ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

鳥のこと__その2

 

 

市街地で暮らす鳥もまた野生の鳥である。
が、肩身の狭い思いをしていることだろう。

カラスはゴミをあさり街を汚すから。
ハトは駅やベランダで糞をして汚すから。
都会に暮らす人間のほとんどが嫌っている。


高級マンションのベランダが糞害で汚れたら見栄えが悪い。
高級戸建て住宅に住まう方々が出すゴミが、

道路に散乱するのは、非常にみっともなく恥を掻く。

高級な自動車に糞を落とされたら格好悪い。
高級な洋服に糞が着いたら不潔だし惨めに見える。
高級店が並ぶ完璧に整備された街角に、
飲食店の食べ残し生ゴミが散乱すれば不衛生に思われる。

 

他人の目、見られる視線が行動基準の昨今。
イメージを落とすようなデメリットを排除したい
現代日本人は、神経質で西洋的な完璧主義という、

病に冒され、末期状態だ。

 

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元来、カラスは自然界での生態系ではお掃除役だ、と思う。
大きな生物の屍は哺乳類が食べ、その残骸をカラスがついばみ、
日光風雨に晒されながら、虫や微生物によって土に還っていく。
ハトの役割は穀物類の繁茂に貢献していただろうか。

余談だが、生物は時に予言・警告のような行動をする。
単に生態系を維持する存在とは言い切れない、
集合意識は人間と他生物も繋がっていると、常々思う。

現代科学による数値や分析の観察が、人間の利用する視点で

なされ、表面に過ぎないことを植物動物たちは示して

くれている、と思う。

 

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時にマスゴミで紹介する稀少な鳥や海外の鳥には少々関心があっても、
身近な野生の鳥は忌み嫌うようになった。そして、多くの現代日本人は、
鶏の唐揚げが大好きで毎日のようにモリモリ食べている。

カラスとニワトリは別種の生き物に違いないが、命が同様にある。
ハチドリは稀少で、日本にいないから興味があっても、
ハトはベランダに来たら鬱陶しい。
トキは戦前まで日本に固有種が生息していたのに、
戦後、農薬によってあっという間に絶滅し、
中国から譲り受け丁重に見守られている。
どこでどんなふうに養殖されているか分からない、
鴨肉が最近は急に流行り出し、あるいはジビエ流行りで
珍重な動物の肉を喰らう遊戯は、現代日本人の精神が
更なる劣化に突き進んでいるように思えてならない。


日常で身近に見る居て当たり前の生き物への慈悲心は失われた。


鶏を食べて命を頂くことと、糞害や病原菌流布の対象の鳥は、

関係ない?!加熱調理で問題ないこと、食べるための命は、

身近にいる鳥とは別であるとして、
割り切れる処世術。

その差別?区別?の発想、ワレワレの思考・感情は、

一体どこから来るのだろうか…?

 


マスゴミやネット、文字・画像のバーチャル世界で、
この世の感動や発見を見出す、カネ依存症現代人の、
支離滅裂なる行動や思考が、更なる人工社会、冷酷、
無機質なロボット化世界を今か今かと、
引き寄せんとしている。

 


人間の本来の食性の誤りが、カラスのゴミを漁る行動を促し、
急激な都市化がハトを一時期には爆発的に増やした。
夜、煌煌と街灯を照らす場所には、
身を守るための本能で、ムクドリが大集合する。

 

住処を追われ行き場を失った鳥たちの行動に、
人間は腹を立て、不気味がり、ウィルスの恐怖を刷込まれた。

 

が、しかし稀少な鳥や、食べて美味しい鶏やジビエよりも、
身近な鳥たちは、人間へ重大な警告を健気に
知らせてくれているように、ワタシには思える。

 

 

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毎度、話題を繋げ想像してしまい恐縮だが
下記内容はあくまでも推測の域を出ない、
妄想のようなことで話半分として
読み流して頂きたく。

 

以前、2007年マスゴミが盛大に取上げ注目を
浴びた東国原知事就任早々に、鳥インフルエンザ
宮崎県の養鶏産業は打撃を受け、全国でも被害が続いた。
知事は鶏肉料理、土産品で精力的に、
自治体の広報活動に努め経済効果を図り、
地域農産物への購買欲を促すパフォーマンスがあった。
当時、盛んに取上げたマスゴミ報道は国民の目線を
宮崎県知事の所動に集中させた。
が、その水面下で何が起きていたかを

ちょっとした
ネット検索をきっかけに、考えさせられた…。

 

 

が、それはまた、改めて。。。