ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

人間関係について__(4)

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「子どもの文化人類学」原ひろ子著  71〜72頁

 それから、もうひとつ。かつてはヘアー・インディアンの人びとは、乳幼児の死亡率が高かったし、十代の育ちざかりの子どももよく死んでいました。子どもに自分を賭けたりしていたら、次つぎと子どもが死ぬために気が狂うかもしれません。「育児が楽しみ」という考え方は、育てた子に早死にされる悲しみを少しはやわらげる働きをもっているかもしれません。
 そのうえ、自分の産んだ子が全部、死んでしまったとしても、いつでも養子をもらえる保障があるということは、なんという救いでしょうか。
 このように書いてくると、「ヘアー・インディアンは子どもをおもちゃにしているのではないか」とお感じになる方もあるかもしれません。子どもをおとなのおもちゃとして、もてあそびすぎないための歯止めとなっているのが、さきほどもちょっとふれた、子どもをおとなと対等の、独立の人格としてあつかう精神です。ですから、子どもに対して、ひじょうに謙虚であるのです。そして対等なのですから、子どもに対して、へつらうこともありません。
 ヘアーの人びとのこのような育児態度を表面的に観察した白人旅行者や商人たちは、「ヘアー・インディアンは、子どもを甘やかす。白人の文明で行われるしつけをしない下等な者どもだ」というふうに記録しているのですが、読者の皆さまはどうお感じになりますでしょうか。



79頁

 1961〜1962年に私がヘアー・インディアンを訪れていたころには、まだ家族計画についての思想や技術は白人の看護婦さんから導入されていませんでした。これは、ヘアー・インディアンのところにはカトリック教会の宣教が行われていたことも関係していたのでしょう。
 子どもを生んだか生まなかったかということを超越して、気軽に養子をやりとりするヘアー族の社会では、家族計画の思想や技術が導入されたとしても、「親となるか、ならないか」といったような決断は、人生に関係ない事項であるといえましょう。

人間関係について__(3)

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「子どもの文化人類学」原ひろ子著  66〜72頁


 ヘアー・インディアンは、「はたらく」ことと「あそぶ」ことと「やすむ」ことを、それぞれ区別しています。「はたらく」というのは、ムースやカリブやウサギを狩猟したり、魚をとったり、たきぎを伐り出したり、毛皮をなめしたりすることです。「あそぶ」というのは、同じキャンプ地にテントを張っている人たちが、ひとつのテントに集まっておしゃべりをしたり、「ウッジ」というヘアー式賭けごとをしたり、ポーカーをしたりすることです。そして「はたらいている」合間や「あそんでいる」合間に、彼らは「やすむ」のです。
 狩猟に出かける道すがら、前を歩いている人が、急に立ち止まることがあります。この地方の道は藪の中の一本道なので、何人かの人がいつも一列縦隊になって歩いているのですが、前の人が止まれば、こちらは前に進めません。でも「おい、どうした」とか、「止まらないでよ」などと後ろの人がいうことはありません。五秒間であれ、前の人が再び進みはじめるまで、じっと待っていてあげます。
 なぜなら、こうして一瞬立ち止まっている人は、「やすんでいる」からなのです。「やすんでいる」人は、彼自身の守護霊と交信しているのです。そして、守護霊の声、つまり彼自身の「内なる声」のようなものに耳をすましているのです。これは神聖な瞬間なのですから、その人の心の静寂に他の人がわりこんだりすることはできないのです。
 長時間眠って夢を見ているときも「やすんでいる」ときです。また目をあけて白昼夢を見ているときも「やすんでいる」ときです。それから、五秒とか三十秒くらいのほんの短い間、我を忘れてボーッとしているような人も、「やすんでいる」のです。しかも、いっしょに「はたらい」たり、「あそん」だりしている人たちが、「やすみ」の時間をいっせいにとることはありません。一人ひとりが、マイペースで「やすみ」をとるのです。
 ポーカーのつきが上向きになっている人が、急にテントのすみに行って、だまってゴロリと横になることがあります。それでも負けている相手は文句をいいません。そして、まわりで勝負を眺めながら冗談をいっていた数人の見物衆の中の一人が、勝負に入って行きます。テントのすみで「やすんで」いた人は、自分の守護霊との交信が終わると、見物衆の中に入ってヤジをとばしはじめるのです。そしてヘアー・インディアンの生活では「はたらく」こと、「あそぶ」こと、「やすむ」ことのうち、「やすむ」ことが、もっとも大切なこととされているのです。
 さて、「育児」という活動を、ヘアーの人びとは「はたらく」「あそぶ」「やすむ」の、どのカテゴリーに入れていると思われるでしょうか。なんと「あそぶ」ことの中に入っているのです。彼らは、「はたらく」ことと「あそぶ」ことを、生きていくうえで同等に重要不可欠な活動であると考えていますから、ヘアー語には、そしてヘアー・インディアンの心には、「あそび半分で何かをする」といったことは成り立ちません。ともあれヘアー族にとっても、「あそぶ」方が「はたらく」よりも楽しいことなのです。
 日本人は「子どもを育てるのは苦労だけれど楽しさもある」といってみたり、「あんなに苦労して育てたわが子なのに私から離れていって情けない」といってみたりします。そして「育児は大切な仕事だ」と考えているようです。近年では「育児は大変な負担だ」と感じている日本人も増えてきているとさえいわれています。日本人の中には、育児を「あそび」と考えるヘアー・インディアンのことを「ひとでなし」と考える人があるかもしれません。しかし、ヘアー・インディアンは、老若男女とわず、ほんとうに楽しんで子どもを育てています。
 これまでに書いてきましたように、ヘアー・インディアンは、子どもを気軽に養子に出したり、養子をもらったりします。そして自分の子どもたちの手がかからなくなると、人の赤ん坊をもらって育てるのが楽しみとなる人が多いのです。そして、自分が産んだ子であれ、もらった子であれ、大きな差別をしません。しつけをする責任を養育者がもっていないということが、育児を「楽しみ」とのみ受け取りうる背景となっているのかもしれないと私は思います。「ひとがひとに忠告したり、命令したりすることはできない」と考えているヘアー・インディアンは、赤ん坊に対してさえも、「一個の独立した人格」として接しています。しかもその子どもの運命や将来は、その子自身できりひらくものであって、育て方によってその子の将来が決まるのだといった考え方をしないのですから、気楽なものです。
 しかし、ヘアー・インディアンは、実に、一人ひとりの子どもをよく観察し、それぞれの子どものことをよく知っています。女だけが育児を担当しているのではありませんから、男たちも、そして、五、六歳の子どもたちも、赤ん坊や、自分より小さい者についてよく知っているのです。ですからあそばせ方もじょうずですし、危険を未然に防ぐことも心得ています。そのうえ、「あそんでやる」とか「子どもを危険から守ってやる」というふうにはあまり考えないのです。それよりも、「自分が子どもに楽しませてもらっている」という気持ちが強いようです。
 一人ひとりの子どもをよく観察し、それぞれの子どもを知ることによって、その子のすることや、成長するありさまを眺める楽しさが深まっているのかもしれません。大きい者たちは、小さい者たちのすることを眺めては、いろいろな冗談を生み出すタネにしています。十五歳ぐらいで一人前になるのですが、それまでは何かと、おとなから見てオカシクテタマラナイことを、子どもはしでかすからです。
 表現をかえるならば、ヘアー・インディアンは子どもたちの生態を観察することによって、人間について学んでいるのだともいえそうです。日本人の親の中には、「自分の子は、こうあってほしい」という願いが強いあまりに、かえって自分の子どものありのままの姿が見えなくなっている人があるといわれています。そういう意味では、子どもたちをあるがままに見ることの達人、ヘアー・インディアンに学ぶべきかもしれません。

