時間の消耗量と移動の距離量の違いと、様々な出会い触れ合いの増減が、
「旅」と「旅行」は、似て非なるもの、と感じることを述べた。
現代人にとって旅行は、長距離・短距離への目的地を問わず、
ほとんど乗り物を使うから短時間の移動が可能だ。
移動の道程は、速いことと快適なことが不可欠と思う。
目的地は非日常を楽しむ場であり、好奇心を刺激される状況、非日常環境を
体験するべく、向かう。その中で、食べ物、建物や施設、風景、人や生物などの
喜ばしき出会いがあることを期待して出発する。
最近では、サプライズと称する刺激も期待のうちに加わっているかもしれない。
期待通りの出会いや、速くて快適なことが可能なのは、
お金がそれらを限りなく保障してくれるから、旅行というものが成立するとも言える。
換言すれば、カネ支配下の人工世界で安全安心が前提の、
刺激や感動、好奇心向学心で、時間を過ごせば、非日常と解釈し
リフレッシュや癒し、見聞として、旅行というものに満足する(できる)。
地球資源をあらゆる物質・機械・エネルギーに変化、駆使した科学技術社会は、
お金を得るための犠牲・我慢の労働が根底にあるから、
お金が役に立つ社会になったとも言える。
旅行に於いては何の役に立っているのか。つまり人工が保障を前提とする
「快適さ・速さ・便利さ・見聞や人為的な感動や刺激」を得るためである。
喜ばしき出会いを期待して出発し、
現代の旅行は、期待通りか、それ以上の予期せぬ感動が得られるそれは、
どれくらい実現しているのだろうか。
そして人生に好影響の時間となっているだろうか。
旅行した者が幸福な時間・経験を得たにも関わらず
時に、自慢の種に受け取られたり、
優越感や劣等感の温床になっている場合もある。
経済格差を感じさせる。
人生を豊かにする経験ではなく、
現代人の旅行が、金銭に支配されたゴイムの消費行動でしかない側面も
あるのではなかろうか、と。