。
いや倒錯され家畜奴隷化・自然破壊は礼賛とさえなってしまった。

地球からの無償の自然・資源に犠牲を払わせ、環境破壊。
不満ストレスを抱えようとも、人生・生活を
捨てる訳にはいかない99%の一般人。

 

 

ひとつの結論として単純な話、物々交換社会になればいい。
シニョレッジのない、等価交換による経済活動は、

人工物の余剰・過剰が発生しない。
自然の犠牲や人間の精神的苦痛もなく、あくどい商魂も起きないだろう。

 

数年前、ロシアと中東で天然ガスと食糧の物々交換が行われていると知った。

 

物々交換の不便さから、便利さを追求して、
貨幣が発生したという言説は国際金融家支配層の詭弁だ。
古くは暴力や脅迫・戦乱による国家発生の有史以降(狂育的言説の歴史)、
支配層の生活・人生が、シニョレッジ無しでは成り立たない、

彼らのご事情は、普遍で負担だ。(大衆の依存心理が依存者を創出)

 

カネの存在しなかった太古や中世の小国、
カネの流通がごく少なかった社会(米が年貢の江戸期まで)、

その世界観の安寧・平等・自由・幸福感は、
カネの便利さには、替え難いものだったと思われる。

 

だからこそ支配層にとって、物々交換社会の実現に向けた、
良心的な創意工夫、カネ社会を終焉させ、
生物としての心身の感覚や自然重視の未来社会の構想など論外であろう。

カネ不要な社会など「想像外ダ!ゼッタイアリ得ナイ事!」を前提とする
マスゴミ・狂育による汚染脳に、支配層は知恵と工夫を惜しまない。
彼らにとっては、それも安泰の今は、ゲーム感覚であるのだから…。

 

支配側には被支配側一般人の物理面や精神面の依存性が重要で、

共依存の関係を保つ事でもある。

利己的で受動的・無自覚で、鈍感。それが優等生(愚民)だ。

貯金・保険・保障・不動産・権威権力・地位・有名名誉、
それらが大好きで執着でき、内省のないこと、感受性が鈍いこと。
対価労働(献身奉仕の精神無しの受動的な労働)以外は無関心。
自己顕示欲が強く上下・勝敗の差別的な短絡思考が得手なこと。
情緒・感情・理性・本能・身体能力の攪乱と排除。
想像力創造性遊び心の喪失、貪食で脳内化学反応で満足できること。
疑問を持って本質は何かを考えよう見ようとしない、
インプットだけ得意な一定期間の記憶力だけを偏重する思考停止。

自然への感受性の鈍化、自然への畏怖畏敬の喪失。

(遺伝子組替・F1種・外来種を見て自然美と感じたり、

口にして旨いと感じてしまう偽感性も含む)

 …マスゴミと狂育がそうした人間を増やし続ける。

 

だが相反して、紙や記号であるカネの価値も、
地球の天然資源と共に、とどのつまり
心身が正常に働き、精鋭できる人間の

物理次元で造作したもののみが、

普遍的な価値を生み出す。

だから人口削減の発想になってしまうのだろう。

やれやれ。

 

 

支配層死守必需のシニョレッジが存在しなければ、
99%の一般人は人生大半を占める金銭による心配・不安・恐怖、
過度な自己顕示欲や自尊心によるピラミッド型競争社会、
あらゆる精神を汚す意識も発生しないであろう。
一般人が能動的な意識になり、
「カネによる支配層が唱える安心安全幸福は要らなかった」と気付けば、
いとも簡単に人間は、意識の汚れが落ちるのではないか、と感じる。


愚民として人生を送るためにこの世に生まれてきたのではない。
深いところの潜在意識はそれを知っているからこそ、
メディア汚染脳と潜在意識の摩擦で、
万人に苦悩が次々と起こるとも言えるだろうか。


企業・組織の偽善・偽言説を看破し、しがらみに見切りを付け、
自らの意志で真実や事実を知り学び実践し、
能動的に発信する人が増えれば、カネカネ教は瓦解し、
自然の犠牲・環境破壊も、ほぼ起きなくなるという話デシタ。

