農について思う。
農を家庭菜園の範囲で行うならば、
丁度良い時期に、丁度良い量を
収穫できたなら、有難いだろう、と。
収穫できないのも残念だが、
収穫が多過ぎるのも案外、苦労が増えたり。
植物を売ることを目的にした時、
農業となり、収量とカネ換算が最重要となる。
工場と同じである。
工場と同じ仕事の世界を自然に持ち込んで、
生産者は消費者と共存している不自然。
税という特権階級の利権、
〝怠惰族の悪知恵・暴力・武力・戦争〟による支配から
身を守るためであった数千年。
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植物、大地、微生物、昆虫、動物、そして人間。
その関係と調和を気付かせて頂く環境を
私たちは望んでいる気がする。
心が安らいだり、時に天候で不安に思ったり、
見たことがない虫やその生態に出くわして、ぞっとしたり。
好奇心の原点であっただろうか…。
地球はいつも私たちの心を多様に遊ばせてくれる
偶然と必然を用意している気がする。
そこに、フォーカスしていく時代が始まる。
権威権力に迎合し「お金教」を信じている間は、
自身が外側との比較で疲弊し続け、便利や快適を求めたくなる。
自らの畑を自らの心の鏡となるよう、
植物、微生物や昆虫、動物の超繊細な理に気付き、学び、
ゆっくりと私たちは本物の存在へと進化することを
心から想う。