ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

オリンピックなど、どっちでもいいし、むしろずっといらない (スケートボード・・・プロパガンダ?!)

 

世界遺産やらワールドカップトリエンナーレビエンナーレ

アカデミ〜何とかやら、、、ノーベル賞さえ、

なんでもかんでも、派手に繰り広げる世界なんとか大会など、

偽ユダらのプロパガンダでしかない、と思うから。。。

 

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さて。

 

昨日の朝方、見た夢の話。

 

子供の頃、よく遊んだ公園で多数の人が工事をしている。
その工事というのが、土である公園にアスファルト
敷き詰めようとしてるのである。

怒りに震える私は、工事している人たちへ


「土は大切なんだ!土がなくては生物は生きていけない!
ただでさえ、アスファルトだらけの街で公園までそんなことして!
人間の生物としての感性が壊れてしまう。
子供の頃から、土を知らなくなり、不自然な人工環境が
当たり前となった時、どれほど異常なことになるか!
なんてバカなことをするんだ!」

 

と、言うようなことを怒鳴って嗚咽していた。(激しいワタシ)

目が覚め、その高ぶった感情がリアルで、なぜあんな夢を見たのかな?と
考えていたら、ふっと現実世界のことと繋がるようなことが頭に浮かんできた。

2020オリンピックの競技、スケートボードである。
先週の日曜日に散歩がてら、近くの大きな公園へ行った時。
長らくゲートボール場だった所が、2年ほど前に舗装工事をしており、
かなり広い敷地がアスファルト整備をして、様子が変わっていた。

そこに小学生くらいの多数の子供たちがスケートボードに興じているのを

目にしたのが記憶に残っていたからか。
街にある普通の公園をも、アスファルト化を画策しているのではないか?

という懸念の夢を見たのかもしれない。
偽ユダ主導の悪徳行政の可能性を事ある毎に考えているからか。。。
杞憂であることを祈るが。どうだろう…。

 


ともかく、非常に不気味な競技である、とワタシは思う。
USAの文化にまともなものは一つもない、と偏見を承知で訴えたくなるし、
偽ユダ社会からの偽文化の影響に危機感は尽きない。
スケートボードも、密かにプロパガンダとして利用しよう

としている気がしてならない。


スケートボードがオリンピック競技となって、

かっこいいイメージばかりを
マスコミは映像として垂れ流しているだろう。(私はTVを見ないから知らないが)
幼い子供を持つ親たちにも色々な考え方はあろうが、

ゲーム機と同じような動向で、皆がやっているから、

持っているから、我が子も楽しんでくれれば、と
安易に道具を与えるという思考停止もあろうか。


自己愛や自己顕示欲すなわちエゴが満たされるような。
かっこいい!と言われたい、がためのスポーツ。

(現在の文化全般を偽物と思う核の理由である。)
頑固者のワタシには、〝気障(キザ)さ〟が気に障るのである。


スケートボードをサーフィンの上達に利用する人もいるらしいが、どちらにしても
西洋由来のスポーツは、競争という軍隊の訓練用にと作られた、
戦争を前提とした、人類にとって痛い、社会を荒々しくする

偽文化、と私は思っている。


美意識。敢えて見せない精神の世界観からすると、

西洋文化全般は、見せるための優劣格差の価値観で誘導され、

卑しさ浅ましさが増幅していく「醜」を感じてしまって。

 


スポーツとは異なるが、

USA由来の文化にこれもまた、疑問が湧くひとつで、
USA生活習慣にもろくなものはない、、、!

