ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

ちまたの音楽や映像・画像が発信配信される意図、行方に。。。何となく感じること__その4

 

映画についても書いておこうと思う。

 

 

ロードショーとして配給される映画には、

多くのプロパガンダが込められていることは

周知されているだろう。しかもそれは、公開される前から汚染脳のために、

特に注力し、宣伝する映画は明らかに政治戦略も込められている、と思う。

例えば、象徴的に思い出されるのはワァーキングガール(1988)という映画だ。

昭和の末くらいまでは、日本では企業の「乗っ取り」という言葉が一般的で、

そうした事例はあったけれども、イメージを払拭するのに、

乗っ取り=M&Aが、盛んなUSAの土壌を日本に持ち込むため、

企業買収の認識をやんわりとキレイ事に一般化するのに、

また進歩的なイメージ(ショウもナイ手法)も与えるのに、

格好の映画となったことだろう。

しかも女性労働者を倍増させるのにも一役買ったに違いない。

 

例に漏れずワタシも鑑賞したのだが、当時はUSA型の企業買収の意味が

今ひとつ分からなかった。今も詳しくは判らないが。。。

かつ主人公の職業が抽象的で変な仕事、

不自然なことではないかなぁ、くらいは思った記憶がある。

 

 

プラザ合意が背景にあって、1991年バブル経済を崩壊させた。地価急落、電電公社民営化でNTT株価の急騰と暴落劇、山一証券破綻や、スキャンダルをマスゴミで取り沙汰し長銀などの解体、再編が続き、外資の息が掛かった銀行に変わって、企業への貸し剝がしが頻発した。倒産件数は毎年更新。人材、資産、技術は徐々に吸い上げられて、怒涛の如く日本企業は外資企業に買収され続けていった。郵政民営化が更に日本経済に大打撃を与え、現在の日本は正規雇用の悪化、賃金低下、法人税所得税引き下げと、大企業還付金のための!消費税増外国人労働者流入など、マスゴミで本質とは違う問題点を取り上げフル活用し、世論を狂わせ、その後、国体を揺るがす諸悪の問題の列挙にいとまがない。

 

 

いち娯楽映画がバブル崩壊を牽引したとまでは言わないが、

1988年公開映画と1991年バブル崩壊に様々な意図が全く無かったとも思えない。

大衆側の知ったつもりになるM&Aに対する漠然とした認識や進歩的という錯覚。

恐怖と同様に、「憧れ」という類の肯定感によった集合意識のエネルギーは大きく、

社会を動かす原動力ということを偽ユダは、熟知していることだろう。

繰り返し書くことだが、中世以降すべての大陸諸島を欧州貴族勢が強奪強姦破壊で、

民族社会を植民地化していった。それが、装いを変え国際機関云々を使い完全防備で、

合法化された略奪行為が、M&Aあり、民営化であることを日本人全体が、

終戦直後、せめて昭和30年代頃から日本人リーダーらが、

それを研究分析し波及させなくてはならなかったのだ。

年月を経て、日本人が偽ユダの胸算用に気付いても後の祭りであった。

 

欧州貴族勢や国際金融家らの巨悪を払拭するのに

戦争は論外で、かつ経済競争力でもなく、方法はただ一つ。

今後の未来、偽ユダの生命の水であるお金の消滅。

生命維持装置である変幻自在の政治経済システムの消去、

それに類する概念がこの地球から消える生き方を

各々が模索すること。自然破壊による人工物にはできる限り依存しない生き方、

そして地に足をつけた生活の中でアミニズム・精霊信仰・八百万神を

改めて思い出すことだと思う。

人間本来の意識を思い出させないために、

人工物質人工空間を増やし続けてもいるだろう。

 

 

 

ロードショー映画の中で瑣末なことでは、特定メーカーの飲み物を

さり気なく主人公が飲んでいたり、

画面の中に偽ユダが大好きなカバラ数字が入っていたり、

性的な文字が子供向けアニメに潜ませてあったり、ネズミィ映画では

子供がキャラクターグッズや雑貨を欲しくなるような

小道具が繰り返し映像に出てきたり。

サブリミナルという言葉も流行ったが、

様々な映像汚染脳に大衆は、未だ無防備だ。

もちろん、日本でもドラマのみならず、ニュースもプロパガンダ

大いに仕込んであることは分かっているが、それは割愛しよう。

 

分かったような指摘をしても、所詮単なる鑑賞者の私には漠然として

憶測めいたことしか言えないのだが。

 

未来イメージを偽ユダのシナリオ(旧約聖書)の予言的

内容に則した表現にしていることもたっぷり含まれているだろう。

予言(予定)らしき内容を映画に盛り込むのも、

そうした未来を召喚したい偽ユダらの願望に違いない。

 

更には殊に思うのは、「真相や真実」を隠蔽するために、偽ユダである体制側は、

映画やドラマ等で微かに「真相や真実」を実は表現しているのではないか、と

思うのだ。これを具体的な例で挙げることができないので

説得力はないが。(笑)