人間関係について__(2)

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「子どもの文化人類学」原ひろ子著  63〜65頁


 キャンプ地で、子どもたちが気が合って生きいきとした毎日を送っているし、その付近には動物も豊富で毛皮もたくさんとれ、魚もおいしく、あと十日ぐらいの食糧は絶対に枯渇しないことがだれの目にも明らかなときに、突然、一方の子どもの親が、「今日の午後、キャンプを移動しよう」と朝のうちに決め、昼間のうちにテントをたたんで、次のキャンプ地に行くことがあります。それは、おとなのキャンプ仲間の人間関係が、何か気まずくなったようなときです。そんなときに、「子どもたちがせっかく楽しそうにしているのだから、おとなどうしの気まずさは、この際しばらくがまんしよう」などとは考えてくれません。
 彼らは子どものときから、けんかをするとおそろしいものにおそわれるといってしつけられます。しかも、いかにして人に「ノー」を表現すればよいかを教えられないのです。また、「私はこれこれのところで妥協しているのですから、あなたも、まあまあのところで折り合ってくださいよ」ということを、言葉とか態度で示す生活の知恵がヘアー文化にはないのです。そのせいかどうか、人間関係についてのがまんが、すぐに限界にきてしまいます。飢えや寒さや不眠について、とほうもなくがまん強いヘアー・インディアンですが、人との関係でちょっといやなことがあると、もうその相手の顔を見るのもいやになり、テントを移動して、相手から離れる以外に解決法がないのです。しかも、キャンプ地を離れるときに捨てセリフをはいて出るなどということをしないばかりか、「あちらのキャンプ地でつれあいの母親が来てくれといっているから」などと、さしさわりのない理由を見つけて、今のキャンプ仲間に別れを告げるのです。こういうふうにして人間関係の摩擦を解消することが、ヘアー・インディアンの個人個人の精神衛生のうえにとても大切なことのようです。「イヤな奴」の顔を見て心の中でウジウジとした気持ちをこめていると、魚をとったり狩りをしたりする上の判断力なども狂ってしまうらしいのです。そうして、そのような心の状態でいると、悪霊にとりつかれやすくなるのだそうです。ですから、子どもの遊び仲間についての配慮などしている暇はありません。

