ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

伝えることについて

 

バカンスと言いたいところですが……。

ステイホームのつもりは毛頭ないですが…。

連日の猛暑でニ週間更新せず、うちでボ~っとしておりました。(笑)

場末ブログにも関わらず、

訪問くださる方に失礼をいたしました。

 

かつ、田舎と都会のテーマでうんちくをまだタレたいのですが、

微妙に言いにくいこと、ひんしゅくを買いそうな内容を記したいもので逡巡しており、

そのうち同タイトルでひねくれ者の結論を書きたいと思うのですが、

しばらく棚上げしよう、、、という訳で。

他のいくつかのテーマも結論を記しておらず、棚が詰まっていマス。(苦笑)

 

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今日は終戦記念日。七十五年という歳月が流れた。

戦争体験した世代が少数派になってきている。

まして、兵隊として現地で戦った方たちは

当時、十代後半(十七歳)以上だから九十代男性。存命の方はまさに一握り。

 

すでに亡くなった大伯父伯母や祖父母、父母から

戦前、戦中、戦後と、生活者目線での戦争体験を多少聞いている。

記憶に残っていることは都度伝えられたら、と思う。

 

 

検索していたら沖縄戦を中心とした伝聞や事実関係を記した

貴重なホームページを見つけたので、参考までに

 

【ホーム】 沖縄戦の記憶   *ここをクリック

 

【項 目】 沖縄戦Q&A 

 「徴兵と日本軍」

 

*古いページだからか、監視対象のぺージなのか、

 アドレス表記ではリンクされない状況のサイトです。

 

 

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次世代へ「伝える」ことの大切さを歳を経るごとに感じている。

昔の話を煙たがる人が多いと思うけれども、ワタシは何故か

子供の頃から昔の出来事の話を聞くのが嫌ではなく、むしろ好きであった。

同じ話を何度されても、さほど気にならない。よって、ワタシも

同じ話をしてしまう傾向がある。同じ話を聞くのが苦手な人からすれば、

これも負の連鎖というものか?(笑)

 

愚か者の弁解かもしれない。

が、同じ内容の話を何度もするということに、

深い意味があるのではないか、と四十代頃から感じるようになった。

祖父母、父母から、昔の話を繰り返し聞かされ好きと言いつつ、

時には煩わしいこともあったが、亡くなった後、

改めて良かった、と思うことが度々ある。

加えて、ワタシなりに

『同じ話を聞く、話すことは、認知症の予防になるのではないか』、

という仮説を立て考えてもいる。

(家人が同じ話を聞きたくない性質なので、それに対する屁理屈か?!w)

 

たわいない日常の形式的会話は別として。 

認知症になっているから、同じ話を繰り返す訳ではない、と。

同じ話をしたくなる、してしまう、というのは

その話にまつわる解放されていない感情があるのだろう、と。

その感情を言葉で表現せず抑圧し続けると、

いつか手に負えない繰り言の症状、

認知異常が出てくるのではないか?という訳だ。

更に言えば、集合無意識との関係を想像する。

が、話が長くなるのでまた改めて。

 

別の例えとして、

お経、祝詞や聖書は、毎日のように唱え読むのは何故か?である。

過去の人々は何を伝えようとし、現代の人は何を受け止めようとして、

繰り返し同じ文章を読み聞きするのか?

