ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

油  6


仲俊二郎著「この国は俺が守る〜田中角栄アメリカに屈せず」より転載

250頁〜256頁(原文)

 

 田中の独自の資源外交やアメリカに先駆けた中国との国交回復、さらには自分たちの
宿敵ソ連との近い将来の平和条約締結の可能性と、どれもこれもがアメリカの国益
とって邪魔なのだ。その張本人の田中角栄を潰すことに、キッシンジャーは執念を
燃やしていた。そう考えて不思議はないのである。

 そのための準備は十分にしてきたつもりだ。在日C|A要員だけでなく、学者や評論家、新聞の編集者など、味方は多い。スパイになってくれている者もいる。国会議員や留学時にシンパになった連中もいて、こっそり組織に潜り込ませている。それに外務省はいつの時も味方になってくれるので、有難い。彼らが今、いっせいに蜂起して、田中攻撃の論陣を張ってくれるし、何よりも三木首相が先頭に立って引っ張ってくれているのが心強い限りだ。獲物をどんどん追い詰めていった。
 それでもキッシンジャーは油断することはなかった。田中への怒りは感情のマグマで燃えてはいるが、作戦は冷静だった。過去の幾多のC|A工作での失敗が彼に用心することを自然に植えつけていた。コーチャンはキッシンジャーの意向に沿い、しっかりと田中包囲網のレールを敷いたのだった。彼への
嘱託尋問は7月6日から4日間、ロサンゼルスの連邦地裁で行なわれた。日本から東京地検特捜部検事の堀田力と東条伸一郎が立ち会った。

 コーチャンは全日空へトライスターを売り込むため、何度も日本を訪れて丸紅の幹部と会っている。ライパルは三井物産を代理店とするダグラス社製のDC10機だ。1972年秋といえば、田中がニクソン大統領とハワイ会談をした頃であるが、ちょうど両社は日本を舞台に激烈な戦いを演じていた。
 いよいよ全日空が9月中には機種決定することをコーチャンは知り、8月20日に日本入りした。彼の供述によると、翌21日、丸紅本社を訪れ、檜山社長に会った。食事をともにし、トライスター売り込みの情勢分析などをする。22日に、販売責任者である大久保専務と会い、最終作戦を練る。そして23日、檜山と大久保が目白にある田中の私邸を訪ねた。二人で田中を訪問するようにと、コーチャンが依頼したからだという。では何のためにそんな依頼をしたのか。それが問題になってくる。

 

 当時、日米間では貿易不均衡で摩擦が生じていて、改善のために日本がアメリカから大型民間航空機など、何か大きな買い物をせねばならず、9月1日のハワイ会談ではそれが話題になることを自分は知っていた。そこで日本の総理大臣にトライスターの長所を説明してほしい、と頼んだというのだ。明確な言葉では証言せず腕曲的ではあるが、直接、檜山の口からトライスターを買ってもらえないかと頼んでほしい、という意味のことをコーチャンは依頼した。
 そのためには5億円の賄賂を渡す必要があると、22日の作戦会議で大久保から言われていた。しかし自分はその渡す相手について、誰かは知らない、という。そう言いながらもコーチャンは、大久保から受けた報告内容を次のように証言している。「自分たち(檜山と大久保)は総理大臣と会い、話をした。(5億円報酬の)申し出もした。
その線あたりで約束された」
 そして別のアメリカ人検事の尋問にコーチャンは具体的な証言をする。
「1973年6月後半に大久保から約束の5億円を送れと言われた…。そこでロッキード社の
ホートン会長に相談し、送る旨の返事を大久保にした」その5億円は4回に分けて支払ったことも、ロッキード社東京支社長だったクラッターらの証言から判明する。

 田中はコーチャン証言に驚いた。ハワイ会談ではニクソンと航空機購入の必要性は確かに話したが、どこの製品にせよなどとは一言も言っていない。それは民間会社が決めることである。たとえ総理といえども、一民間企業の経営方針に介入することなど、出来るわけがない。それなのに賄賂欲しさに頼んだかのようにでっち上げられている。その上、政治家が外国からの金を受け取ることなど、あってはならない大原則だ。丸紅とそんな話をすることなど、あり得ない。それなのにコーチャンはさも事実のように証言をしている。田中の怒りはおさまらない。
 しかしその怒りは法的に何の効力もなかった。最高裁が保証した嘱託尋問である限り、日本側からの一切の反論は出来ないのである。「その証言がすべて正しい」という前提で以後の捜査と裁判が行われた。贈賄の主犯である人物に直接会って、何を言っているのか、嘘をつくなと、反対尋問をして確かめたい。そう考えたのだが、その当たり前のことが今回は通用しない。海の向こうで贈賄の犯人が一方的にしゃべったことが、一言一句、日本国内では絶対的な「証拠」となってしまったのである。これが最高裁
保証した嘱託尋問だった。一方的な証言により、田中は以後、死ぬまで糾弾されることとなる。
 しかし日本社会はこの理不尽なやり方を歓迎し、支持さえした。悪党をやっつけるのに正義などおこがましい。身の程知らずだと、マスコミ論調は頭から田中を有罪だと決めてかかり、検察もそれに沿って捜査に突進する。そして要所要所で検察からマスコミへのリークがなされ、田中、丸紅、全日空の悪者ぶりを紙上にこれでもかと披露した。検察が最も得意とする世論づくりである。コーチャン発言の検証もせず、これが正しいと一方的に世論を盛り上げる。ナチス時代のファシズムを思い出させるのに十分だ。