 一方、子どもの方は、突如として、大好きな友だちに消えられてしまい、三、四歳児などはしばらく虚脱状態におちいることがあります。肌のつやが消え、目の力がなくなって、動作が緩慢になり、ピチピチとはねまわる姿が見られなくなってきます。食欲もすっかりおとろえてきます。
 四、五日もこんな状態が続くとおとなたちは、「急に友達が行ってしまったからなあ」といって、小犬とあそばせるようにしむけたりします。いつもはおとなだけで乗るさかなとりの小舟に乗せてみたり、近くの藪の中にたきつけ用の小枝をとりに行くのにつれ出して、気分を転換させるようにします。
 ヘアー・インディアンのおとなたちは、「子どもがこんな状態になったとき、テントのまわりだけであそばせておいてもだめなんだ。散歩させなければ」といいます。
 四、五歳の子どもたちならふだんは自分のねむいときにねむり、何か食べたくなったときに鍋の中から自分で肉や魚をとり出して食べ、テントのまわりで自由にあそぶ生活なのですが、こんな状態になった場合には、おとなが、こまかい配慮をして、キャンプ地のまわりの湖や河や林へと子どもを連れ出すのです。
 生気のなくなった子どもも、二日、三日と散歩しているうちに、元気をとりもどし、食欲が出てきます。湖や河の水を舟の上から手にすくい、魚網にかかった魚を見つめ、林の中のウサギの足あとや鳥の声におどろき、子どもの心は、発見の喜びに満たされていくようにさえ思えます。
 仲よしが急にいなくなる寂しさを、自然とつき合うことによっていやしながら、ついでに、狩猟採集民にとって不可欠の自然についての知識を学習するというわけです。もちろん、孤独にも強くなっていきます。子どものときからあそび仲間といかにして長期の群れを組むかという知恵を、身につける機会がほとんどないヘアー・インディアンは、おとなになってからも、集団で何かするということが極端に下手です。狩りのチームも長くて十日ぐらいしか持続しません。獲物がとれたらチームは解散です。

人間関係について__(1)


人間関係についての正解や結論を当方に書けるはずもなく。w

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グローバリズムが台頭し、席巻してしまったこの21世紀とは異なり、
急速にナショナリズムが排他されていく時代の、
20世紀中頃まで。

現代物質文明に、当時まだ侵されてはいなかった、
自然界で先祖代々生きて来た、わずかに残っていた狩猟採集民。
その暮らしを1960年代に取材し執筆された書籍には、
現代物質社会の人間関係について、別の角度で考えさせられることが
記されているように思った。

人類の生き方、暮らし方が自然界と関わるのに多岐多様であることは、
地球の自然摂理にとって、大切なこと、と私は感じている。


近代以降のマスメディアが画像映像言論で、
地球の様相を伝えるのは、物質文明の正当化や弁解のようだ。


未開、未発達、原始的だとかのイメージ付けで、
物質礼賛社会の人間が、偽の自己肯定感のために、
本来の地球の摂理に暮らして来た人々を蔑む対象にしてきたと言える。

自然界の中にいる人類の姿は、21世紀になって、とことんかき消されている。
いやさらに、哀しき経済効率に組み込まれてしまってもいるだろう。

各地域の世界遺産という、奴らのための史実改竄や抹消のための認定基準。
その旗印のもと、民族的な地域、人々、文化は、リニューアルよろしく、
観光資源に利用され、形骸化。土産用、見世物と化している。

人工社会が極まっている今。
自然界で生きてきた人類の生き様は、人工社会で過ごす人間に、
本質的な気付きをもたらすかもしれない人々。


偽ユダ悪意を見抜けず、観光資源に群がる大衆の旅行は、
皮肉な言い方だが、物質礼賛社会の自慰行為ではないのだろうか。

ついボヤキになってしまう。
前置きはこれくらいにして。
人間関係について、別の角度で考えるのに、
少しは役立つかもしれない気がしたので、
下記に書籍の一部を抜粋転載した。

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「子どもの文化人類学」原ひろ子著  59〜65頁

 ヘアー・インディアンは、おとなの男と女の対と、その子どもたち二、三人で一つのテントにキャンプしています。そのテントのまわりのけものや魚やたきぎをだいたいとりつくしてしまうと、ちがうキャンプ地へと移動して、新しくキャンプをはります。
 