数千年、世代を超えて、繰り返している。

語り継がれる神話や民話、おとぎ話、

落語やオペラ、歌舞伎、映画・小説・ドラマ。

音楽、美術も然り。

 

年配者が昔の話を繰り返すことと同一線上ではないのだろうか。

身近な人の話を鬱陶しいと感じ、身近ではない遠い世界、

神様への表現、説教、物語は、なぜ、有難がるのだろうか。

本当にそれが有難いのであるなら、

すでに、この世は平和で楽園になっているハズであるが。

そうじゃない。

 

または、同じ話を繰り返す年配者を嫌う人は、自身が年寄りに

なった時に、同じようなことをして嫌われるかもしれない。

それも負の連鎖だろう。

あるいは、年長者が繰り返すネガティブな説教、訓戒が、

トラウマになったと嘆くより、その説教をする訳を知れば、

対象を理解したり、本質に気付くきっかけになるのではないだろうか。

 

名もなき、市井の人の人生で、心に残る出来事、記憶の話を紡ぎながら、

次の世代に語り継いでいくことで、

民族の、国民の、本物のアイディンティティが維持されていくのではないのか。

それこそが、偽ユダに対して大衆ができる防衛策ではないのか。

体制側・偽ユダらにとって、それこそが、都合悪いことを承知で、

教育、科学、文化、宗教、医療、政治、経済…を

崇高なイメージを媒体(マスメディア)で作り上げ、大衆社会に刷り込み、

大仰なものにしてもいるだろう。

 

現代人の「今」という捉え方が、

マスコミや教育、営利目的の宗教の教義や精神論で

歪んでいる気がする。

連続して繋がってきた時間を忘れることが「今」に生きることだ、と

はき違えている気がする。

「今」を体感するのは、連続してきた何かが在ったからに他ならない。

宇宙が地球が生物が人間が先祖が親が・・・

存在して、命がつながって、ワタシの今があることを思う。

 

逆に、マスコミや企業が存在していなくても、

極論だが、宗教、教育、政治経済・・・

お金、それさえ無くとも、

ワタシたちに「今」は存在し得る。(笑)

 

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戦後しばらくは、日本人は「大.東.亜.戦.争」と呼んでいた先の大戦

戦中までは各新聞も「大.東.亜」を使っていたようである。

 

日本軍の敗戦色が濃くなっていく渦中にも、前線では勝利をしているという

偽報道を政府と共謀し喧伝していたことことが語り継がれている。

国民全体が、戦意を失わないための(失わせないため)

思いやりだったのか~ぃ?(呆)

戦争中の新聞のデタラメ記事を信じていた国民。

 

戦争を継続させ、日本の国力、国民を激減させ、日本を壊滅させたい、、、

マスコミを掌握し続ける偽ユダが、背後で操ってきた戦争。

歴史で教わる戦争はすべて偽ユダらの計画によるものだろう。

その真相はいつ白日のもとに曝されるのだろうか。

大衆がマスコミを生活の一部として利用している間は無理であろう。

ちなみに、

戦争直前2年前頃(戦前)の雑誌"主婦の友"に、

鬼畜米英をかき立てる当時の記事を

画像であるが見たことがある。

戦争の種を撒くのには、先ず主婦への洗脳という

ノウハウが、既にあったのである。

かつ、

その頃の大衆庶民は外国人など自分の目で見たこともない、

イギリスだのUSAだの、敵意どころか、

どこにあるどんな国かさえ、

はっきり認識されていない時代に、である。

いわゆる有閑マダムの読み物に、そうした記事を

掲載し刺激していくやり方だ。

 

 

 

新型コロナウィルスは無い、と考える私にとって、

新型コロナウィルス騒動も、

戦争中のマスコミ偽情報による国民反応と同じ。

反応が変わっていない。

特に衛生観念に敏感な女性をターゲットにしている。

"マスコミとの関わり方"も進歩どころか、

更に思考停止状態が加速し、劣化しているようだ。

 

偽ユダと、宇宙人を装った元ユダらの

人口削減計画予定を遂行するために、あの手この手である。

今回の騒動は、

病気への恐怖心を増幅させ、結果的に免疫力を大衆自ら落とす。

過度な消毒や不衛生なマスクもそれに加勢する。

ソーシャルディスタンスやテレワーク、ステイホームも

思考力、精神力・体力を貧弱にしていく。

そして、次の更なる偽病騒動捏造の計画。

大衆の肉体・精神を益々脆弱にし、簡易に、

オートマチックに制御化されていく大衆。

 