という頑固なワタシの先入観の一つの例だが。

 

ティッシュは、昭和30年代ではUSAのお土産として、

日本人はありがたがっていたそうで。

一見、洗練されたような日用品だ。
ずいぶん前の〝暮らしの手帳〟という雑誌に当時、

貴重な土産物だったと書かれてあった。

 

まだ、昭和50年代前後、私の子供の頃も、

国産になったティッシュでも少々贅沢品で、雑に使うようなことはしなかった。
だが、今では使い捨ての代表格のような日用品である。


どこもかしこも安価に販売している。

それは、見てくれがスタイリッシュな感じで使い勝手が良く、

それ故に物に感謝の欠片もなく捨てる日用品、その有様。

物に対する思考停止状態の代表格だ。

悪徳の習慣を習慣たらしめた元凶が、ティッシュの出現だと思っている。
箱から一枚、簡単に、という所作が、どれほど、

森林伐採、大地荒廃に加担しているのだろうか、と。


何十億もの人々が、それを日々、年がら年中、

無意識に紙を使い捨てることが、いかに異常なことか。

 


昭和40年代〜50年代に田中角栄氏が、ゴルフ場開発の

推進奨励をした話は以前の記事で書いた。
現況、ゴルフ場からの農薬汚染、諸々で環境破壊も否めないが。


その推進した真の理由は、国際的な戦争などの有事の際、

山林をすぐに田畑に整備し即、農耕が行えるように、という
国防のための発想であったという。

国民が餓死しないようにという、
戦争を経験し苦渋を舐めた政治家の、意義ある采配。


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スケートボード競技、その流行り方、ムーブメントから見えてくるのは、

日本中、どこもかしこも公園さえも、アスファルトで埋め尽くせば、

有事の時にも土はなく、食糧を得る方法など全くない。
マネーを持たない者はお手上げで、餓死に至るであろう、

偽ユダの人口削減という陰謀を想像してしまう私は、

不気味なことにしか、思えない。

幼い頃の身につけたこと、体験したことは

生涯の価値観を形成するであろう、三つ子の魂百まで。

 


国際金融家・偽ユダは自家採取の種を大衆から

完全奪取しようと画策し続けているのだから。

(デビット石フェラーが、自家採種を奨励し活動する

日本の農業者に直接電話してきて取材した話を聞いた故)

大衆にとって支配側の思想は、

先述したゴルフ場を造ることを奨励した目的と

真逆であることを想像する。

 

農業は企業が掌握し、

大衆はマネーを得ることでしか、

食糧は得られない支配の構図。

 


70年前の大戦の最中、多数の徴兵で男手が無くなって、悲惨な時代であった。

食糧を生み出す力を失った日本。
それでも雑草でも食い繋げる土が身近であり、多くの自然環境が残っていた。

が、現代では「土」を手に入れるにもホームセンターなどで

お金を払わなければならない、それが常識の、異常社会。


雑草さえも排ガス土壌汚染で、食べられる代物ではないし、

アスファルト化、コンクリート化で、
生えてくる場所さえも、なくなりつつある。
植物の息を止めんとする人間の生活は、

己の息を止めるのと同義であろう。


幼い頃から土、砂と戯れるのは、人間の創造性の原点というふうに
考える私は保守的なのだろうか。


いや、保守という言葉さえも、プロパガンダで、
「素」というものは何も変わらない。

普遍、原点が解らなくなると、
根本から崩壊が始まるような気がしてしまう。

 


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世界統- N W 0という666の世界は、偽ユダが判断する愚者を
切り捨て、利用できる者はロボット化・意識をバーチャル化して利用し尽くし、

(すでに凡人では考えられない悪徳先鋭技術があるだろう。)
魂を喰い倒す悪魔の夢。元ユダ帰還のためだろうか、と。
それは集合無意識で如何様にもできる負のエネルギーが

利用されてしまう、という。。。当方なりの仮説。

 


各々がプロパガンダによって無意識に選択するそれが、
己の存在を無効化・無力化してしまう行動に仕向けられる。
そのシステムを〝利己〟の意識が、

誘導できてしまう社会構造であることを
奇妙な妄想癖があるワタシは、指摘したくなるし、考え込んでしまう。

(己の主体性、アイデンティティの重要さを思う。

 それが喪失されていくと、自滅という罪がある)

 

存在全てに、真偽・善悪・美醜・があっての心地よい世界とはなんぞや、と。