 一つのキャンプ地には二つのテントがあることもあり、四つから六つのテントがあることもあります。しかし、いくつかのテントがグループをつくってずっと一緒に移動しているわけではありません。たとえば八月十日現在に、甲の地点でA、B、Cの三つのテントがあるとすると、八月十五日にはBがよそへ出て行き、翌々日にはDのテントが入ってくる。八月二十日にはAのテントは乙の地点へ移動し、丙の地点からやって来たEのテントと並んでキャンプするといったぐあいです。ヘアー・インディアンの部族全体の人口が三百五十人。たったこれだけの人間が本州の半分くらいの面積の土地を、あちらこちらへと移動し暮らしているわけです。このような生活をしているので、子どもたちの立場からすると、隣のテントにいるあそび友だちがしょっちゅう変わってくる、ということになります。
 ヘアー族全体の中にゼロ歳以上十歳未満の子どもが、1962年で、男五十人、女五十四人いました。この約百人の子どもたちが、三十か所とか、ときにはそれ以上の数にのぼるキャンプ地に分散しているのです。さきほども書きましたように、ヘアー・インディアンは、一つのテントに子どもを二、三人まで置きますが、それ以上に生まれるとよその人に養子や里子のような形であずけます。また、子どもが成長してしまった人や、子どもの生まれない人たちは、養子として子どもを迎え入れたがります。ですから、ヘアー全体でテントの数が六十ぐらいあるとすると、その中の四十テントには子どもがいることになります。
 ところで、約百人の子どもたちの年齢はゼロ歳から十歳までという幅の広さです。一つのキャンプ地に四、五人の子どもがいるような場合でも、その年齢はさまざま。四、五人で群れをなしてあそぶ姿はめったに見られません。年齢の違う子どもたちが、ときおり、いっしょに何かしていることもありますが、十五分もすると、大きい方はつまらなくなって、一人あそびをはじめてしまいます。すると小さい方も、何やら一人であそびはじめます。ですから、キャンプ地に、子どもが数人いても、それぞれが一人あそびをしている時間がかなり長くなります。
 ヘアー・インディアンの子どもたちとて、やはり年齢が近く、体力や精神的な発達度が似かよった子どもが同じキャンプにいて、しかもそれが何か気が合う相手だったりすると、子どもたちは、食欲も増し、きげんもよくなり、瞳はいきいきと輝き、肌もつやつやとしてきます。
その姿をまわりで見ているおとなたちも、「ちょうど良いんだなあ」と、1日のうちに何回も話題にしています。「子どもにとって気の合うあそび友だちといっしょにあそべるというのはすばらしいことなんだ」ということを、おとなたちは、よく知っているのです。

 でも、だからといって、子どものあそび仲間がいるキャンプ地へ、移動するようにしようなどと考えてやることはありません。キャンプの移動に際しては、男のおとなにとって気が合う狩猟仲間がいるかどうかということが大事なことなのです。それから、女のおとなにとっては、男が狩りに出て女たちだけでキャンプを守るときに、気が合う女のキャンプ仲間がいるかどうかということが大事なことなのです。この二つの条件が一度に満たされれば彼らはこの上ないしあわせと感じるくらいで、たいていは、どちらか一方が思う通りにいかずにがまんしているのです。それに加えて、子どもどうしが気が合う遊び仲間かどうか、などという条件を加えている余裕はないというのがヘアー・インディアンのいい分かもしれません。



***

泡のようなコミュニケーション

スマホという便利な携帯電話を
肩身離さず暮らすようになって、たったの数年。

なぜ、そこまでコミュニケーションとやらが、必要になったのであろうか。

人間は、孤独という状況を恐れる、貧しさという惨めさを受け入れられない、
そんな、拒絶心理は、どこからくるのか。



そうした問いを己の心に問うとき、逃避や依存という自律できない
心の癖を自らが、気付くに至るのではないか。



ひとりの人間がこの地球の摂理で生きるのと、
ひとりの人間がこの人工社会のルールで過ごすのとは、
まったく、異質な生き方になる。


前者の地球の摂理で生きたいと、
切望する性質の人間であることを
なぜか常々想う。

今夜の打ち上げ花火で思ったこと。

今日の夜、7時半頃から8時頃にかけて、
近くの緑地公園で花火が上がった。

音がド〜ンド〜ンと鳴っているのに、台所で気付いた。

数週間前の回覧板で、
サブライズ花火を打ち上げます、という住居地区の広報誌記事を覚えていたから、
今日がその日かと、思わずすぐ近くにある歩道橋へ向かった。
幸い、何とかうちの近くの歩道橋からは、ビルやマンションの高さを凌ぎ、
鑑賞させてもらえる状況であった。

夏の花火には、たくさんの思い出がある。
また、花火というものを色々考えさせられることもある。

(火薬という資材が戦争に使われた時代から、
市井の饗宴へと移り変わった、中世戦国時代から江戸社会の政治施策は、
非常に大切な政治力とワタシは思う。
法的措置ではない鎖国だが、情勢に合わせ国防政策を采配した当時の政治力の智慧深さを思う___)

************

今般のコロナ禍で、公的なイベントがことごとく中止されている中で、
歩道橋から鑑賞した今日の打ち上げ花火の光景は、心にひとしお響いた。

様々に、思いを重ねながら短い時、その打ち上げ花火の饗宴を
哀しさや味わいを込め観覧させてもらった。


その後である。
毎年、うちの近くの電線に物凄い数の椋鳥が今年は、1匹も来ていない事に気付く。

何という鈍さであろうか。
鳥は花火の音でおののいて、逃げてしまうことを家人と話していた矢先であった。

もう、今の住まいになって11年が経過する。
毎年、椋鳥は6月から10月ごろまで、電線でたむろして、
朝夕の大集会が馴染みであったのに。
今年、2Km程離れた花火を見た後で気付いた。