フェアーで冷静な姿勢は微塵も見られなかった。ここでコーチャン証言の矛盾の一つについて、客観的な状況を概観しよう。それは田中が有罪か無罪かの核心につながるからだ。ハワイ会談の時点で、ロッキード社のトライスターとダグラス社のDC10の競争状況は果たしてどうであったか。結論的にいうと、全日空社内では、すでに購入機種をトライスターに内定していたのだ。

 

 両機が競っていたので不安だった、だから田中に頼もうとした、という

コーチャン発言は偽りである。トライスター優位の事実を丸紅とコーチャンが知らなかったはずがない。

 民間航空会社では機種を選ぶとき、組織的に社内委員会を立ち上げ、徹底的な、極めて慎重な調査を経て行われる。部外者である政府が介入する余地はまったくない。全日空も新機種選定委員会を設け、二年以上にわたって検討を重ねてきた。まさに社運をかけた検討なのである。両機への評価は甲乙つけがたい状態で推移していたのだが、
ハワイ会談の数ヶ月前から、どういうわけかDC機の事故が多発した。一方、トライスターは順調な飛行を続け、両機の差は明確になっていた。

例えばそのDC機の事故例を箇条書きにしてみよう

(木村喜助「田中角栄の真実」より)。

 

1-1972年6月11日、アメリカン航空のDC10において、ロサンゼルス空港で

 貨物室ドアのロックに支障事故が発生した。
2-同年6月12日、アメリカン航空のDC60において、ウィンザー上空で、

 後方貨物室ドアが脱落し、そのための急激な機内の減圧が操縦機能に障害を与え、

 操縦不能寸前の状態となり、デトロイト空港に緊急着陸した。
3-同年7月27日、コンチネンタル航空のDC10において、ロサンゼルスを離陸上昇中、

 第三エンジンが脱落した。
4-1973年11月3日、ナショナル航空のDC10において、アルバカーキ上空で

 第三エンジンが爆発して機体に穴があき、乗客一人が機外に吸い出された。
5-1974年3月3日、トルコ航空のDC10において、パリのオルリー空港離陸直後、

 貨物室ドアの脱落から機内の急激な減圧が起こり、客席床が下にへこんで

 操縦系統を破壊したため墜落し、乗客346人全員が死亡するという大惨事を

 起こした。


3例目にあるDC10のエンジン脱落というのは構造上の欠陥事故であり、

機種決定に致命的な影響を及ぼす。はっきり言って、完全な技術失格なのだ。

これに対し、トライスター機は世界中で順調に飛行した。

構造上の欠陥が一度も発生せず、安定した優秀さを示していた。

 

さらに1972年7月23日、東京、大阪、鹿児島の各飛行場で、トライスターとDC10がデモフライトの競演を行った。どちらが優秀かを公開で競うのだ。トライスターは性能開示を誠実に行い、確かな飛行を行った。これに対し、DC10は秘密を残したごまかし的な飛行をし、見ていた全日空関係者の不審と不評を買ったのだった。
 先のDC機の事故例からも分かるように、最初の三件は、コーチャンが日本へ行き丸紅幹部と会った8月20日より前に起こっている。また9月1日のハワイ会談からは相当前の事故なのだ。エンジン脱落という重大欠陥も合わせて考えると、全日空が早い時点でトライスターに内定していたのがよく理解できる。

 

 これらの事故は丸紅幹部もロ社のコーチャンも熟知していたことであり、自分たちが極めて有利な位置にいることも知っていた。現に8月当時、担当専務の大久保は休暇をとって、のんびりと旅行をしていたくらいである。
それなのになぜ5億円もの賄賂をわざわざ時の総理大臣に渡してまで、ハワイ会談でニクソンに念押しさせる必要があるのか。常識的にはとても考えられない行為ではないか。にもかかわらずコーチャンは、丸紅を通じて田中に依頼したと証言するのだ。田中が、そんな馬鹿げたことを請負うはずもない、と全面否定したのもうなずける。

 

(つづく)

 

 

 

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