ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

美容…髪…について

(3/24削除し再掲載)

 

女性として失格であろう、今時の美容に関して0点と自分で思う。
関心がないことに全くエネルギーを注げない。

子供の頃は化粧することや思春期には体型に関心があったのに、
大人になってから全く興味がなくなった。逆行だ。

髪も最近では自分で切り、白髪はヘナを半年に一回くらい塗りたくって、
ちょっと色が変わればいいや、ってなことしかせず。

家人としては、困った奴だと思っていることだろう。
ホント、変人だ。

ダイエット、スキンケアや美白とやらにも関心がない。ネールアートに
喜びを見出す女性の心理が、私には訳が分からない。
金髪に染めたり、カラーコンタクトとか危険だし、頭おかしいんじゃ・・・と。

顔整形に至っては、自分を卑下する醜さ、
自虐性の問題から目を背けるような心理は
他者から見て、剥き出しになるかのようで。
痛々しく、顔整形する人が悲しげで侘しく見えてしまう。
ありのままを受け入れていくその過程が、
美しいのではないかぃ?と思うがなぁ・・・、
素を大切に、と。

不慮の事故、火傷等での形成手術は、別として。

 

思うに、若い頃不細工と思っている人の方が
年齢を経て、いい顔になったなぁ、と思うこともある。
美人は若い頃が頂点で、次第に醜が露わになっていくこともある。
何となく、人生って平等だなぁと。

とても失礼なことを言っているか。(スンマセンネ)

 

 

美容について研鑽し関心がある人から見れば、
今や私は、ボロボロのおばちゃんに見えるだろう。婆さんか?(笑)
そう言えば、シミや目元にシワが増えることだけ、少々気にしているか。
とは言え、アンチエイジングに張り切る、
今時の中高年層の動向には、やっぱり疑問だ。

シミや目元のシワを気にしていることと矛盾しているが、
人生の苦労を乗り越え、生きてきた味のある顔。
年輪のごとくシワが味となった表情に、
憧れもある。

いつまでも若者のように、若く見えるように、
見せたいという願望とその努力が、どこか知恵浅く映る。
人生の経験値への自信の無さをはらんでいて、
外見の変化・老化を受け入れる器ができていない、
心の成長を自ら拒んでいるのと同義ではないかぃ?と。

 

 


若い頃にワタシは気付いた。
ほとんどの人は、自分にしか関心がないし、他人のことなど
ほぼ見ていないことを。気にしているのは本人ばかりなり。
相手へ不衛生さや不快感を与えない程度の身繕いで十分でないかい?と。

いや、自分を軽視するような自虐性が、顔整形している人と同じか?

 

大半の人、他者は、そのままのあなたを「そういう人」として

受け入れてくれているもんダ。むしろそれを楽しんでいるかもしれないのだ。

ちょっとへんてこりんなことを楽しめる要素、優越感を与えるのに、

ブサイクさや無防備さはユーモアさえ提供している「徳積み」無意識の善行。

(苦?笑)と、ワタシは思う。

 

 

で、どちらかと言えば、こちらの方が深刻である。

下手に、美容に努力すると女性陣の意地悪な視線や競争意識の方が
重荷な場合が多々ある。

あるいは、容姿による男性からの優劣差別や値踏みの感情や下心も、

ワタシに、美容への関心を失わせたかもしれない。

視線に晒される恐怖心。ワタシこそ自意識過剰の極みで、

その苦痛からの逃避かぁ?!(呆)

 

 

 

高校生の頃に、お気に入りの雑誌を読むたびに、

あの服が欲しい、誰それみたいになりたい、チヤホヤされたい、

もっと、綺麗に見られたい、と思ってしまうんだな、ってなことに

思い至ったのデアル。

以降、女性誌やらファッション誌を購読することは止めたし、

自分では正解だった、と思う。(変人だから放っておいてくれ、と。笑)

 

 

美容に関して冷ややかなことを記すと、敵を増やすこと承知だが、
現代人の美容への執念、拘りの風潮が、異常と感じてしまう昨今だ。


自己愛、偏愛、拘り、執着心、〝見せたい見られたい〟という
自己顕示欲。虚飾の、欲望だけの、アイディンティティが欠落した、
自分に基準のない、外からの視線・情報に振り回され続ける、

受動的な心理構造が。

 

*****


と、言いつつも。

朝、寝起きの乱れた髪をといて、身嗜みを整え
シャッキリ暮らす日々。とは真逆の自分を反省。

美容への執着にしろ、身なりを整えることに関心が無いよりは、
ずっとまともかもしれない。

 

*************

 

ところで、若い頃1年間くらいか、上下水道に関連した補助的な仕事を
していた時のこと。現場に赴く上司が話していたことが時々思い出される。
「下水道処理で非常に厄介なのは、髪の毛なんだよね。」と。
膨大な量の市民の髪の毛の処理に下水道局は苦慮している話を聞き、
いち市民としても考えされられたことである。


それから、ずいぶん時は流れ。
嫁いだ後、両親は転居した。転居した私の実家で時々
トイレ掃除することもあった。その時、気付いた事がある。
自分の住まいをトイレ掃除すると、床に髪の毛がパラパラと
落ちているのに対し、両親の住まいのトイレにはほとんど髪が落ちていない。