自然の生物の行動、いつもの鳥が、虫がいるかいないか、
小さな植物が生えているか否か。
繊細な自然の変化は、刻々と異常性を増して来ている。

朝夕に駅前の電線でたむろしていた椋鳥は、
ぎりぎりの自然現象であったのだ。
それが、今年から一気に居なくなったことは、
とてつもなく異常な現象と感じた。

そう言えば・・・日中も、椋鳥をまったく見ないのである。
更に、カラスも減っていることを感じる。



物凄い勢いで、人間以外の生物の生存環境が壊されているのを感じる。


電磁波であろう、とワタシは断定したくなった。


みなさまが一気にスマホを解約すれば、
コロナ騒動さえも、奴らがてんてこまいになることをワタシは想像するのだ。
S N Sで、あらゆる問題を投稿する便利さよりも、
S N Sで、あらゆる利益を生むための活動をするよりも、

人として生きていく場を自身が責任を持って生み出せる世界は
ふつうの行動で作れると思うのだ。
今までの世界はそれで循環していたのであるから。

特別な便利さが、人間をこの世界を生物の生態を
破壊し続けているのではないのか。



文明の利器を
捨てる覚悟・決意も、
時に、人間に必要な気がする。

長い歴史の中で、こんなに簡単に捨てることができる、
文明の利器は、稀少である、と思う。(w)

所詮、そんな進言は無理だろうが、百害あって一利なしという道具に
しがみつく、執着心という内省が、
今、世界中の人間に必要ではないのか?????


***

ダボス会議_____ダメボス懐疑

ダボス会議という世界のエゴなトップ・ビップが集い、
スイスダボスで毎年開催される会議。

www.google.com

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今年は予定を変更し、5月の予定が8月に。
8月シンガポールで開催される予定だったが。

ウィルス騒動で、中止だとか。
8/17~20

新型コロナ: 8月のダボス会議、中止を発表 シンガポールで予定: 日本経済新聞

https://www.sankei.com/politics/news/210518/plt2105180003-n1.html


日本政府は日本貿易振興機構(JETR0)

https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/12/9394cbf09e15b6db.html


https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/02/be3c368aee287f7d.html


https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/09/f6f73c9d47e068ca.html



ウィルスにやられる程度の会議なのでしょうか・・・。w
また、日本貿易振興機構(JETR0)さんが、記事を丁寧に掲載しているのも
何だろうな?(偽ユダ支配のイジメ状態で常任理事国になれませんので、
秘密会議に資金提供して、立場を維持しているのかなぁ・・・泣)

*****

で、オリンピックを開催した日本政府の良き?!意図?!

意味深ではなかろうか???


ついでに、YouTubeで貴重な事実動画をリンクさせて頂き。


今般のやらせウィルス騒動。

偽ユダらの20年以上前からの
茶番計画であることの証明にもなろうか。

独立行政法人を施行させた頃その重大性。
日本政府各機関に工作員を送り込む体制が整ったのは2003〜4年頃か)



(2012年ロンドンオリンピック



www.youtube.com


西洋白人偽ユダ社会___キモぃ。


【10/11 追記】
時々、過去記事をチェックすると、ユ-チュ-ブリンク先が
削除されている。

ビットシュートにて。

https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefmiyagi/SpTop.html


https://www.bitchute.com/video/O3yBYj6b7xCb/



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ウィルス騒動を逆手に___(7)

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golden-tamatama.com


先ほど上記記事でびっくりしたので、早速。(ホント洒落にならんです)
日頃、読ませていただいている「黄金の金玉を知らないか」さまの
リンクを掲載します。(許可なしですが)


みなさん、、、。
この事例が、新型コロナウィルスの存在がないことを暗に証明していると
思いませんか?


タンザニアのマグフリ元大統領は化学者とのこと。(2021年3月21日死亡)
P C R 検査に疑問を持って色々なサンプルを送った結果報告の会見です。

www.youtube.com

誠実な政治家が暗殺されている。異常事態、緊急事態を
私たち大衆は感じとらなくては、と思うのです。
日本マスコミ報道で、この一大事を伝えたでしょうか?

日本マスコミがプロパガンダのための、
偽報道_隠蔽・目逸らし報道であることに気付くべき時、と思います。
日本マスコミ末端の労働者が不勉強であるのか、保身?!
しれっとニュースを読むアナウンサー。
偽情報しか伝えていない、真相は伝えないということを
本人らは、自覚があるのかないのか。同じ人間として、訳がわからんです。
お金だけ地位だけ名誉だけに群らがる軽薄マスコミ人間。
ワクチンを合法的に打たなくてよい立場に居座るつもり?!