 

ともかくは、数年前から、映画を鑑賞する行為は不本意にも

すべからく偽ユダ主導の未来ビジョン、

元地球人が地球に帰還する悲願のための、

 改ざんされたであろう旧約聖書の、人口削減のシナリオ

実現するための協力者になってしまうことを感じてきた。

加えて、真相や真実を無意識レベルとしても視聴した時、

偽ユダらの存在を温存する仕組みが、映画などにもあるのならば、

決して、見てはならない、とまで思うようになった。(変人デス・笑)

尤も、映画やドラマを見るとプロパガンダや偽言説の汚染脳オンパレードと

受け取ってしまうようになった情報の蓄積で、楽しめるハズもなく。(笑)

 

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そんな変人になったワタシも、十〜三十歳代の半ばまでは、

マメに映画をウカウカと見てきた。

十代の頃は映画に興味を持つ友人に誘われるままに、

USAのロードショーで大ヒット映画と言われるものをいくつも見た。

 

高校までは特に映画が好きではなかったけれども、古い映画について

耳にする俳優女優の固有名詞が今ひとつ判らず、二十歳の頃から、

心がけて、単館上映の名画と言われる古い映画、主に洋画を見ていた。

単館上映では、古い映画のみならず、マイナーな監督の新しい映画も

上映しているから、気になる映画情報があれば、それも鑑賞してきた。

それはそれとして、楽しめる世界であった。

だが、表現の自由憲法で謳うにも関わらず、

財団法人(偽ユダ系デショ)として映倫なるものが

映画配給のため君臨する、暗黙かつ実質的な法規制がある。

(参考https://www.eirin.jp/index.php)・・・NHKと似たような立ち位置ダ。

戦前の映画法を悪法と定義した、これもGHQの置き土産ダナ。

 

時には、潜在的プロパガンダのためにマイナーな映画も網羅しての、

映画配給であることを何となく感じる。

 

例えば、地道に単館上映している東ティモールを応援する

ドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」は、

製作者が純粋が故に、偽ユダの意図を

反映させてしまってもいる、と思うのである。

独立国家という一見、有志を思わせる政治的動向、

大衆自らの政治運動=(教育や倫理、宗教価値観、

マスゴミを使い、大衆自らの意志と思い込ませる刷り込み)

が、偽ユダの仕掛ける罠であったことが、

独立を果たしてしまったその先に、見えてくる。

 

だからこそ、映倫を通過し上映ができるのだろう。

独立の果てに何があったかの結論から言えば、

オーストラリア(偽ユダ国家)が油田利権をまたもや収奪したに等しい。

(日本ODAインドネシア経由でたんまりUSA軍需産業にカネを巻き上げられ、

   偽ユダ圏オーストラリアに石油採掘権が転がり込んで、という

 ビリヤードの如くいつも通り弄ばれている。

 かつ、インドネシアへのODAは二十数年間USA軍需産業の旨味じゃないか。

 ワレワレの税金で。。。悲しすぎるワナ。苦笑;)

 

インドネシアからの独立というのは、インドネシア

石油利権を絶対に渡さない偽ユダのいつものやり方であった。

 

そうなるためのシナリオは、キリスト教が事前にティモールに蔓延り

インドネシア側からのイスラム教の脅威というプロパガンダによって、

大衆はそれを刷り込まれている。そして、独立という偽の理想を掲げ、

毒の実がまたもや、結実してしまったのだった。

 

日本中世の真相、キリスト教者の仮面を被った悪魔の商人たちが、

獣の如き扱いで日本人を奴隷とし世界中に数十万人が売買されていったこと。

各地で寺社仏閣破壊があったこと。欧州勢の極めて利己的な貿易をアジアで

繰り広げその悪行によって、日本はバテレン追放令や鎖国せざるを得なかった時代。

その史実、歴史の本質を見れば、毎度お馴染みの茶番劇であるのにも関わらず。

 

大衆は、キリスト教ユダヤ教あるいはスピリチュアル動向の本質を未だ見抜けずにいる。

イスラム教を悪とみなすパターンを持って、毎度のことである。

 

国連が偽ユダ所有の機関であることが、証明・周知されない限り、

ほぼ不可能だけども、もしインドネシアが石油利権を確保できていたなら、

東ティモールは、自治区という形で住民が素朴な暮らしが未来へ続く

可能性があったかも知れない。

元来、平等な形で資源地を各国の所有と認め、自然保護を主眼に

自治区を維持させ助力するのが、理想の国連の役割だろう。

が、偽ユダ機関がそんな善意・良心を発露することなどあろうはずがない。

 

 

 

インドネシア・東南アジア・アジア全体の情勢としても、

姑息すぎる偽ユダ勢力に、またもや騙され、

いい迷惑の独立運動プロパガンダとなってしまった、

・・・という解釈である。