 

 

 

 

 

 

シニョレッジ その1

 

 

すっかりマスゴミを遠ざけるようになったが、
それ以前、十数年くらい前に読んだ地方新聞記事のこと。
うろ覚えであるが、確か元建設省の官僚だった人の話。

**********

その人は社会貢献の志しを持って、地方から東京へ出て、
国家公務員としての職に就いた。長年、様々な公共事業を通じ
社会に役立つことをしていると、その職に自負もあった。

が、期せずして定年前に、ご本人の父親が逝去したので、
実家の仕事である幼稚園の経営を引き継ぐことになり、
要職を退き、地元に帰ることとなった。

さて、幼稚園児達を世話する中で、
地元の近隣の原っぱで遊ばせようと、園児達を連れ出掛けた。だが、
いざ園児を連れ出かけてみると、公務員時代に帰省した時には気付かなかった、
その町の様相が、すっかり変わっている。
散歩の道程は自動車の往来が激しく、園児達の徒歩がままならない。
自身が幼い頃に遊んだ、のどかな風景、美しい原っぱも、無くなっている。

園児達を自然環境の中で遊ばせたいと思っても、
自由に伸び伸びと遊べる場所が、もう無くなっている。
変わり果てた地元の風景を目の当たりにし、
今まで、自分は公務員として国民のために国土を開発し発展に導いている、
働いていると思っていたけれども、地域の生活環境がむしろ壊されていることに、
その時、初めて気付いた。今まで、何をやってきたのだろうか、と。

*************

 

そんな自責談の記事であった。
象徴的な話だったからか、未だ脳裏に残っている。


日本人の大半が仕事だ、勤勉労働、景気回復だ、社会貢献だとし、
無駄な、いや、むしろ人体・生活・自然環境を
悪化させている労働を繰り返し、
「無自覚に・無意識」に破壊し続けているように思われる。

端的に言ってしまえば、おおもとその権化は、
国際金融家(中央銀行と称す私有株式会社)の巨額シニョレッジ収奪のためであるし、
国際金融家のパペット政治家の回転ドアだろう。

(*シニョレッジ…貨幣発行特権・貨幣の実質価値と名目価値の差益)
(*回転ドア…政治家が企業経営陣営でもあり、
身内企業に有利な政策で、政治権力・利権や経済優位・利益収奪を維持し続ける構図)
(*イラクリビア等々は、欧州国際金融家の中央銀行と称する「貨幣発行利権」に
抵抗してきた勇敢な国家・指導者は悉く、
国際マスゴミと偽装テロでバッシングと戦争を仕組まれてきた)。


その構図に気付かせないために、疑問や能動的な思考力を持たせない、
受動的な思考、鵜呑みの記憶力ばかりを優先させる「偽教育(狂育)」。
更には権威偏重の学問体型は、自然を生かすのではなく
自然を搾取する理論しか世に出ないようになっているだろう。
それを覆い隠し強化するための、マスゴミの大量偽情報・利権政治経済。


偽教育(狂育)を詰め込んだ生真面目な中堅エリート層によって、
民主主義社会と称し一見、健全なものに見えるよう
マスゴミ・狂育は喧伝する。

単に自然を搾取・破壊しかできない短絡的な社会構造なのに、
マスゴミ・狂育の喧伝によって、世の中がまるで
進歩発展している、かのように思い込まされている。

中堅エリート層は「貢献している」という自負があるから、
本質に気付くことがない。錯覚が延々と続いている。

先述した官僚だった人のように、
自分の実感できる地域社会に戻った時、
初めて、進歩発展・貢献を目指したことが、
カネでは買えない大切なものを失う愚行だったことに気付く。

が、もう手遅れ…。
巡りめぐって自分で自分の首・子孫の首を絞めてしまう社会。

社会貢献とし立派な職業に就いて、役立つ仕事をしているつもりが、
細部・それぞれの生活をよくよく観ると、
ほとんど世の中を複雑化・悪化・劣化させている。
それが経済活動だと言っても過言ではない。
偽善でしか経済活動が維持できない仕組み。
「シニョレッジ&回転ドア」のせいで。