新型コロナウィルスに感染したとテレ朝アナウンサーが話題になったけれど。
単なる風邪であっただろうショーウィンドウ状態のやらせ出来事は、
昨今の偽ウィルス情報過多で、もう、大衆は忘れたのでしょうか?
その人物はふつうに、復帰している模様。(TVはうちに無いから知らんけど)w





ビ_ルゲイツ&メリン_ダ財団(2000年創設)が、2001年あたりから、
世界中に徐々にばら撒いてきたであろう資金。
(ワレワレ大衆の使うPCやスマホそれに類する技術等すべての特許は、
ビル_ゲイツがマイクロソフトを売却した体でも今尚、超莫大な資金源となっているであろう。
PC・スマホを使うこと=即ち偽ユダ発プロパガンダ資金)

その恩恵を被ってきた工作員ら。
そして末端のお金と引き換えに魂を売ってしまう金金名誉権力亡者の、医療従事者ら。


そしてこのウィルス騒動で、莫大投資をして、人口削減(主に日本)や
経済破壊と日本国民の資産収奪という秘密裏の目的。

多国籍・無国籍企業の枠内で、選択の自由を表面で装っての、
国際金融家らの画一化利益追求と大衆の思考破壊&ロボ化。
つまり、表面では民主を謳うも完全なる独裁経済社会の一助であることを
気付くべきではないでしょうか?


ウィルスの極微小体を思えば、マスクというチゃちな道具では防げないのに、
ウィルス騒動のご時勢というイメージ付のために、マスクしろ攻撃を
マスコミ・行政を始め、あらゆる公共の場で、無責任な録音アナウンスで、
無責任な張り紙、チラシの通達で盛り上げているのです。




ホントしょーもないことに、皆騙され続けていることに呆れると共に笑えてきます。

マスコミ情報を取り入れている人たちは、無責任思考に陥り、自分だけは
悪いことをしていない、という利己を他人へ迷惑かけないという言葉で、
自己欺瞞を見ないように、飼い慣らされてしまうという心理構造。

大概に、気付きませんか?

マスコミの嘘や、政治行政教育医療に蔓延る、
偽ユダ御用学者や医者、工作員らの行動を見抜かないと、嗅ぎ分けないと、
自分の子供の未来が暗黒社会へと召喚されてしまうのですよ。

皆でマスクを外す、ひとりひとり静かに、さりげなく、
まずはマスクを外すことでこの異常社会を抜け出ていくことだと思います。

ちなみに、ウィルス騒動後に出生した赤ちゃんの知能が極端に下がっているという
警鐘を鳴らしている学者さんがいるという記事も読みました。



コロナウィルスの風邪に罹っても免疫力があれば、ふつうに治ります!!!
偽コロナウィルスを抑えるためのワクチン打ったら、
ロシアンルーレット状態でコロされます。


どちらの選択が人間の判断として、まともですか?
マスクを外すことも選択の自由です。
今のところ、ワクチンを打つのも選択の自由です。

新型コロナウィルスのワクチンを打つことで、大丈夫だと
喜んでいる人は、ワクチンのロシアンルーレット状態で
死亡した人や重症を負った人の犠牲。事実・実態を
嘲笑していると感じてしまいます。
ワクチンを打って喜んでいる人は、私から言わせれば
無意識の無関心の無責任。

ワクチンを打つことは、上っ面ではマスコミの喧伝によって汚染脳された世間では、
周囲に迷惑をかけていないと、自分の正当性を立証できるのでしょうが、、。
あの世的に見えない命の世界を考えると、
命を頂いている生物として、
罪ではありませんか???
免疫力、人間の肉体の能力を舐めている、バカにしていると思います。
ワクチンはエゴ・利己で打っていることに気付いた方がいいのではないでしょうか。
心理的な保身でしょう。

プロパガンダが完全充満してしまった偽の情報社会が悲しいですね。
偽ユダの罠に、世界中の庶民が騙され続けているだけ、と思います。
偽ユダ、国際金融家が大株主の製薬会社やその関連医療事業がぼろ儲けしていることは
明白です。各国からの税金・保健料を収奪している訳です。


アシュケナジム・ハザ-ル人ユダヤ教徒と元ユダ地球人現金星〜地球君臨支配希望族の
悪徳コラボの罠を些細な勇気ある行動で回避し始めませんか?

ステルス独裁支配の序章を回避するのは、
ひとりひとり、本質的な観察力・洞察力と
自己責任を自覚するちょっとした勇気ではないでしょうか。

***

【8/18 タイトル変更・一部加筆】

外車やら高級車はもう地球にいらない

自動運転社会の寸前の愚痴であるか?!
(スマートなんとかはどうでもいい。
 が、自動車が不要になるフリーエネルギー・フリー物質世界へを想う件)

******

自動車というものがこの地球を破壊してきた。
道路の整備が異常の極み。
都市部の地球温暖化を装った「税金アブク銭祭り」に、
大いに加勢している動向は
市民として眉を潜めたくなる。

ここまでコンクリートアスファルトで土地、大地を埋め尽くし続ければ、
そりゃ大気の状態も混乱し予想を超える様相になろう。

都市計画をしている仕事の方々、相当に頭悪いと思ってしまう。
(日本劣化破壊を目指す日米合同委員会のような組織が
 行政に指図しているだろうからどうにもならんだろうが)

