ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

ゴミ屋敷

失礼ながら怖いもの見たさで、YouTubeに掲載されているTV番組の

ゴミ屋敷レポートを視聴してみた。ゴミが道路までせり出している屋敷の

住人に向かって、取材レポーターが取り留めもない質問を繰り返し、

レポーターいわく「モノを貯めてしまうというかぁ…、、、

              モノが捨てられないタイプ…??」

住人「うぅ~ん、どっちかと言えばね…。断捨離なんて…

                                                             とんでもないよっ。」…。

って、ちょっとアンタら、だから取材が成立してるんでしょっ?!(笑)

と、元も子もない質問に思わず突っ込みを入れたくなった。

しかも、住人「どっちかと言えば…」って、自明じゃないですカッ。

どんだけ、マスコミトークに吊られてんだっ…??

断捨離って言葉を知ってるくらいなら、
ちょっと、考え方変えらんないのかねぇ?!と、
お節介なことを思いながら、ぼんやり見ていた。


それはともかく、「マスコミ」は「ゴミ屋敷」取材が大好きだよなぁ~と思う。

たぶん、ゴミ屋敷を取り上げると視聴率が上がるんだろう。
(つい好奇心に駆られて…ワタシも見たし。)

社会の中で、少々悲壮な暮らし方をしている人々を

連日のように紹介するTV。
法律が…、行政が…、と建前を盾に取りながら、好奇心や怖いもの見たさ、
自分は社会の一員としてまともに暮らしているという
視聴者側の自負心や優越感をくすぐるようにして、
大衆心理を操作しやすいネタだから、度々取り上げるのだろう。

かつ、視聴率もさることながら、放送目的のひとつに
「日本社会はこんなにひどく病んでます!」と
自虐観を刷り込むことも目的であるだろう。
番組で決して、根本解決につながる分析はしない。

マスゴミの伝える内容は、相も変わらず無責任だ。
取材で丁重にゴミ屋敷住人に接しながらも(慇懃無礼な感じ)、
痛々しい暮らし方をしてしまう人を実は侮蔑し、

視聴者に差別感を促し蔓延させる。
延いては、衛生観念や潔癖症に磨きがかかるよう喧伝も熱心だ。
(番組スポンサーは花OUやピー&ヂーやS林製薬あたりかいな?!笑)

抜かりナシ。

 

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ゴミ屋敷になる人の心理を思うに、環境(ごみ)問題が気掛かりな

「凄く優しい・律儀」な性格と、
「金銭・物質への極端な執着心、その奥には

  強い孤独感、寂しさ・感情の満たされなさ」という特徴が、

心の底にあるように思う。

そして自分自身も環境(ごみ)問題への疑問や、人や物に対する律儀さ、

あるいは金銭物欲という面に於いて、
ぼんやり見ながらも、多少なりとも深層心理では
重なるところがあるから、見てしまうのだろう。

頭では理性的に「非常識」を批判しつつも、
好奇心がそそられるのは、誰しも
感情的にはどこかで共通点があるからだ、と思う。

凄く優しい面というのは、捨てられない心理に繋がる。
昔の日本人の物を大切にする心とか、情深さが強く残っていて、
粗製乱造・大量生産時代のこの社会に対して
どこか割り切れない、やるせない思いがあるのだろう。


江戸社会、特に江戸の都市生活では掃除して出た「髪の毛」さえも
再生利用していたという。ゴミは出ない、ほぼ完全循環社会だったようだ。
糞尿は農家が買取りに来るシステムがあった。
面白いのは、相撲部屋から出る糞尿は高値で買取ったという。
ちなみに、昔の日本人は、排泄をすることを羞恥と
捉える感覚もあまりなかったようだ。
犬や猫、あるいは赤ん坊が排泄を気持ち良さそうにしている姿は、
こちらも安心感があるではないか。
特に赤ん坊の排泄が母親にとって逐一大切なのは、本能的なことだ。
いつの時代から、排泄が恥ずかしいことになったのか…。
よくよく考えれば、動物的な生理現象として日常の風景に溶け込んでいる方が、
本来は自然なことのはずなのに…。

更に言えば江戸時代は、ほぼ菜食だったゆえ、腸内、体内は
肉食する現代より、衛生的だったであろう。

人間は体内に腐敗菌・悪玉菌が多いと、無意識に
自分の体から出た物を汚いと感じるところがあるように思う。

現代人がやたら唾やら各種クソ(^^)などを汚がるのは、
肉食や化学調味の加工食品、油脂の多い食品、奇々怪々な物を食し、
石油化学製品の日用品洗剤シャンプーリンス芳香剤、等々をふんだんに使い、

