ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

ブランドについて 2/_

 

 

他者の創造性を楽しむのは素晴らしいことであるが、

作られた物や枠が、自分のアイデンティティになるのは、

他者が意図して作った枠の中に入ることになり、自身の存在が

薄くなるであろうことは述べた。

元来、すべての人は創造性を持っていると思う。

 

ワタシガブランドデスガ、何カ?くらいの

態度のデカい生き方、人生でありたいもの。(あくまでも願望デシタガw)

と、思っていたが、改めて〝ブランド〟という言葉の

語源を調べてみたら、ゾッとした。

 

 

ブランド - 語源由来辞典より

 ブランドは、英語「brand」からの外来語。

「brand(ブランド)」の語源は、焼き印を押す意味の

「Burned」で、自分の家畜と他人の家畜を間違えないよう、

焼き印を押して区別していたことから、

「銘柄」「商標」を「brand(ブランド)」と言うようになった。

家畜に押す焼き印の「Burned」は、罪人の地肌に刑罰として

焼き印を押していた「烙印」に由来する。

 

オット、、、ワタシガブランドデスガ・・・という持論は、

自分が烙印そのものになってしまうではないか〜ィ!

それはそれで、ケッたいなことだ。

(支配者側願望ということダょ。_ _;

 潜在的に己にもあるんだろうなぁ_ _;・・・内省)

 

逆に、他者のブランドをありがたがって纏うということも、

つまり、私はそこの家畜です、という積極的な宣言になる訳で。

どちらにしても、〝ブランド〟という概念_意味、

言葉、言霊には、支配の意図の臭いがすることは間違いない。

 

社畜_という言葉が、〝ブランド〟(烙印)を正確に表しているのでは?と。

ついでに造語として記してみると、

公務畜_烙印、学畜_烙印、食畜_烙印、服飾畜_烙印、物畜_烙印・・・。

ますます、〝ブランド〟という言葉がワタシは虚しく感じてしまう。

 

完全支配の戦略として、この言葉の本質に

大衆が気付かないように誘導されている?!と。

〝ブランド〟という価値観がまるで、勝者であるかのような錯覚を

与えながら、あちらのご都合でカテゴライズされる。

大衆は優越感という餌によって、

盲信盲目・判断力欠如がすり込まれてきた、と思うのだ。

〝ブランド〟を纏うほどに、「真」の〝自由からの逃走〟をしている

現代生活・政治経済活動、コレ如何に?!