昨今、自然が豊かな地域は、都市熱とは相反し、
むしろ寒冷化を感じさせる様相があろう。

******

そうは言っても、私も自動車というものを使うからその功罪は悩ましい。
どうしたら、乗らなくて済むのかは悩みの種だ。


それにしても、高級車やら外車を溺愛する富裕ゴッコ日本人が、
少々の車体の傷を神経質に思い煩うのは、病的という言葉が当てはまるだろう。
そんなに車体に傷が付くのが嫌ならば、蔵にでも入れておけば良い。
毛布にでも包んでおけ!!
人生でのコンプレックス、劣等感の解消で
高級車、外車がアイデンティティ
というお粗末な心理状態。

物質に於いて最大限の負の連鎖・・・と私は強烈に批判する。
高級車、外車乗っている人間がカッコ悪い、
ダサい輩という烙印を押してしまう。



走って、ホコリや砂利がぶつかる状況を
自動車が作っているのに、車体に傷つくことに
怒りを覚えるなど、病的心理としか言いようがない。


物である。
消耗品である。
もともと物質というものは
劣化していくものだ。
にも関わらず、
傷を付けたくないという執着心、感情の混乱。

自己矛盾。内省できないタイプに多いのだろう、(外車高級車狂)

そこまで執着するのなら、
自動車と一緒に無重力の空気のない空間へ引っ越した方が
いいと思うんだな。w
ホコリや傷は車にはきっと付かないヨ。



TV新聞雑誌などの広告のビジョンに脳みそが侵され、
自己愛の病である。


何が、選択の自由だ。
奴ら配信のマスコミによって、
汚染脳された人間が選択するのは所詮、
西洋礼賛、欧州貴族や
国際金融家へ汚金を贈呈している汚選択だけなんだょ。

他にも消費社会には汚金を贈呈している汚選択は山ほどある。




日本人として、日本人が外車を嬉々として乗り回す人物に言いたい。

ほとんどの車体のための物資は輸入である。
しかも、欧州貴族や国際金融家が所有する
鉱山(自然環境全体)をボロボロにしながら資源とし、
有色人種の国家が低迷するよう仕組まれている
経済構造を推して知るべし。(つまり国力喪失だ。)
かつ自然破壊に、より一層、加担する消費なのだ。


個々のお金の使い方は、巨大な経済に多大な影響を与えている。

自動車の傷を気にするより、
地球の資源の限界を意識して、地球に迷惑にならない物質消費をしたいと
思うこの頃だ。


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優越感を味わいたい劣等感まみれの人間が、

無駄に地球資源を使う。

他者に神経を使わせる。

勘弁して欲しい。

外車・高級車・は地球には、もういらない。



お金、お金をかけた物が、人生で最大の愛玩物でも
あの世には持っていけない。
執着心は魂の波動を落とす。

命、生物との心の交流は、本物の冥土の土産。



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白人社会は、有色人種を根本的に蔑視、軽蔑する教育なのだ。
欧州欧*に於いて、人種差別を他人事のように捉えるきらいがある日本人。
が、明治維新〜戦後と経済活動で欧州勢に富を進呈してきたから、
それを感じないよう、させないよう。
見て見ぬふりをしてきた。そして、されるはずはないと勘違いしている。


中世の日本人が、ひと樽の硝石と引き換えに五十人が
奴隷として世界中に売られていった史実が封印されている。
アフリカや北米南米オセアニア東南アジアの植民地時代を
他人事で気の毒がる前に、
日本の史実を知るべきである。


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西洋礼賛社会からすれば差別的だろうが。
外車が愛車というのは売国奴ということか。
あるいは在日外国人の内面劣等、外見優越を貪るお楽しみということか。

Japan 一 US J⚪︎int Committee ”日*合同委員会”_____1





当方の知識では敷居が高いこと承知。詳細は記せない。
単なるボヤキの記事なのでご容赦ください。

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相変わらず、ワタシはU.S.Aを〝米〟と表記することが許せん。(苦笑)
おそらく、そのように表記・呼称するのは、
慣例のみならず、U.S.A、欧州勢の意図が
明治期から反映されているであろうに。
亜という文字は、偽とか類似、副次という意味があるから、
亜でいいのに、と。
だが、アジアを表すのに亜を使っているから、と言っても、
東洋で通じる言葉があるのに。
ホント、マスコミや教科書の印刷媒体は
言語の根本から汚染脳を仕込んでくるから嫌らしい。
アルファベット乱立時代に、未だ〝米〟という文字でU.S.Aを指すとは・・・。
トホホ。

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さて、2018年あたりから開示され、巷でも話題になりつつある、
この密会合の日*合同委員会。
(日本国家を株式化という、
 欧州貴族国際金融家の悪意反映が日本の随所に達成されての、
 開示許可かぃ?!泣)


このアンタッチャブル感漂う日*合同委員会

(超機密会合・・・トコトン欧州貴族・国際金融家らと
元地球人
の利害関係が成立している、
保守存続利益のためにある悪徳施行に向けて)について、
ここ数年で、何冊か出版もされ、省庁のHPでも組織図などが明記されている。


日本人ワレワレ大衆には汚染脳白痴化で馴染みが薄い
協定だが、1960年から日米地位協定。それを
どう運用するかの会議というのが建前の、60年以上も存続する会合だ。
日本人大衆の生活全てに関連すること、法整備をこの会合で、
決定されているにも関わらず、
日本全体が知らない合同委員会というカラクリ。

U.S.A軍のど偉いさんが要請してくるルール(国際金融家や欧州貴族らの要望)に、
ひたすらイエスマンで対応して来た、日本のごく少数の高級官僚。
(日系・在日・日白・・・が主導か?!)