肝臓に負担を掛け、内臓全体を汚しているから、かもしれない。

更には、ゴミや排水へ化学物質を垂れ流し、自然環境を毎日一人一人が

破壊していることへの罪悪感が、自分の中から、他人から出てくる

モノへの不衛生感と、無意識では繋がっていることだろう。



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大半の現代日本人が、この粗製乱造・大量生産時代に

実は、違和感や罪悪感を感じながらも、
何がどうなっているのだか?

訳が解らなくて、それでも細かいことに囚われ過ぎると

生きていけないから、切り捨て、諦め、目を背けながら
日常を送っているのではないだろうか。


日々のゴミ、資源ゴミ、大掃除やら引っ越しの時の粗大ゴミ、

自己啓発的な断捨離のゴミ…とか言って、

さっきまで目の前に有ったが、自分の都合や気分や流行で

いらなくなった物を税金のオカゲで、

行政がトラックに積んで運んで行ってくれて、

やれやれ…。


と、思いつつも、本当はただ、目の前からどっかへ移動しただけ。

別の場所に運ばれ、一か所に集められ、
可燃ゴミは、ある程度炭素にもなるだろうが、多くの物質から

ダイオキシンや毒ガス発生の要らないおまけつき。

雨や風でどこかをまた汚す。
不燃ゴミなら、延々と自分が使ったガラクタはこの世から、

抹消されることはない…。
ややこしい化学物質、重金属が土に浸み込めば、

いつかどこかに凝縮した毒が…大地へ、川へ、海へ、

そしてまた魚や小動物が摂取し、食物連鎖の果てに、

自分の、子や孫の、口に入る…かも。
ちょっと考えれば、誰でも想像できる。
頭の片隅では、夢の島がゴミの島であることは十分承知している。

ゴミ屋敷住人は、それらを直感的に感受し虫の眼のように、

「え~っとこの金属は何?ステンレスはどうなる?傘の骨は??

 鍋の取っ手と本体は??調味料の蓋に付いた紙は???

 紅茶のホチキスは????…アルミ箔は?????

紙袋の紐やハトメは??????

洋服のボタンは?ファスナーハ?ハッハ???????

…エ~っと…エ~~と。。。oz …zzz、、」

エンドレス。

 

細かくひとつひとつ見て、考え、思うのだけれど、
執着心も足かせになって、何をどう行動したらいいのか…。

できない…。
そんなふうに見て取れる。

罪悪感を忘れることができる人と、できない人の違いだけ、じゃないのか。
ゴミ屋敷住人は、現代ゴミ問題の本当の代弁者だと思う。


マスゴミCMで売りさばく、大量の飲料水やら食品やらあらゆる

ゴミ生産の加勢をする“増す”ゴミ。

TV新聞雑誌ネットあらゆる場で物欲を刺激し混乱を促している。

そんな奴らが、知らぬ存ぜぬで、涼しい顔して他人事で取材して、
どんだけ自作自演なんだよ✖
と、毒づきたくなる。

偽ユダ大株主を筆頭とする
企業全般とマスゴミの営利活動、マネー流通巨大化の所産が「ゴミ」だ。


先祖が培った「日本人の良心」の向けどころを

失くしてしまった、

この哀しさ。
「物を大切にする心、資源を尊ぶ心」を

失わさせられた、

この怒り。

 

偽ユダん国際金融集団が演出する
金銭物質礼賛社会が、個人の極端な執着心を生み出し、
心優しく繊細な人々がゴミ屋敷にしてしまう。
それを正直に顕わしてくれているのだ。
少々意志と行動力が足りないようだが…。

地球のゴミ汚染は、他人事ではない。
己の事である。

この世のあらゆる存在、物質は循環によって成立つ。
変な罪悪感から皆が解放され、幸福感の持てる社会にするには、

体内と潜在意識を大掃除することが、
ゴミ社会からの脱却だと思うのである。

で、とにかくできるだけ「買うな」・変な物を「食べるな・飲むな」と。

とどのつまりは、競争意識や虚栄心を刺激して偽情報をばら撒く、
マスゴミと企業とマネーを徐々に捨てること。