ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

たくあんのこと

 

 

昨春頃から、何故か沢庵が無性に食べたくなった。

だが、市販の沢庵が添加物まみれであることは分かっているから、

安易に買う気になれなかった。

そんな訳で知人を巻き込んで沢庵作りを目論んでいたが、

タイミングが合わず、結局は単独で自宅にて

昨年11月半ばに、無農薬大根10本をネットで購入し、

狭いベランダで大根を干し始めた。

毎年梅干しを漬けるのだが、大根を干すのにも、軒がほとんどない

ベランダでは、天候の具合を日々気にしながらの天日干し。

 

梅干しは三日三晩。大根は十日から二週間。

冬季は晴天が多いからさほど心配ではないが、

一日だけ小雨にあたってしまった。

 

 

確か、12年前に初めての沢庵作りをチャレンジしたものの、

二週間以上大根を干したので水が上がらず、カピカピの状態で沢庵とは言えない、

ゴリゴリした大根干しという有様となった。

が、食欲が落ちてきた亡くなる少し前の母に

そのたくあんの多少はそれらしい部分を切り分けて

試食として食べてもらったら、しみじみ「美味しい」と

言ってくれたのが救いだったけれども、それ以来、沢庵は作っていなかった。

 

実は、ワタシは漬物音痴。(そんな言葉はないけれど)

漬物の奥深い味わいを知らない人間であった。

子供の頃、6才年下の従姉妹が漬物が大好きというから、

ずいぶん、大人びた味覚だなぁと感心した覚えだ。

親泣かせの偏食幼児だったワタシは、朝は食パンに砂糖をたっぷりかけたもの。

夕食の揚げ物は衣しか食べない。

毎回ご飯には毒々しいピンク色のデンブ(鯛身のふりかけ)を

かけるのが習慣。間食には甘いお菓子。極限の甘党だった。

と言っても、基本的に食べることが面倒臭いと思っていた記憶がある。

 

 

歳月を経て、人生の中で様々に食や、それにまつわる体験を経て

五十歳を過ぎ、沢庵が無性に食べたくなる自分にちょっと驚いている。

昨秋に十日間、大根を干し11月末に糠床を作り漬け出した。

お正月に食べたいなぁという算段だった。

最初に沢庵を瓶から出した日を忘れてしまったが年始頃まずは試食。

 

・・が〜〜〜ん。(゚д゚)??

苦くて塩っぱくて。トホホ、成功とは言えない味。

 

ともかく気を取り直し、自家製沢庵の主に苦さについて

ネットを駆使し原因を考えてみたが、過発酵の可能性は理解できたものの。

酒粕で奈良漬け風にとか、煮物にという方法が散見したが、

沢庵ではなくなってしまう様な逃げの手段は、気が進まない解決策。

 

考えあぐねた末、ほぼ諦めで、一本を半分にし実験として、

一つは水に重曹を入れ、一つは炭酸水に水を入れ、それぞれ浸水してみた。

翌日、試しに食べたらどちらもいい感じの味になっている。

コリャ発見である!

何でそうなったのか?化学として知りたいが、

知識が足りないワタシには、経験的なことしか言えない。

 

ともかく美味く沢庵を頬張る日本人の幸せが、

身にしみる今日この頃。

食事にも、間という、ゆとり、豊さ、遊びが、

失われかけている昨今に改めて、漬物の大切さを感じてもいる。