もし、子供の頃、三月初旬にいきなり休校が決まったら、
きっと嬉しかったと思う。
学校はあくまでも義務であって、楽しいとか充実感とか、
あまりなかった私としては。
と、そんな呑気なことを言ったら、
非難を浴びてしまいそうなご時勢だけれども。
今回の休校の事態のお陰で、自習の力をしっかり身に着ける
好機になると思うし、何よりどんどん本を読んだらいいと思う。
これから知恵こそが、生きる力になる時代の始まりという気がする。
学校のお仕着せの教育ではなく、
人間が本来持っている想像力、
延いては創造力・新たな価値を生み育てるのは、
独学や身近な大人からの生活の知恵、と私は思っている。
が、しかし、昨今の大人から学ぶ知恵(仮そめの能力)は、
お金を稼ぐこと、お金を使って解決することばかりで、
他に何もないんじゃないか?
大人も子供も一緒になって知恵を育て、
どんな時代であっても生きる術を身につけたいもの。
本一冊、全部書きとりしながら写すとか、(日本語の良質な書)
あるいはお習字(書道)などをするだけでも、
すごい理解力が身につくかも。
(私は本一冊を写したことはないけど、
同じ文面を何度も書いたことはあるょ。^^;
書道は習っていて良かったと思う。
音からある平仮名カタカナ、漢字の成り立ちには事実史実に
裏打ちされた遠い先祖の深い造形と思想が込められていると思うから。
(まだまだ謎だらけ。だから創造にも繋がるのでは?)
それを写す作業は一見単調・単純作業のようだけれども、
自己内省・客観が始まる。。。ともかく、体を使う喜びを取り戻せるのである。
審美眼をも育てると思う。きれい汚いという表面の判断ではない美の視点が身に付く気がする。
行間が見えてくるというか・・・)
バソコンでは、手の神経を十分使わないけれども、
書きとりは、指先を十分に使うことで
たぶん脳神経回路が豊かになるのと
集中力が必要だから、
頭が健全に、心が元気になると思う。
(つまりは肉体・細胞の声を聞く力を身につけるのが生活。)
地道さとか忍耐力とか根気が、
本当は人間にとっても大切な能力。
勝ち負け、損得の判断をやたら刺激する
ゲームで時間を潰すのは、
もったいない残念な時間の使い方。