“日本にNOと言わせない”
すなわち“日本を“無自覚・無防備・無意識”に劣化させ
日本国家破壊・日本民族解体”が目的。
(3M_化学メーカーぢゃないょ、w)___人工種偽ユダ勢アシュケによる
原種人の倭人系潰し!?




(中世から近代までの欧州貴族らの暴力略奪強姦の奴隷制社会に対し、
日本がその解体に挑んだ体の、、、第二次世界大戦の中の、
大東亜戦争を“太平洋戦争、真珠湾攻撃という・・・
アメリカ/U.S.Aが被害者側文言(欧州勢の被害者立場を装う長期計画的)”で、
ロイター&A P独占市場通信マスコミが喧伝し、
日本人の仮想なる選民意識&天皇制(仮想か事実か勘違いかは知らんが。)を
戒める”風に、欧州欧*マスコミ(民主主義やら選択の自由の、建前の偽思想)の
プロパガンダを駆使し、欧州貴族国際金融家の怨念の仇討ちも大いにあろうか。
“戒める”風は、欧州貴族こそが、完全ナル選民という超絶勘違い思想が元凶。
と、言っても欧州勢のシナリオ、排除したい民族の労力搾り取りと自滅という、
簡便かつエコノミーな植民支配システムは、日*合同委員会という方策。
その便利な独裁に行き着くがための、
大東亜&太平洋の巨大戦争シナリオでしたかね・・・。w)

(大 東 亜 戦争という趣旨・・・大 東 亜 解放戦争とも言えるのではないか。
繰り返すが、太平洋戦争という戦争責任に戦後マスコミ、
(主に旗振り役は朝日・ガス抜き役は読売)ですり替えし、
奴隷独裁社会の悪行を近代まで続けても他人事のように、涼しい面で
欧州貴族・国際金融家らの芸当を極めた委員会ダ___
地球帰還希望の金星在住・月中継の元地球人が
援護射撃してくれるから、イインカイ______w・オヤジかぁ〜)

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何度か、当方ブログでもこの日*合同委員会についてわずかに触れたが。

Wikipediaより
日米合同委員会 - Wikipedia
協議は月2回秘密の会合として
(ニュー山王ホテルで1回、外務省が設定した場所で1回。
 ニュー山王〜U.S.A軍用宿泊施設は周知されている)行われる。


U.S.A側代表は在日*軍司令部副司令官、USA日本大使館公使らと、
日本政府のごく少数の官僚との会議。
と言っても実質的には命令されている状況ということが想像できる。
が、国民のワレワレは全く知らない。
TVのニュースや国会中継で日本の政治家が法律を決め、
官僚が行政を行っていると思っている。
だがしかし、実質的には、日*合同委員会で、
ほとんどの日本の政治・行政、法整備が決定されている・・・。

日本が植民地のようだと感じている人もいると思う。
それは、感覚ではなく、事実である。(苦笑)


U.S.A軍司令だから、軍事的なことだけと思っていたら大間違いであるだろう。
軍事のほか、金融・経済、教育、マスコミ電話郵便等の通信運輸全体、
宗教、医療、福祉、文化、法整備全般、
事件、事故、意図的な災害____何もかも、、、、
(マスコミで放映されるものは意図情報と巷の情報収集と大衆心理操作)
その委員会が決定しているのは自明。

奴さんらのご都合、多国籍企業の邪魔になる日本の大企業は、赤子の手をひねるくらい
簡易に、痛手を負わせることもできる(マスコミで風評等を使って被害を捏造)と
末端の消費者の一個人が痛感するほどの・・・。

日本の政治家・官僚・企業・資本家が売国奴にならないと、
暗殺や風評被害でボロボロにされていくのが目に浮かぶ。
売国奴になった者、組織は、息子や孫、命令に従う組織が、
ある程度の社会的地位を存続できるご褒美、株価上昇などあるのだろう。

ご褒美をもらっている家系・組織はまた、売国奴政治家の負の連鎖。



日本の闇を深くしている最大の問題のひとつ、と言えるだろう。




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2018年に当方ブログに記した
スイスが第二次世界大戦の頃に、
国民の全家庭に配布した「民間防衛」の書は、
日*合同委員会のU.S.A軍司令の手引書?!





(ハーパ一ドとかオックス**出身の肩書きで尊敬させ・・・w)

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第1段階:工作員を政府の中枢に送り込む。


第2段階:宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作。


第3段階:教育現場に浸透し、「国家意識」を破壊する。


第4段階:抵抗意志を徐々に破壊し、平和や人類愛を
     プロパガンダ
として利用する。


第5段階:テレビ局などの宣伝メディアを利用して、自分で
     考える力を奪ってゆく。


最終段階:ターゲットとする国の民衆が、無抵抗で腰抜けに
     なった時、大量植民。






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