トイレ掃除は大切だと分かっているものの、

改めて思えば、やりたい!と思うほど好きではない。
数分で済ませられ掃除した後の清々しい気分は好きであるのに。


が、なぜそのプロセスが好きになれないかの些細な一つの理由は、
今の自宅トイレの床に落ちている髪の毛かも、と。
雑巾で拭いても、狭い空間で取れそうで取れない髪の毛と格闘する数十秒の
繰り返しが、面倒と思っている自分がいる。

 

そう言えば昔から両親は朝、きちんと髪を整えて生活している様子を私は見てきた。
母から髪をちゃんとときなさい、と言われたりしたこともあった。
祖父母とも暮らしていた以前の大家族の実家も、現自宅のように髪の毛が
トイレ掃除の時、あまり落ちてはいなかった。
祖父母も自分なりの髪型を持ち髪を整えて暮らしていた記憶。

またまたであるが、江戸時代には髪の毛さえもリサイクルし、
物を大切に活かした生活であったことを本で知り得た。
よく考えたら、昔の人たちは、現代人ほど洗髪はしないけれども、
しっかり櫛で髪をとき、衛生を保っていたこと。
また、髪はある程度、「結い方」があり、
バラバラと髪を奔放にさせない型・洋式というものがあったのだ。
そうした髪型にも実は、掃除のみならず、

髪が食べ物に混入など、不快を回避する配慮、暮らしの衛生全般、
習慣は、心の有り様にまで繋がっていて、
改めて、昔の人たちの折り目正しい暮らし方が合理的であることを思い知った。

合理的な社会、成熟した社会への道とは真逆への道程である現代社会。

 

個人の好き勝手、自由な〝気分〟を連呼する現代社会、

楽しければいい、という、

「今」という時間を刹那的で断片でしか捉えられない

想像力を欠損させる偽教育、

マスゴミによる短絡的な思考回路。

それらが、現代社会に混乱を作り続けている。

(これまた、西洋礼賛の風潮の罪ダナ)

 

 

髪を整え、ほんの少し自分の美意識も添えて、その形は「美」を満たしていた。
大正生まれの祖父母、昭和初期生まれの父母、明治時代の祖々父父母。

その暮らし方に、江戸時代の名残りを感じたりする。


遠い私たち先祖は、理に適った髪型を持ち、

きちんと身嗜みを整えていたその昔は・・・、

マスコミなどない、企業CMのような映像画像イメージなどで、

意識をコントロールされてはいなかった。


自己愛のための流行、ファッション、見せ方、見てくれのためではなく、
自他ともに心地よい生活様式であったことに思い馳せる。

 

現代日本人の生活感は、凸凹である。

現代日本人は市場経済のオモチャである。


ダイエットだアンチエイジングだの、美容の本質を履き違え、
不健康になり、更には健康志向が偽情報で病気を作る縮図。

 

ほとんどの人が過度な衛生観念で、髪の毛を毎日、
水を汚染する人工界面活性剤入りのシャンプーで髪、身体を洗い、
石油由来シリコン入りのリンスやらトリートメントでツヤツヤ気分。

 

ワレワレの容姿・表面の衛生は確保できても・・・。
実際は、皮膚に肝臓に負担を掛けている。ついでに嗅覚もマヒしていく。

 

下水道施設から浄化されたはずの水。

だが、河川へと流す取り除き切れない化学物質を含む水は、

微生物、水生物を減少させ、水を濁らせ、変な香料の臭いがする

川や海となっていく。


下水道処理場に髪の毛を筆頭に

あらゆる厄介物を膨大にワレワレは、垂れ流し続けている。

 

髪の毛の綺麗さ、身体の衛生をやたらに鼓舞し、

CMやマスコミの偽情報の映像画像イメージが大衆の頭を席巻し、

己がための衛生や美容が、命の元である川や海を汚している。

流行や見せかけの綺麗さへの渇望感・欲望が、

自然環境を破壊し続けている。

 

勘違い、汚染脳されての美容、健康は、あくまでも己がため。
自己愛、それへの執着心が社会を良くすると、

ゼッタイに私には思えない。

 

企業CMのみならず、ヒロイズム延いては自己顕示欲を触発する

アニメ、ネズミー的な映画や小説、絵本などが、不気味に
現代人の潜在意識を支配していることだろう。

 

せめて、朝にはブラシや櫛でしっかりといて洗髪で抜けた髪の毛も、

可燃ごみへ。雑巾についた髪の毛も可燃ごみへ、と

ここまでブツブツのたまうのなら、ちょいとワタシも心がけようっと。

 


他者へ良い気分を与える心遣い。
自然と調和した衛生とは何かという観点で、
歳を経る毎に、自分の身嗜みも心がけたいと思う次第。

 

ひとまず、トイレットペーパーは無香料を

変人からは、髪も体も洗うのに、固形石鹸をおすすめしたい。

 

猫の毛の艶を見るにつけ、

毛は唾で舐めればツヤツヤになるもんだ、と。(笑)