ただいま日記

洗脳社会〟の手法を「知って。気付いて。」 自分に帰ろう。今に戻ろう。

小作農者的立場からの概観。。。六

 

 

脱穀作業も昔の方法で米作を行っている

自然農のご夫婦のところへお手伝いに行った話は

先述した。

農作業を手伝うことに金銭あるいは現物の報酬はない。

不耕起農業塾の行事としてそれがあったのだが、

仲間の知人は少々不満げであった。私も、多少気持ちは分かった。

けれども、無償さという活動は

個人から社会まで必要なことを常々感じてきたから、

むしろ、面白そう、やりたい、という動機で

その脱穀作業に参加させてもらった。

 

約十年前。

四十歳代前半に、2年間自治体と農協が施行する農業学校へ私は通った。

福岡正信氏の著書「わら一本の革命」に影響された私にとって、

授業の内容は疑問だらけで、大変であった。

それでも、現代農業について今まで知らなかったことを

知ることができ、良かったと思う。

 

その学校の期間で、今も思い出すのは、

ナスの栽培やイチゴやイチジクの出荷、桃の栽培中の摘果作業だ。

 

ナスの栽培の授業で、驚いたのは特級の、

傷が一つもない形の良いピカピカのナスの栽培過程。

高値で販売されるために、行わなくてはならない作業である。

ナスの「皮」に傷をつけないために、葉の剪定を行うのだ。

たまたま、強雨が降ってきたタイミングで、大きく成り始めた

6月初旬のナスの実に、ナスのトゲのある葉っぱが擦れ、

傷が付かないよう、風雨の中、葉っぱを剪定したことは印象深い。

 

ナスの木が揺れる中、植わっている木々を潜るようにして

あちこちの葉を剪定し切り落とした。

あくまでも、特級ナスにするための皮に傷をつけないようにという、

いつか農業者として自立・実践のためと指導を受けつつ、

神経を尖らせ作業を行った。

 

どの作物に関しても、収穫に都合が良いように、

葉や木をとことんコントロールしての栽培の教授が、

講義ごと繰り返された。

 

野菜を育てるという単純なことではなく、工業製品に

限りなく近い状態の商品を目指して、

効率重視で野菜が育てられる現場。

 

それまでは、消費者という立場でしか野菜を捉えたことがなく、

市場に出回る商品としての野菜の背景について、何一つ知らなかった。

農業を営む人たちが、こんなにも神経を擦り減らし、

キレイな野菜を育て作って、市場に出されていることを。

ここまで、キレイな野菜を作らなければならない

消費社会とは何なのか?

今まで能天気に、スーパーなどで

キレイな野菜を選んでいる自分が愚かしいことを思った。

 

見た目だけで選ぶ消費社会の汚染脳。

浅はかな行動をする金銭支配の社会構造の中で、

都市暮らしは、上澄みでしかない、と思った。

 

イチゴのパック詰めも悲しいくらい、精密な作業がある。

農協で規定のパックやフィルムを農業者が購入し、

規定の重量に合わせ、パック詰めをする。

自然物の多様さを忌み嫌うがの如く、

パックの上段下段を配するのにイチゴの形や色、

見栄えを判断し、神経を使っての作業がある。

 

桃の木に花が咲く頃に、

市場で高値にするための桃の出荷時を想定し、

美しい花をジャンジャン、もぎ取る作業。

 

受験に因んで農家の方が喩えて言っていた。

受からせるためではない。優良果実を選りすぐるため、

落とすことを前提に、珠玉の一滴のために、という作業であった。

イチジクも、重量で判断されるから、

雨の降った翌日が収穫時と農家の方が言っていた。

 

 

どれもこれも、現場を知ると

易々と消費していいものだろうか?と

思わざるを得ない、現場があった。

 

消費社会の一人として、計り知れない恩恵。

まして、海外で、欧州貴族・国際金融家が株主の

奴隷支配から延長線上にあるプランテーション農業で、

輸出入される作物の背景、重労働の方々のご苦労は、

想像を絶するものがある。

 

能天気で今までごめんなさい・・・と。

金銭の授受で穴埋めできるような

範囲ではなかろう、と。

 

農業に結局、携わっていない私は、

そのご苦労に、ただただ平伏す思い。

複雑な思いでスーパーの野菜売り場を見る。

自然農によった野菜を少々育てたり、

買わせて頂いている。

 

「小作農者的」と称したのも、

小作農としての対価はひとまず横に置いて。

仮にとて、生活に猶予ある状況下の貨幣経済

それを理屈にするとややこしいが。

 

ともかく、今までの膨大な恩恵・お陰様・感謝の意として、

無償の行動が、社会を変えるきっかけかもしれない。

 

お金を払ってスポーツジムへ行く筋トレより、

農作業を手伝えば知恵取得に筋トレに加え、

仲間との共感や感謝があり、合理的ではないかぃなと。

 

無償で、農への活動に参加を始めると

少しは貨幣経済=人工的な人間社会=

貨幣の短絡的な〝ギブアンドテイク〟___の崩壊の

一助になるのではなかろうか、と。

そんな思いでいる今日この頃だ。