ずいぶん前から実在が確認されているコロナウィルスと混同させ、

この"新型"という抽象的な名称は数年後には、

大衆の記憶を曖昧にさせるために使っている、と私は考えてもいる。

 

太平洋戦争という名称は、進駐軍GHQ指導でマスコミが戦後に拡散した名称と聞く。

なぜ、日本人にとっての戦争の名称を変えなくてはならなかったのか。

パールハーバーへの日本軍の奇襲攻撃が、マスコミ、映画や小説で

イメージの刷り込みがある。だが、事実関係を整理していくと、

真珠湾攻撃はもちろん実行は為されたが、お膳立てされた

茶番劇であったのが、真相と言われている。

 

ちなみに、戦後昭和二十年代生まれまでの世代は

親が戦前生まれだから、大.東.亜.戦.争と呼称する人もいるようだ。

 欧州勢の数百年間の有色人種に対する植民地支配を解放する

きっかけの戦争であったことは、戦後教育では全く伝えない。

戦後以降は、マスコミが大.東.亜から、太平洋戦争という言葉にすり替え、

USA領を攻撃した真珠湾攻撃を象徴的にマスコミで扱い、

戦後のUSAの寛大な対応

(戦後復興の協力もどき_実際は余剰物資処分場の日本であった。

 戦犯としての天皇を処罰しなかったなど)に焦点を当て、

それに対し崇拝させるが如くの、

言語、宗教、歴史、文化、科学、生活すべてが、

西洋礼賛する教育が、未だ、日本でなされている。

そして多くの日本人の思考が、西洋的な効率重視(結果重視のケチな思考回路)かつ、

虚勢的な性質に残念ながら変化しつつあると感じる。

 

また別の見方では、欧州勢は先戦争を理由に植民地支配を止め奴隷を

解放せざるを得なくなったのではなく、奴隷を解放する体で、

経費が掛からない資本体制(雇用関係)にしたかっただけ、という解釈さえある。

打算尽しの欧州貴族・国際金融勢力である。

 

ちなみに「ダイトウアセンソウ」という漢字表記が、

クラウド下では監視対象の語彙であるようだ。

反日嫌韓、右左の問題ではなく、

真相、真実を追求されたくない

欧州勢のご都合がある証左ではなかろうか、と。

 

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人は同じことを繰り返し、すこしづつ何かに気付いて、

ゆっくり成長していくものだろうか。

 

何より思うのは、戦争が起きることで社会全体が

人の良さ・親切さを失うことが嫌だ。

人間の疑心暗鬼、利己が増すのである。

 

目指すは、人間のための平和や平等ではなく、

他生物から学び他生物のために助力し、

平和と平等を実現していくことこそ、

真の幸福、真の自由、とワタシは思う。

そこを照準にすることが要であるだろう、と。

(雑草と称し除草して、否定するなぁぁぁ!!!
 モンサント・バイエルの
 ラウンドアップは悪魔の道具ダヨ×!!!
 虫を排除している場合ではない!!!激減しているのダ~。)

 

 

 

江戸社会は他人種の宗教(キリスト教と信者)は排したが、

他生物を尊び、平和や平等は大衆庶民にとっては、

かなり実現されていたようだ。

 

先の大戦で、膨大な人数の犠牲があっての75年間。

戦争がなかったことに感謝すると共に、

江戸社会_約260年を超えられるよう、

子孫の私たちは何をしたらいいだろうか、と場末ブログながら

自問自答してもみる。

 

と言いつつも、戦争のほとんどは偽ユダが画策している訳で。

大勢が死ぬ物理的な破壊戦争こそ無かったが、

民族社会、民族国家を崩壊、瓦解させるスタイルに、

戦争の方法が変わっただけ、というのが

現代社会の実態ではないだろうか???