ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

ちまたの音楽や映像・画像が発信配信される意図、行方に。。。何となく感じること__その1

 

 

音楽や映像は、ダイレクトに深層心理に届くように感じている。

いや、届いてしまう・・・と私は、ひとまず警鐘を鳴らしたくなる。

 

 

いきなりだが、

故・藤圭子さんという天才歌手のことを

引き合いに出したい。

藤圭子さんを知っている人は、それほど広い世代ではないだろう。

〝八時だよ!全員集合〟という土曜日、昭和のTBS大人気番組

歌謡ステージコーナーによく出演していた演歌歌手である。

 

昭和40年代に、若い女性の歌手でありながらも、

情念の強烈な歌謡を大衆に届けた。

ワタシ自身の年齢を経た今、動画でたまたま視聴し、当時を思い出し、

昭和四十〜五十年代のTV人気番組を通じてだが、

まさに天才歌手をON TIMEで接していたのだ、と改めて思う。

 

 

宇多田ヒカルさんの母親であることは、

現代日本人なら知っているだろうか。

 

子供の頃、かの番組で藤圭子さんの歌い上げる演歌が、

あまりにも重たくて暗くて、幼い私にとっては苦手だった。

けれども、とても印象が強かった。

 

才能とは、受け手にとって

嫌いとか、好きを超えて、幼心をも「揺さぶられるエネルギー」が

印象という形で残る。それを彼女の才能が証していた気もする。

 

 

 

 

 

ところで、ご本人の藤圭子さんは、レコード会社作詞作曲家が与える

彼女に歌わせる曲とは裏腹に、十代の彼女は素朴で音楽の感性は、

情念を歌い上げることだけの才能が、

ご自身の本質的なメッセージではなく、

音楽そのもの「楽」(がく・・楽しさ等)を表現したい、

才能に溢れていた、と死後の逸話から、私は感じ取った。

ファンキーさ(破壊力)や未来感・・・。

過去ではなく未来のエネルギーの才能を

秘めていた人と感じた。

(遠い存在なのに、おこがましい発言かもしれないが。)

 

 

音楽とは元来、生命を謳う楽しきものであり、

演歌という歌謡ジャンルの縛りの中で、

後悔や哀愁という負の世界の中の癒しを大衆に与えることだけでは、

彼女の音楽への情熱は、満たされなかったのだろう、と

想像したりもする。

 

だがしかし、藤圭子さんの母親の暮らしを豊かにしてあげたい、

その一心で、人生の目的は、

 彼女の才能が、昭和40年代当時の日本芸能界の

ドル箱のひとつと化していた。。。

 

そんなゲンジツのことを画面の向こうで、

偽りの芸能業界と個人の能力がある故の、駆け引きがあったからだろうか・・。

藤圭子さんの(歌わなければいけない)歌謡が、

あまりにも暗く重たく感じ、繰り返すが当時のワタシは好きではなかった。

苦手だった。

 

が、宇多田ヒカルさんの作品が大ヒットした以降、

宇多田さんの曲調・センス(六感)がワタシは好きで、

藤圭子さんと親子関係であることを流れで知って、

逸話をYouTubeなどで知り、思いがけず素朴で明るさを持った人物

だったのかと知った。死に至った理由・事情は、明るさとは裏腹だったことを

単なる視聴者側は知る由もないが。

 

大衆側からのメジャーな人物に対しての

プライバシーの詮索は、虚無ではあろうが、

失礼ながら参考までに想像の域で書かせて頂いたので、ご容赦を。

 

 

幼少の頃、好きではなかった、嫌いだった感情が、

何だったのか。。。

思えば、つまりは、

芸能業界の闇を幼いなりにいち視聴者が、

感じ取ったことだったのか、とも思った。