先述したが憧憬という言葉も微妙であると。
憧れが目標になることもあれば、
優越感劣等感を発生させもする。
人間の内部で如何様にも変貌することを思う。
自分自身、そして他者に対して、
ありのままを受け入れ認めることが非常に難しいことも思う。
イメージや記憶によって
人間の潜在意識、無意識は欲というものが操作されることを
自覚する人はどれくらいいるだろうか。
操作されているが故に、受け入れ認め難い外的基準が、
顕在意識に刷り込まれているという社会(刷り込み情報社会)。
と言えるのではなかろうか。
本当にニュートラルな意識に於いて、
欲という発露は、どの様な方向性を持っているのだろうか、と。
昨今はあらゆる情報の海に浸された意識が私たちの顕在意識である。
その顕在意識と潜在意識の回路を制御するのが、
マスコミの影響であり、教育による既成概念の確立であろう、と。
様々に言語、映像、画像という間接的な情報は私たちの
実体験をジャッジさせ、優劣を作り、制御され、
大衆の集合意識へと落とし込まれている。
私たちが信じている世界は、決して普遍ではない。
私たちが思い込んで信じている社会は、その舞台裏に気付くと
あまりにも脆弱な、まるでドラマのセットの様に安普請で
薄っぺらな世界、とワタシはそんなふうに思う。
ただ、真実に気付くこと。
それだけなのだろうなぁ、と。
逆立ち社会を脱出するのは、他者基準の無責任な視線を
完全無視することから始まるのかもしれない。
欧州貴族国際金融家の徒弟マスコミや教育は、
他者の基準・目線視線を維持させる
調教するためのシステムなのだ。
【1/31 追記】
逆立ち社会を脱出するのは、他者基準の無責任な視線を
完全無視することから始まるのかもしれない。と、
完全無視という断定的な表現を使ったが、
行間を汲み取りにくい表現になってしまった。
改めて(そのうちw)、補足を記そうと思う。